【二話】常識とはなんだろうか《前編》

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 突然の出来事に俺はとっさに目をつぶった。しかし、まぶた越しにも激しく眩しい光が見える。顔を覆いたくても黒い犬を抱きかかえて……いる、はずなのだが。なんだろう、先ほどまで腕に感じていた重みがまったく違うものになっている。腕と太ももに重さを感じる。
「ここはどこじゃ」
 初めて耳にする甲高い声。いつの間にか光はおさまったようだったので、目を開く。
「!」
 目の前にはつややかな黒髪を持ったかわいらしい少女。黒目がち、というより白目が見えないくらい大きな黒目にさくらんぼのようなぷるんとした小さな唇。
「おぬしがわらわを救ってくれたのか」
「あの……どちらさま?」
「わらわか。わらわの名は、姫青(きはる)じゃ」
 きはる? ずいぶんと変わった名前だなぁ。どんな漢字を書くんだろうか、きはる、と呼びにくいから「はるちゃん」かなぁ、とぼんやり考えていた。
「おぬしの名は」
「睦貴だよ」
「ほう。一月と同じ響きを持つ者か。よし、ムツキとやら。おぬしはどうやらわらわのご主人となったようじゃ」
 ……はい?
「これは大変名誉なことぞ。末代まで誇るがよい!」
 なんだ、これは。いや待て、なにかがおかしくないか? はるちゃんが言うには、俺ははるちゃんのご主人らしい。それなのになんではるちゃんの方が偉そうなんだろう。
 ご主人、と言われてとっさに思い出したのがメイド喫茶、というあたり、俺の脳みそも相当壊れているような気もするが、メイド服を着て「おかえりなさいませ、ご主人さま」なんて、一度でいいから言われてみたいなぁ。
 それにしても、今日はなにか呪われているのか? それとも俺、死んでしまうのか? これが有名な「死亡フラグ」ってやつか?
 いや確かに、なんの目的も持たずにただその日を暮らしているような役立たずでヘタレで駄目人間だが……と自分で言っておいてかなり落ち込んだが。それでも生にはそれなりに執着心はある、たぶん。
 こんな早くに死んでしまうのか、それならもう少しいい思いをしておけばよかったなぁ。かわいいメイドに「ご主人さまぁ~」と言われたかったなぁ。
「こらっ! ムツキ、聞いておるのかっ」
 はるちゃんの声に、俺は一気に現実へと戻ってこらされた。
「はるちゃん、迷子? お父さんとお母さんはどこに?」
「わらわの名前は姫青じゃっ! はるちゃんなんて慣れ慣れしく名を呼ぶな」
 とは申しましても。
「はるちゃん、ほんと、どこから入ってきたの? 今日は不法侵入者が多くて困るなぁ」
 それよりも、さっきまでいた黒い犬はどこだ? 俺の腕の中にいたはずなのに、眩しい光の後にはるちゃんがいたなんて、どんな手品だ。
「ところで、はるちゃん。黒い犬を見なかったか」
「わらわははるちゃんではないっ! それにその黒い犬がわらわなのじゃ」
 またまた、はるちゃん、ご冗談を。
「はるちゃん、そろそろ俺から降りてくれない?」
「む。うむ、これはすまぬ」
 思いのほか素直にはるちゃんは俺から降りてくれたのだが。
「はるちゃん、つかぬことをお伺いしますが」
「なんじゃ」
「服を着ていないのは、趣味?」
 真っ赤な狩衣を着ている変なヤツがいるかと思えば、露出狂のお嬢さんとは。世の中、終わっているな。
「服なら着ているが」
 とはるちゃんは視線を落として自分を見て、固まっている。とても長い髪が身体を覆っているけど、それは服とは言わないよね、一般的に。
「……おっ、おぬしっ! わらわが寝ている間にっ」
「ごっ、誤解だ!」
 むしろここは十階だ。
「きゃあああああっ」
 はるちゃんの悲鳴が部屋の中を駆け巡った。その声に呼応するように、寝室で不穏な音がする。もう、なんですか。
 今日はこれ以上、なにが起こっても驚かないような気がする。なんでもこい、どんとこいっ!
