【一話】不法侵入者に器物破損、正直、勘弁してくれないか《後編》

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 どうせここにいたって仕事をするわけでもなし、戻るには早いが片づけて部屋へ戻ろうとしたのだが。
「なっ、なんだっ」
 診療所の入口が変な形で歪んで嫌な音を立てている。そして扉は力に耐えられず、はじけた。扉がはじける、なんて常識的に考えてありえないはずなんだが、そこには先ほどまで確かにあったはずの扉が木っ端みじんに飛び散り、空気に霧散している。欠片がキラキラと輝いて見える。
「出せ」
 扉があったはずの向こう側には長身の見知らぬ男が立っている。真っ赤な狩衣とかいう平安時代くらいの仰々しい衣装に長くて灰色のストレートの髪をなびかせ、手には錫杖のようなものを持って仁王立ちしている。
「あの、どちらさまですか?」
「姫を出せ。おとなしく出せば、おまえの命は助けてやる」
 錫杖らしきものを地面に打ち付け、てっぺんについている金具を鳴り響かせる。
「ここは動物病院です。姫なんていませんよ」
 なんだ、このコスプレ野郎は。しかも、よく見ると頭には髪の毛と同じ色の耳が頭の上にご丁寧についている。ごっこ遊びをしているのなら、ここに来るな。扉の修理代を請求するのが面倒だな、こういう人種はと悩んでいたら、錫杖の先端が光り、俺の足元ではじけた。
「うわっ、なにするんだよっ」
 地面が思いっきりえぐれている。なんだよ、これっ。
「姫の匂いがおまえからする。素直に言え、どこにいる」
「ここには俺しかいない。疑うのなら、奥まで入って見てくれてかまわない」
 めんどくさいなと思いつつ、これ以上、壊されたら困るので探索してもらうことにした。男は診療所内をくまなく探し、いないことを確認すると去っていった。
 ……をい、この壊れた扉と床、どうしてくれる? と思っていたら、男がいなくなった途端、壊れた物は元通りになった。なんだ? 俺は夢でも見ていたのか。
「帰るか」
 どっと疲れが出てきた。

