彼女に捧げるエチュード【六】

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 音楽室は扉が閉まっていれば、あのレッスン室とは違って中の音が洩れてこない。
 だから本来ならばこの『新しい七不思議』はおかしいのだ。
 いや、防音がきちんとされているにも関わらず、それでも音楽室からピアノが聞こえるのが『新しい七不思議』にふさわしいといわれれば反論できない。

 だけど、小田桐先生は言っていた。あれは録音されたものを流しているだけだと。
 もしもそちらが真実なのだとしたら、それではだれがどういう目的で、しかも雨の日の夕暮れ限定で、姉が演奏した『別れの曲』を流しているのだろうか。

 ……でも、色々とやはりおかしい。
 うちには写真はたくさんあるし、わたしが新体操をしていた関係で録画したビデオはたくさんあるけれど、録音する習慣はない。
 姉のピアノの発表会のときの録画データも残っているけれど、発表会で『別れの曲』を演奏したことはない。普段の練習風景なんて録ってないだろうから、わたしが記憶している限り、うちに姉が演奏した『別れの曲』はないはずだ。
 となると、あの音源が録音されたものであるとしても、だれがどういう経緯で、あるいはどういうルートで手に入れたのだろうか。
 あれが録音されたものであったとしても、姉以外のだれかが弾いたものではないのははっきりしている。なぜならば、いろんな人の演奏を聴いたけれど、姉以外の人で八、九小節目の装飾音を二音にしている人がいなかったのだ。楽譜を見ても一音しか書かれていない。

 どうして雨の日の夕暮れ時に聞こえてくるのが姉が演奏した曲なのか。
 本当に死んだ姉が弾いているのか、はたまた小田桐先生が言うように録音されたものなのか。

 わたしはそれを確認するために音楽室に忍び込んで夕暮れ時を待とうと思ったけど、音楽室の鍵が閉まっていたらそれはできない。だから閉まっていたら諦めようと鉄の扉に手をかけると、それはあっけなく開いてしまった。
 鍵をかけ忘れたのか、だれかがなんらかの目的があって開けたのか分からないけれど、隙間からそっと中の様子をうかがうと人の気配がなかったから、思い切って入った。そして薄暗い部屋の中を見渡す。
 冷房がかかっていないため、むっとするけれど、雨のせいか、気温が下がってきたような気がする。
 このままここで待つのもはばかれたので、隣の準備室で待つことにした。
 引き戸を開け、中へ入って教室の様子がうかがえるくらいの隙間を残し、扉の前に陣取った。
 時計を見ると十四時前。夕暮れ時って陽が沈む頃のことを言うから、夏場の今は十八時くらい? ここでこのまま四時間も待つのはしんどいけれど、だれかが気が付いて鍵をかけられる可能性もあるし、本当にだれかが仕掛けているのなら、不用意に出て戻ってきて鉢合わせの危険もある。
 スマホを見ると、充電は充分。これで暇つぶしをしておこう。

 それでも、最初の三十分はそれなりにすることはあった。だけど一通りやってしまうと、暇になった。
 目も疲れたしとスマホを片づけ、目を閉じて瞼を軽く押さえる。
 音楽準備室は教室と違って空調でも入っているのか、蒸し暑くもなく、なかなか居心地がいい。薄暗いのも手伝って、目を閉じていると眠たくなってきた。
 寝たら駄目と思ったけれど、あらがえず、気が付いたら眠ってしまったようだ。

     *

 ふっと意識が浮上して、自分の状況が一瞬分からず、慌てた。周りを見回して、音楽準備室にいたのを思い出した。
 わたしはどうやら引き戸と壁とに寄りかかって器用に寝ていたようだ。凝り固まった身体を伸ばそうとして──微かに聞こえてきた音にぎくりと固まった。

 それはとてもか細い音ではあったけれど、この一週間、嫌というほど聞いてきた『別れの曲』の冒頭だった。
 もしもこれを弾いているのが噂どおりに生徒の幽霊ならば、幽霊なんて見たことがないから見てみたい。そしてその幽霊が姉だというのなら、ますます見てみたかった。それに姉かもしれないと思ったら、別に怖くなかった。

 そっと隙間を見て、ピアノへと視線を向けた。
 音楽準備室の扉の隙間からピアノを見るのは難しかったけれど、でも、音はピアノから出ているものではないというのはすぐに分かった。聞こえてくるのは、教室の端にある棚の上から。
 小田桐先生はポータブルデッキで再生をしていると言っていたけれど、どうして聞いたことがないのに知っていたのだろうか。

 と考えて、とある可能性が浮かんできて、息が止まった。

 音楽室の噂話が広まったのは四月に入ってからと言っていた。そして、そのせいで迷惑をしているということだったからすっかり被害者だと思っていたのだけど……。

 小田桐先生は実はなんらかの理由があってこの噂話に荷担しているとしたら?
 もしくは、噂の張本人だとしたら?