「姫さまっ!」
 姫?
「ご無事でございますか」
「上総か」
 もう一度、なにかが破裂する音がする。そして崩れ落ちる音。事実を知るのが怖いから、後ろは振り向きたくない。
「姫さま、今すぐそちらへと参ります」
「くっ、来るな!」
「しかし」
 はるちゃんは目の前で真っ赤になっている。俺は羽織っていたジャケットを脱ぎ、はるちゃんに差し出した。はるちゃんは奪うように俺の手からジャケットを取り、羽織った。文緒より小さいこの少女には俺のジャケットは当たり前だがぶかぶかだ。
「……上総、近寄ることを許可する」
 服をとりあえず羽織ったことで安心したらしいはるちゃんは、寝室にいる上総とかいう人物に声をかける。二・三度ほど破裂音がして、後ろに人の気配。
「ひっ、姫さまっ!」
 聞き覚えのある声。下で出会った、例の真っ赤な狩衣男のようだ。
「上総、おぬしも無事のようでよかった」
「姫さま、そのお姿は……!」
 俺のジャケットを羽織ってもじもじしているはるちゃんは真っ赤になり、視線をそらす。
「まさかと思いますが」
「分からぬ。目が覚めたら、ムツキというこやつの腕の中にいた」
「なんですとっ」
 俺を置いてけぼりにして二人は会話をしている。
「姫さまともあろうお方が、まさか」
「いろいろとその、思わぬ出来事が起こってだな」
 思わぬ出来事、というセリフは俺が言いたい。なにこの二人、知り合いなの?
「姫さま、今すぐここから移動いたしましょう」
 それはもう、ぜひとも! 今すぐ移動するのなら、警察に通報はしないでおいてやるから。
「しかし、上総。このムツキという男をたった今、わらわのご主人に任命してしまったのだ」
「ひっ、姫さま! この男の素性も調べずに軽々しく任命するとは、嘆かわしい! しかもこの男、姫さまがいらっしゃるのにいないなどと嘘を申しておりましたぞ。信頼するに値しない人物かと!」
 はるちゃんは狩衣コスプレ男の言葉に唇を尖らせ、腕を組んで俺を見た。
「ふむ。しかし、ご主人としては正しい判断であったとわらわは思うぞ」
「後見人であるこの上総に対して嘘を申すご主人など、要りませぬ」
「上総、ムツキはわれらのことを知らぬ。見知らぬ者にわらわを差し出さずに隠し通したことは充分にご主人としての信頼度が上がると思わぬか」
 はるちゃんは鼻の上にしわを寄せて上総を睨み上げている。上総はいらいらとした様子で錫杖のようなものを振りまわしている。上についている金属が激しい音を鳴らし、耳触りだ。
「上総、落ち着け。ムツキがうるさがっているではないか」
 顔をしかめていた俺に気が付いたはるちゃんが上総に苦情を言ってくれた。俺はいまいち自分の立ち位置がつかめていない。この二人に対してどう対応していいのか悩ましい。
「それに無意味に破壊するその癖、直すのじゃ。壁に穴を開けると外から丸見えではないか」
 はるちゃんの言葉に、恐る恐る、振り返る。予想通りのその光景に身体から力が抜ける。思わず床に手をついてしまった。これ、修理をするとか言うレベルじゃないよな、どう見ても。改修工事に近いだろ。しかも直るまで俺はどこで眠ればいいのだ?
