【序章】『運命』の相手

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★【序章】『運命』の相手《三》★

     § § § § §

 彩名は首を振りながら、男から離れた。
 掛けられた眼鏡は斜めになっていたし、口はだらしなく開き、涎が流れ落ちている。
 目の焦点が合っていない上、彩名の肩を握っていた手はだらりと垂れ下がっていた。
 左の小指からは赤い糸が伸びていたが、先ほど見たときよりも細くなっていて、すぐにでも切れてしまいそうだ。しかし、赤い糸の周りに絡みつくようにまとわりついていた黒いモヤのようなものはよりはっきりとして、糸状になっていた上に赤い糸を取り巻くように伸びていて……。
 その黒い糸を目で追いかけると、盆を投げつけてきた女性へと伸びていた。
 彩名は思わず、黒い糸を凝視した。
 彩名は今まで赤と青は視たことがあったが、黒は初めてだ。なんだかその色は、とても不吉な予感がした。

「結ばれない運命ならば」

 女性は歌うように抑揚をつけて、続けた。

「生きている意味がない」

 女性の手にはどこから取り出したのか、包丁が握られていた。

「って、どーして包丁っ!」

 彩名は辺りを見回し、助けを求めようとしたのだが、そういえばここは猫の一匹も通らないような地域。
 それでも諦めず、彩名は声を上げた。

「だっ……だれかっ!」

 この際、助けてくれるのなら地獄の鬼でも構わない。それくらい彩名は切羽詰まっていた。
 いや、本当に地獄から鬼が現れたらそれはそれで厄介だし、勘弁して欲しいのだが。

「たっ、助けてくれたら……ど、どうしようっ。命は上げられないけどっ、願いを一つくらいなら、聞いても、いっ、いいかな……」

 最後は声が小さくなっていたが、この状況から救ってくれれば、多少の犠牲ならなんてことはない。命あってのものだね、だ。この時の彩名はそう思っていた。
 彩名の願いは天に届いたのか、はたまた地獄に届いたのか。
 滅多に人の通らないここに、第三者の足音が響いた。
 変質者や女性の協力者だったらどうしようと思ったのだが、いや、むしろ、その方が彩名にとっては良かったのかもしれない。

「今の言葉に、嘘はないな?」

 現れたのは、真っ黒なぼさぼさ頭を無造作に束ねた、大男だった。
 顔は薄汚れ、着ている服も黒くなり、しかも擦り切れている。
 ニヤリと笑った時に見えた歯は真っ白ではあったが、鋭くとがった八重歯が見えて、彩名は恐ろしかった。そしてむき出しの腕はとても太く、筋肉がよくついているのが分かった。

「朗夫さん……一緒に死にましょう!」

 女性は闖入者である大男に目もくれず、腰の横に包丁を構えると、走り出した。

「やっ、ちょ、ちょっ!」

 女性は男性(朗夫という名前らしい)へと近寄る。

「まっ、待って! だだだ、ダメだって!」

 彩名が叫んでも、女性の足は止まらない。

「──で?」

 大男は彩名に視線を向けてきた。
 ぼさぼさの前髪からのぞき見える瞳はとても鋭くて彩名は怖かったが、思ったよりも澄んでいて、思わず見とれてしまう。

「早くしないと、刺されるぞ?」
「え……あっ」
「助ければ、願いを聞いてくれるんだな?」

 大男の確認に、彩名は反射的にうなずいた。

「よぉし。その返事、忘れるなよ?」

 彩名のうなずきを見て、大男はにやりと笑みを浮かべると──。

「え……?」

 彩名はなにが起こったのか、分からなかった。
 立ち位置は朗夫、彩名、少し距離を開けて女性、そして遠くに大男。
 彩名と大男の距離は、目視で五メートルくらい……だったと思う。
 包丁を持った女性は目と鼻の先に迫っていて、彩名は鞄でガードをしていたが、突き刺されたら無事だとは思えない状態だった。
 それなのに、大男は一瞬にして彩名と女性の間に入ってきたかと思ったら、次の瞬間には、包丁が宙を舞っていた。
 彩名の目の前には、想像以上に大きな背中。
 身近な異性と言えば、秀道と幼なじみの左屋野貴之(さやの たかゆき)くらいだが、その二人の背中よりかなり広い。

「ふん、意図的に繋げられた黒い糸、か」

 彩名が大男の背中を凝視していたところ、聞き捨てならない言葉が聞こえた。

「くっ、黒い糸って!」
「あん? おまえ、これが視えるのか?」

 大男は振り返ることなく、彩名に聞いてきた。

「視える、のか。──ふん、気が変わった」

 包丁を取り上げられたからか、女性は気が抜けたように地面に座り込んでいた。

「しっかし、どう見てもこれ、低能なヤツの仕業だな」

 大男の指先には黒い糸がつままれていた。

「さっき言ったこと、きちんと守れよ?」

 大男は今度は彩名に顔を向け、確認してきた。

「まっ……守る、わよ。命をくれって言われても、それはちょっと勘弁だけどっ」
「はんっ。そんなつまらないことは、しない」

 大男は楽しそうに唇をつり上げ、彩名を見下ろした。

「その約束、違えるなよ?」

 大男は念を押すと、つまんでいた黒い糸を強く引っ張った。すると黒い糸はずるずると伸びて、大男の手の中に溜まっていく。
 彩名は瞬きをするのも忘れて、それを見守っていた。
 黒い糸は不思議なことに、大男が引っ張っただけ伸びていく。どこまで伸びるのだろうと思っていると、ぷつり、と糸が急に切れた。

「お、これで終わりか」

 女性に繋がっていた黒い糸は切れ、大男の右手に切れた先がだらりとぶら下がっている。
 大男は同じように朗夫に繋がっている黒い糸が切れるまで引っ張った。

「いつまで糸の姿をしているつもりだ?」
「え……?」

 大男の呼びかけに、山になっている糸はうごめき……。

「きゃあああっ!」

 なんと、真っ黒な蛇へと変わったのだ。

「いやあああ、蛇、怖いっ!」
「蛇ねぇ。なるほど。この二人、蛇を殺したな?」
「へ?」
「蛇は神の使いだとか言うだろう? ま、俺からしてみれば、なあにが神の使いなんだかって感じだけどな」

 大男は黒い糸が変化して真っ黒な蛇になった物の尻尾を掴むと、振り回した。

「やっ、止めてよ!」
「こんなもん、怖くもなんともない」

 大男はぶんぶんと振り回していたかと思ったら、止めた。
 彩名はようやく振り回すのを止めてくれたことにほっとしたのも束の間。

「なっ、なにをするのよっ!」

 なんと、大男は蛇を高く持ち上げたかと思ったら、口を大きく開け、頭から飲み込んだのだ。

「なにって、食事だよ」
「しょしょしょしょ、食事って! へっ、蛇を丸呑みって!」
「あー、まっずいな。これだから低能は嫌なんだよ……」
「さっ、さいてー!」

 彩名の罵りの声が、辺り一面に響き渡った。




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