     *     *

 マンションのエントランスは診療所の入口の裏側にある。マンションは駅前のロータリーの片隅にある。いつものように診療所を出て、駅を右手に見ながらぐるりと回ってエントランスへと向かった。
 犬はマンションの横に落ちていたと言っていたが、ここではなさそうだ。反対側の本屋とマンションの間の細い路地だろうか。建物と建物の間の暗くて湿っぽい場所になんだって文緒は行ったのだろう。
 マンションに入り、管理人室に一声かけ、エレベーターに乗り九階を押す。にぶい昇降音とともに、身体が宙に浮く感触。もう長い間ここに住んでいるにも関わらず、未だに慣れない。目的の階に到着した。通い慣れた道を通り、鍵を開けて中へと入る。
「ただいま」
 玄関が開く音と俺の声に文緒は自室から出て来て、廊下へ顔を出してきた。俺の姿を見て、安堵したような笑顔に首をかしげる。
「睦貴先生っ!」
 そう、ここは連城家。自分の部屋にいるよりも連城家にいる時間が実は長いので、こちらが自分の家なのではないかと思わず錯覚してしまう。鍵を預かっていて、いつでも出入りできるほどの仲のお付き合いなのだ、連城家とは。
「黒犬ちゃん、ものすごく苦しがっているの」
 普段はこうやってご飯を食べに来ても廊下を突っ切ってリビング・ダイニングでのんびりとテレビを見ているか、あるいは蓮さんが食事の支度をしているのを手伝うかをしていて、他の部屋に入ったことなどほとんどない。
 文緒は手招きをして部屋に入るように言っているのだが、年頃の女の子の部屋におっさんが入るなんて、そんな破廉恥な……!
「しっ、室内に入るのは遠慮させてクダサイ」
 思わず、カタコトで切り返す。
 たとえなにもなくても、文緒の部屋に足を踏み入れただけで蓮さんに殺されかねない。それだけは勘弁してほしい。
 俺は開けられたドアの隙間から室内をのぞきこんだ。少女らしいピンクを基調とした部屋だったが、予想外に散らかっていることに驚きつつ、どこからか調達してきたらしい段ボール箱の中に入れられたあの黒い犬が切ない声をあげてうなされているようだ。あれだけの返り血を浴びるような出来事に遭遇したのだ、夢見が悪くて当然のような気がする。
「今日は俺がその子を預かるよ」
 この様子だと、文緒は気になって夜も眠れないだろう。
「お願いしても大丈夫?」
「大丈夫だよ」
 文緒は明らかにほっとした表情で俺を見た。やはり不安に思っていたのだろう。
「とりあえず、リビングに連れていこうか」
 文緒が引きずって箱を入口まで持ってきてくれたので、俺は受け取って抱えてリビングまで連れていく。これだけうなされていても起きないなんて、相当疲れているのか?
「睦貴、じゃがいもの皮をむいてくれないか」
 リビングに入ってきた俺を見て、蓮さんは作業依頼をしてきた。蓮さんの手には熱そうな蒸したてのじゃがいも。今日はコロッケかポテトサラダか。どちらも好きだからうれしい。それに、蓮さんの料理はとても美味しいのだ。俺は黙々とじゃがいもの皮をむく。
 リビングの端で悲しそうに泣いている犬の声が聞こえるが、どうすることもできない。起こすのがいいのだろうかとも思うが、犬なんて警戒心が強いはずなのにこれだけなにかされても起きないところをみると、このまま寝かしておいた方がいいような気がする。
 下ごしらえを手伝い、あとは調理の段階になって俺は一度、解放された。
 テーブルの端に置かれたダンボールで丸くなっている犬をぼんやりと見ていると、身体を震わせている。寒いのだろうか。足の付け根を触ってみると、かなり熱い。犬は体温が高めだが、これは少し熱すぎる。首の回りを冷やすのがいいのでタオルを濡らして巻いてあげる。診療所にいる時はあんなに呼吸が穏やかだったのに、今は息が荒い。それでも目を覚まさないとは、よほど疲れているのか、それとも他の理由からなのか。
「その犬のご飯はなにがいいんだろうか」
 段ボール箱の中の犬をのぞきこんでいたら後ろから急に話しかけられ、驚いた。いつも思うけど、蓮さんは気配がなさすぎる。
「食べるようなら固形のドッグフードをお湯で柔らかくしたものがいいかと」
 手元にそういった物がないことに気が付いた。スーパーかコンビニに買いに行ってこよう。
 食卓に料理が並び始めた頃、蓮さんの奥さんで文緒の母である奈津美さんと文緒の弟の文彰が帰ってきた。
「また来てるのかよ」
 という文彰の冷たい言葉にずきりと心が痛む。すみません、今日もお邪魔してイマス。

