チョコレートケーキ、できました?

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《二十三話》橘製菓の現状


 あたしが那津と圭季を待っている間の出来事を那津から聞き、申し訳ない気持ちで一杯になった。

「『シトラス』は前から社内的に問題が指摘されていたんだ」
「問題って……?」

 あたしの質問に那津は忌々しそうな表情を浮かべ、吐き捨てるように口にした。

「あいつが絡んでいるからだよ」
「……あいつ?」
「厚顔無恥なオレの母親だよ」
「あっ……」

 あたしは思わず声を上げてしまった。
 以前、那津から少しだけ聞いたことがある話。

「あいつと親父が出会ったのは、橘製菓だったんだ」

 あたしの父も母との出会いは橘製菓と言っていたし、那津のお父さんと梨奈のお母さんも社内結婚だ。

「離婚したからどちらかが会社を去らないといけないってことはないし、あいつはあいつで生活のことがあるから簡単に辞められないってことも分かっている」

 那津を見るとそっぽを向いて、視線だけでカーペットを焼いてしまいかねないような瞳で見ている。
 あたしの母はあたしが幼い頃に亡くなってしまったから、母に関する記憶も思い出もあまりない。母がいきなりあたしの目の前で崩れ落ち、倒れたことくらいしか覚えていない。
 それにここまで憎しみを覚える相手がいないから、那津の気持ちはあたしにはまったく分からない。

「離婚理由は、あいつの浮気だったらしい」

 那津は拳を握りしめ、ぐっとなにかをこらえているようだ。

「あいつはオレを親父に押しつけ、浮気相手と再婚したんだ」

 那津のその一言で、那津はお母さんに捨てられたことに対して怒っているということが分かった。
 那津は優しいからお母さんのことが大好きだったのだろう。
 だけど那津のお母さんは……。
 那津の気持ちを考えたら、ずきりと心の奥が痛んだ。

「それだけならまだしも、浮気相手と一緒になって……橘製菓を乗っ取ろうとしているんだ」
「……乗っ取りっ?」

 あまりの話の飛躍に、あたしは思わず大声を上げ立ち上がってしまった。

「チョコちゃんっ」

 焦った梨奈がぐいぐいっとあたしの腕を引っ張った。

「……ごめんなさい」

 那津はあたしの方をちらりとも見ず、続けた。

「オレたちを捨てたばかりか、雇い主を陥れようとしているようなヤツなんだ」

 那津の気持ちが複雑なのはよく分かった。
 それと同時に、圭季が大変な立場だってことも。

「オレは、オレをここまで育ててくれた綾子さんの恩に報いたいと思っている」

 那津のお父さん、働いているのにどうやって那津を育てたのか疑問に思っていたけどそういうことだったのか。
 それで那津と圭季はとても仲がよいってのが分かった。

「オレも圭季も一人っ子だったから、兄弟のように育ってきた。大きくなったら親父が社長を支えているように、オレも将来、社長になる圭季の補佐をしていくんだって思っていたし、今だってそのつもりでいる」

 那津って普段、すごくふざけた態度ばっかり取っているけど、実は将来のことをきっちりと考えているってことを知った。

「ただ、最近の圭季がオレにはよく分からないんだ」

 それはあたしだってそうだ。

「以前の圭季だったら、チョコちゃんに対してあんな態度を取らなかったと思う。昨日の出来事もその場できちんと説明していたはずなんだ。それなのに……仕事が残っているからって、チョコちゃんのフォローをすることもなく仕事を取るなんて。昨日の原因は圭季にあるのに」