「ほら、ムツキが困っているではないか。早く直すのじゃ」
 夜の空が遮るものがなくなったためにすっきりと見える状態。ようするに、寝室の天井と壁がきれいさっぱりなくなっている。先ほどしていた破壊音は、診療所の扉と床の時と同じ方法でやったのだろう。なんだ、この人間離れした力は。
「姫さま、この男をご主人に任命したことを撤回してくださるのなら、今すぐ直します」
「上総」
 はるちゃんの思っている以上に冷たい声。上総はそれでも抵抗して、錫杖のようなものを鳴らして抗議している。
「わらわの命令が聞けぬというのか」
「いくら姫さまのご命令でも、この男がご主人というのだけは断固として認めません」
「それとこれとは別だろう。このままの状態にしておれば、いずれ敵方がわらわたちを見つけて否応なくムツキはわれらの戦いに巻き込まれる羽目になるのじゃぞ。……ほら、言っている矢先にカラスに見つかってしまったではないか」
 はるちゃんは予想以上に軽い身のこなしで俺と上総を飛び越え、天井と壁がなくなった寝室の真ん中に立った。
 はるちゃんは両手を天に向け、俺には意味の分からない不思議な旋律を伴った言葉を紡ぐ。それがなにを意味するのか分からなかったが、俺はとっさにはるちゃんを止めていた。
「はるちゃん、やめろ。駄目だ」
 どうしてそこで止めたのか分からない。なぜか嫌な予感にとらわれてとっさに制止した。
「ムツキ、なぜ止めるのじゃ」
 黒いガラス玉のように光る瞳に怒りを乗せ、はるちゃんは俺を睨みつけている。
「あのカラスは敵方の偵察。このまま放っておけばわらわの居場所がばれるんだぞ」
「殺して偵察が帰ってこない方が余計にやばいだろう?」
 今までの二人の会話を総合して分かったことは、はるちゃんは何者からか狙われていて逃げているということ。すでに暗くなっているのに空を飛んでいるカラスは、その敵方の偵察。はるちゃんはたぶんだが、そのカラスを亡きものにしようとしていた。偵察が帰らないと知れば、敵方は躍起になって探すだろう。そうなるとはるちゃんはきっと困るはず。
「なるほど。ムツキ、おぬしはなかなか頭がよいな」
「いや、普通は分かるだろう」
 はるちゃんはあごに手を当てて一度うなずき、先ほどとはまた違った不思議な旋律を奏でた。今度の旋律はかなり穏やかな響きを伴っていて、思わず聞き惚れた。
「これでいいじゃろう。なにも見なかった、と暗示をかけておいた」
 得意そうに腰に手を当てて胸をそらして威張っている。カラスは何事もなかったかのように旋回して、戻っていった。これはよくできました、と頭をなでればいいのか? ふとはるちゃんの頭を見て、手前に立っている上総の頭を見て、再度、はるちゃんを見る。
「ところで、その耳はなんのコスプレ?」
「ムツキ、こすぷれというのはなんじゃ?」
 まさかそういう返答が来るとは思っていなくて、目を見開いた。
「この耳は自前じゃ。ムツキこそ耳としっぽはどこにやったのじゃ」
 あれ? 俺って耳としっぽ、持っていたか?
 はるちゃんの質問に自分の頭を探り、お尻をなでるが、当たり前だが、もともとそんなものは持ち合わせていない。
「なるほど。ようやく状況が読みこめてきた」
 はるちゃんは上総に元通りにするように再度、命令した。上総は面白くなさそうな表情で錫杖のようなもので床を一度打ち鳴らす。すると一瞬にして、寝室の天井と壁が元通りになった。
「上総。わらわたちはどうやら別の世界に飛ばされてしまったようじゃの」
「姫さま、別の世界とは」
 別の世界? ここまでくれば、はるちゃんと上総二人して夢の世界の住人扱いしていいか? この近くはそういう病院、どこだったかなぁ。頭の中で地図を開いて検索してみるが、すぐには思い当たらなかった。後でパソコンで検索して連絡を入れよう。これは警察に通報してもどうにもならないようだ。
「そうとしか思えないじゃろ。わらわたちの国にはこんな建物はなかった。自然にあふれ、空はあんなに澱んでいない」
 よくわからないけど、二人はものすごい田舎から出てきた、ということだな。コスプレ──コスチュームプレイという言葉さえ存在しないけどコスプレ自体は存在する田舎から。
 そう思うと、二人の奇妙な言動も納得がいくというものだ。姫だとか後見人、ご主人だのカラスが偵察だとか。それだけだと説明のいかない出来事もあったけど、それはきっと、幻だ。
 三十すぎると非現実的な出来事から目をそらせるんだよ。そうしないと生きていけないことを学ぶんだ。
 さて、と。壊れたところは元通りになった。あとはこの二人をここから追い出さなくては。





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