 どうして今の今までその可能性に気がつかなかったのだろうか。

 そういえば昨日、荒田先生から『小田桐先生は止めておけ』と言われたけれど、この二人は仲がよいみたいだし、もしかしたら真相を知っていて、だけど言えなくて、そんな遠回りなことを言ってきた可能性は?

 そして、今日、夕方にも雨が降っていたら連絡を入れると言われたけれど……。
 わたしはなんらかの証人役をさせられることになっていた……とか?

 でも仮にそうだとしても、やっぱり意味が分からない。

 だって音楽室でそういった騒動が起こったとしたら、それは管理責任者である小田桐先生の責任になる。内容によっては学校を辞めないといけなくなるかもしれない。人生を棒に振るようなことはしないとも言っていたし、来年の話もしていた。
 となると、この件に関して、小田桐先生が犯人である確率はかなり低い。

 だけど──。
 一つだけ小田桐先生が犯人である可能性であることを示すものがあるのだ。
 それは、デッキから流れている姉が演奏した『別れの曲』。
 わが家には姉が『別れの曲』を演奏したデータはないけれど、ここでなら録音することも可能だ。なんらかの理由で小田桐先生が持っていても不思議はない。というより、小田桐先生以外の人が姉が演奏したデータを持っていること自体がおかしいから、やはり小田桐先生の所有物ではないだろうか。

 となると、小田桐先生が完全に白であるということの証明はできない。

 だけど、小田桐先生が騒ぎを起こすのは自分の首を絞めることになるわけだから……。
 では、小田桐先生のことを陥れてやろうと考えている人の仕業?
 ……それもなんだか現実的ではない。

 分からなくて悩んでいるうちにあの激しい第二パートも終わり、演奏は終焉に向かっていた。あれだけ激しかったのが穏やかになり、曲は終わりを告げた。

 しん……と静まり返る部屋。
 だけどわたしは動くことができなくて、準備室の扉の前で固まったままだった。
 先ほどまで姉が演奏した『別れの曲』が流れていたデッキはまだ動いているようだった。ジジジジ……という雑音が聞こえてきた。
 やはり録音だったというのが分かったそのとき。聞き覚えのある声がデッキから聞こえてきた。

『荒田先生、今の演奏、どうでした?』

 忘れたことがなかった姉の声。だけどわたしが知っている声よりも甘ったるい響きを伴っていた。姉の声を最後に、ブチッと途切れる音がして、静寂が訪れた。

 それよりも……荒田先生? 荒田先生って、担任の荒田先生?

 とんでもない秘密を知ってしまったことに気がつき動揺していると、音楽室入口の鉄の扉が開く音がした。だれかが中に入ってきたようだ。そして扉をしっかりと閉める音。そしてその人物がピアノのそばまで歩いてくる気配がした。
 犯人がやってきたのだろうか。扉の隙間から見ていたけれど、下手に動くことができなくて机の間を歩く足しか見えなかった。
 ……って、あれ? 二人いるように見えるんだけど。

 そして二人と思われる人は前まで来ると、足を止めた。
 一人はごそごそとデッキの辺りをいじっているようだ。
 てっきり犯人は一人だと思っていたのだけど、まさかの二人組?
 二人がこちらに来ませんようにと心の中で念じていると、片方が口を開いたようだ。

「荒田、もう止めてくれないか」

 聞き覚えのありすぎる声に驚いて、扉に手が当たってしまった。
 静かな室内だから、それはもちろん、二人にもばっちり聞こえたようだった。

「だれかいるのか」

 そして近寄ってくる気配に、わたしは自分の身体をぎゅっと抱きしめ、死刑宣告を待っていた。
 声の主──小田桐先生は迷わず準備室の扉の前まで来て、がらりと開け放った。
 見下ろされる視線とわたしの視線が絡む。
 わたしの姿を認識した先生の眼鏡の奥の瞳は驚きに見開かれた。

「火浦……家にかけてもだれも出ないからどこかに出掛けたのかと思っていたら……どうしてここに」
「え……と、なんとなく、ですかね?」

 実際、なんとなく来てしまったからそれ以上の説明はできないのだけど、小田桐先生は納得していないようで、目が釣り上がった。これはまずいと思ったけれど、もう遅い。

「おまえまさか、一人で『犯人』を捕まえようとか無謀なことを考えてっ」
「いませんよ。そんなつもりはなかったんです。あの演奏が本当に姉がしているのなら、幽霊でもいいから一目見たいって思って……」

 最後のあたりはしどろもどろの小声だったけれど、小田桐先生は呆れたようにため息を吐いた。

「……ほんと、勘弁してくれよ。心臓がいくつあっても足りないだろう」
「え……と、その、すみません」

 どうやら相当、心配をかけさせてしまったらしい。

「いえ、わたしのことはまあ、問題ないからよいとして」
「いいわけないだろう!」
「まあまあ、なにもなかったからよかったことにしましょうよ。いえ、それよりも『新しい七不思議』の犯人は荒田先生……なんですか」