 那津の痛烈な圭季批判にあたしはなんと言えばいいのか分からなかった。

「どうして日本の教育制度はスキップがないんだ。早く大学を卒業して、一刻も早く圭季を補佐したいって思っているのに」

 那津はとても悔しいのか、握りしめていた拳を自分の膝にぶつけていた。

「那津……焦っても仕方がないよ」

 梨奈に視線を向けると、苦笑していた。

「那津が圭季さんと歳が離れていたおかげでチョコちゃんに会うことが出来たし、悪いことばかりじゃないと思うよ?」

 その一言に那津は目を見開き、顔を上げた。

「焦る気持ちはすごくよく分かるけど、でも、悪いことだけ見ていたら、せっかくのいいことが逃げていっちゃうよ」

 梨奈のその一言は今のあたしにもはっとさせられるものがあった。
 そうだ、悪いことばかりではない。
 今回、あたしは橘製菓の騒動に巻き込まれてしまったけど、それで圭季の立場がよく分かった。
 この先、あたしはどうすればいいのかは今から考えるけど、逆にまだあたしは学生だから将来を見据えた修正をすることができる。
 圭季とこの先もともに歩んでいきたいとあたしは思った。
 そして圭季に守られていることを由としないと思ったのなら、あたしはどうすればいいのか。
 学生で、未成年で、まだ親の保護の元だから出来ることなんて限られているけど、その中で自分ができる精一杯のことを頑張ればいい。
 甘えだとか言い訳だって思われるかもしれないけど、ようやく自分でなにかをしなければと思えたばかりなんだから、出来ることは限られている。焦ったっていい結果は生まれない。

「那津、色々話をしてくれて、ありがとう」

 話しにくいことも包み隠さず話してくれてありがとう。
 ──って言いたかったけど、照れくささもあったし、那津もきっと言われたら困るだろう。
 案の定、あたしの感謝の言葉に那津はいつもの皮肉な笑みを浮かべていた。

「今度、梨奈とまたチョコちゃんちに遊びに行くから、なにか美味しいお菓子を食べさせて」
「そっ、それくらいならっ」

 だけど楓家のこんな大きな家を見た後でうちに来られてもなあ。
 そんなことを思ったけど、お菓子を作って喜んで食べてもらえるのなら、あたしはそれだけで嬉しかった。

「おっと」

 那津は応接室の壁に掛かった時計を見て立ち上がった。

「もうこんな時間か。チョコちゃん、送って行くよ」
「え……あ、うん」
「梨奈、悪いんだけど、リムジンの運転手さんに表に車を回しておいてもらえるように言ってきてくれない?」
「えー、なんでワタシなのぉ」
「それとも、ここを片付けてくれるか?」
「……分かった! 行ってくる」

 梨奈は立ち上がると同時に走り出していた。
 なんだか梨奈って走ってる姿が通常っていうか、じっとしているのが似合わないような気がする。
 梨奈が応接室から出て行ったのを確認すると、那津は口を開いた。

「あのさ、チョコちゃん」

 那津はお盆にあたしたちが飲んだ湯呑みを乗せ、ワゴンに運んでいた。
 あたしは持ってきていた鞄を持ち、立とうとしていたところだった。

「最近、圭季とは上手くいってる?」

 不意打ちの質問に、あたしは腰を浮かせたまま固まった。

「昨日の圭季の態度が気になって……って、チョコちゃん?」

 上手く行く、行かないの前に、同じ屋根の下に暮らしていながら顔さえ合わせていない。

「圭季とは最近、会えていないの」

 シトラスの事件があった朝と夕方に会ったきり顔も見ていない。

「それに、なんだか圭季、彼氏って言うよりお母さんみたいで……」
「お母さん?」
「うん。お仕事が忙しいのに朝ご飯とお弁当はきちんと作ってくれていて……」

 少し前からもやもやしていた気持ちを口にすると、那津相手という気安さから止まらなくなってしまった。

「それに、この間は酔っぱらって帰ってきて……そのぉ」

 自分から言っておいてなんだけど、されたことを改めて思い出して恥ずかしくなり、真っ赤になってうつむいてしまった。
 そんなあたしを見て那津はどう思ったのか分からないけど、うーんとうなって腕を組んだ。

「要するに、すれ違い状態ということだね」

 那津の言うとおりだったのであたしは小さくうなずいた。

「会社からの帰りも遅い?」
「うん。出来るだけ帰ってくるのも待っていようと思うんだけど、あたしも不慣れな大学生活で疲れてて……寝てから帰ってきてるみたい」
「なるほど、ね。……分かった」

 那津はそういうと、テーブルをさっと拭いてからあたしに応接室を出るように促してきた。
 那津はワゴンを応接室の外に置くと、玄関へ向かって歩き始めた。あたしは慌てて那津の後を追いかけた。

【つづく】




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