 椋野家は昔、華族だったらしい。何代か前の椋野何某が商売をはじめ、それがうまくいって現在に至っている。そして俺の親父は商売を引き継ぎ、とあるグループ会社の総帥をしている。兄はそれを継ぐべくともに働いている。次男の俺はというと、親に甘やかされて育ち、こんなろくでもない人間に育ってしまった。
 親は俺に医者になってほしいと思っていたらしい。確かに医者にはなったが、人間の医者ではなく動物の医者だ。期待にこたえたような裏切ったような、親不孝っぷりを発揮している。
「首席で卒業したにもかかわらず、まともに仕事をしないなんて、親に対してどころか、社会に対して冒涜だ」
 とは蓮さん。
「どうせならマンション経営に力を入れたらいいんじゃないの?」
 と前向きな意見を言っているのは奈津美さん。
 自慢じゃないが、真面目に商売をすればきちんと成り立つというのは分かっている。曲がりなりにもあの親父の血を引いているのだ。片手間でやっている株だって儲けているのだから、先見性はきっとあるのだろう。
「結局、ここの管理だって管理会社に丸投げなんでしょ」
「いいんですよ。その方が親父の会社が潤う」
 駅前一等地の十階建てマンションを自分一人で管理するなんて、とてもじゃないけど無理。管理会社は親父が経営しているグループ会社のひとつだから、ある意味、親孝行なのだ。
 食事が終わっても段ボール箱の中の黒い犬は目を覚まさない。苦しそうにたまに唸っているが、首に巻いた濡れタオルがきいているのか、先ほどよりは落ち着いているようだ。
 段ボール箱を抱えて俺は連城家を辞した。玄関を出て、非常階段を使って上の階へと向かう。十階が俺の部屋だ。
 部屋に入り、電気を付ける。今日は週に一度、ハウスキーパーさんが来てくれる日だったのを思い出した。朝、散らかし放題で出ていった部屋がきれいに片付いている。
「さて……この子はどこに」
 目が届く寝室かなと思って向かったのだが、どうにも変な感じがする。
 いつも来てくれるハウスキーパーさんはものすごく神経質で、完璧に仕事をこなして帰る。今日も間違いなく、先週と同じように完璧に仕事を完了しているはずだ。はずなんだが、なんだろう、この妙な違和感は。
 玄関を入ってすぐにはホールがあり、右手にはリビング・ダイニング、左手には洗面所があり、その先が浴室、洗面所の隣がトイレで目の前が寝室となっている。
 黒い犬が入った段ボール箱はホールのリビング・ダイニングの入口に置き、足音を立てないようにして寝室へと向かう。いつもなら閉められている扉がうっすらと開いている。このなにもない家に泥棒か? 扉の向こうに気配がある。隙間からそっと中を窺うが、暗くてよく分からない。相手が武器を持っていたらどうしようという気持ちはあったが、思い切って扉を開く。
 そして俺は、唖然とした。俺のベッドの上に、先ほど診療所を破壊したあのイカレたヤツが着ていたと思われる真っ赤な狩衣が人型に置かれていた。ちょっと待て。なんだこの状況は。
 もし仮に、あいつではないとしてだ。このご時世に狩衣なんて変わった服装を着ている人間が今日だけで二人もいるという状況はとてもではないが考えられない。百歩譲って、たまたま真っ赤な狩衣を着ているという人間が二人いたとしよう。いたとして、だ。どうしてそいつが俺の部屋に先ほどまで着ていたかもしれない真っ赤な狩衣をベッドの上に広げて本人がいない、という特異な状況を作らなくてはならないのだ。しかも、どうやってここに入ったのだ。
 一応、このマンションはセキュリティが厳しいというのが売りなのだ。こんなコスプレ野郎、ここの住人にはいなかったはずだ。管理を親父の会社に任せているとはいえ、どんな人間が住んでいるか知らないのは不安で、入居する人間に関してはきちんとチェックを入れている。その中にあんな人間はいなかった。
 どう考えても侵入してきたとしか思えないこの状況。警察に通報するかと寝室を出てホールに行くと、黒い犬がひゅんひゅんという鳴き声をあげていた。かなり苦しそうにしている。段ボール箱の中から犬を出し、抱きかかえる。思っていた以上に軽くて驚いた。
 こんな小さな犬が自分はまったく傷つかずに返り血を浴びるほどのけんかをしたのだろうか。そうだとしたら、今は無防備に眠っているが、この段ボール箱に入れておくだけでいいのだろうか。目を覚まして暴れたら、獣には勝てない。浅はかだったかもしれない、だけど文緒の部屋にいるわけではないから安心か。
 と思っていたら、犬はのけぞり、腕の中で暴れ出した。落とさないように必死になって犬を抱きかかえる。犬が暴れ、俺の唇に乾いた鼻が触れた途端。
 俺の腕の中の黒い犬は、まばゆい光を発した。





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