 今までの話を総合すると、そうなる。
 わたしの質問に、小田桐先生は渋い表情を浮かべた。

「ちょっと事情があって……っと、来たか」

 鉄の扉が開く音がした。
 どうやらここに新たな訪問者がやってきたようだ。

「火浦、おまえは引き続き、ここに隠れておけ。あと、なにがあっても音を出すな」

 小田桐先生はわたしをまたもや準備室へと押し込めた。わたしは素直に従うことにした。

 部屋に入ってきたのは複数人のようだった。
 後から入ってきた人たちは前にいる二人の元へ歩いてきたようだ。やはりここからだと胸から下のあたりしか見えない。

「雨の夕暮れ時にピアノが聞こえるとは、小田桐先生、前も言ったけれど、管理責任問題ですよ」

 かなりきつい物言いに、それが副校長であるとすぐに気が付いた。

「校長先生もお忙しいのに呼びつけるとは」
「そのことに関しては、まことに申し訳ございません。ただ、夏休みの土曜日ですから、生徒はほとんどいませんし、好都合かなと思いまして」

 そう言って小田桐先生は続けた。

「まさか校長先生が噂話を鵜呑みにされるとは思っていませんでした。ですので、身の潔白を証明したくてお呼びしたのですよ」

 なんとなく白々しい物言いだったけれど、でも、証拠になるものは姿を見ていないけれど、いるはずの荒田先生が持っている。それがばれたら、小田桐先生と荒田先生、まずいんじゃないの?
 とどきどきしていると、ごそごそと動く音が聞こえた。

「校長先生、特におかしなものはなさそうですよ」
「……うむ。そ、それなら、もういいだろう」

 昨日、帰り際にあったときとはまったく違う覇気のない声。もしかして校長先生、恐がりなの?

「ありませんよ。だって──あれはだれかのいたずらではなくて……ほら、校長先生、後ろ。髪の長い女の子が……この学校の夏の制服を着てる子が、恨めしそうな顔をして、校長先生の肩に張り付いてますけど?」

 えっ、小田桐先生、見えるのっ?

「わっ、私には見えませんけど」

 こちらはかなり動揺した声をした副校長。校長の声は聞こえてこない。

「見えませんか? 俺にはしっかり見えるんだけど。荒田先生は?」
「──見えません」
「そうか。……ん? なに? 車……黒い、大きな……エンブレムがついていて……? その車、校長先生のと一致しますね?」
「なっ、なんの、話だっ」

 しばしの沈黙。

「歩いていたら……急に曲がってきて? あぁ、あの日は雨が降っていたし、夕暮れ時だったし、視界が悪かった。がつんとぶつけられて、頭? あぁ、痛かったね、火浦有里さん」

「────っ!」

 小田桐先生の声に悲鳴を上げそうになったけれど、わたしは必死になって口を塞いで我慢した。

 姉は、学校の近くで車に跳ねられた。

「あの日──最後に彼女の姿を見たのは、僕でした。僕があのとき、すぐに追いかけていれば」
「火浦有里さんが学校を飛び出した後、校長先生の車が出て行ったのを荒田先生は目撃した?」
「はい」
「それで、ブレーキの音などは?」
「聞いてません。もし聞いていたら、すぐにとびだしていたと思います」

 再び、しんと静まった。

「校長先生、あの日、なにを急いでいたのですかね? 急に曲がったあげく、火浦有里さんに車をぶつけたことに気が付かず、そのまま帰るとは。でも、あとで車を見て、そして、学校のそばで事故があったことを知って──しかもその生徒が亡くなったのに、だんまりですか」

 小田桐先生の言及になんの反論もない。

「今からでも遅くありません、自首をおすすめしますよ」

 小田桐先生のその言葉に、校長は声をあらげた。

「どこに証拠がっ!」
「校長先生が自首されないということでしたら、今から警察に連絡して、捜査してもらいますよ? 車を調べたら、すぐに分かりますよね。自慢の車みたいですし、あの事件の後、しばらく見かけませんでしたけど、未だに乗っていらっしゃるみたいですし?」

 姉に車をぶつけたのは、まさかの校長だったとは。

「副校長先生、校長先生に同行してください。あ、逃げたりしたら、俺、警察に通報しますから」
「脅してるの……?」
「いいえ」

 小田桐先生のその言葉に観念したのか、校長と副校長と鉄の扉へ向かっているのが見えた。
 鉄の扉が音を立てて閉められ、部屋に静寂が訪れた。

「荒田、これでよかったのか?」

 小田桐先生の問いかけに、荒田先生から返事があったのかどうかは分からない。
 だけどだれかが近づいてくる気配がして、また、扉が開けられた。

「火浦、待たせたな。おまえの姉さんのためにミニコンサートといくか」




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