【二話】常識とはなんだろうか《後編》

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「そこの赤い狩衣男。おまえはよくよく考えたら不法侵入だよな」
 上総は俺の言葉にたじろいだ。よし、いい感じだ。
「そしてはるちゃん。キミはわいせつ物陳列罪だ。しかも、狩衣男と一緒で不法侵入だ」
「わらわは違うぞ! ムツキがここに連れて来てくれたのではないか!」
 はるちゃんはひるむ様子はない。なかなか強敵だ。
「姫さま、ひどいですよ! 部下をかばわずにご自分だけ逃げようとするなんて」
「ひどいのは上総だろう。わらわをかばってくれたムツキに対して信用ならない、嘘つきというし、やたらに壊しまくるし!」
 はるちゃんと上総は目の前でけんかを始めてしまった。初めは言い合いだけで放置しておけばそのうちおさまるだろうと思っていたのだが、どんどんとそれはひどくなり、取っ組み合いのけんかにまで発展してしまった。
 ちょっと待て。人のうちでなにをしているんだ、おまえらっ!
 どんどんと激しくなっていく。止めないとまた家を壊されるし、いくら防音をしっかりされているといっても限度がある。
「ちょっと待て、やめろよ」
 と優しく言ったところでけんかに熱中している二人の耳に届くわけがなく、やり合いはますますエスカレートしている。
 直したばかりの寝室の入口が壊され、さらには隣のリビング・ダイニングとホールを仕切っている壁も吹き飛んだ。それでも止まるどころかどんどんと壊されていく。壁だけではなく、天井までもが。
 俺、我慢強い方だと思うんだ。しかし、天井が半分以上壊され、家の中の大半の物が壊れてしまったわけだ。
「けんかをするのならおまえら二人、外でやりやがれっ!」
 さすがの俺も切れた。怒鳴ったのだが、全然二人には聞こえていない。
 はるちゃんが俺の前を横切ったので、腕を伸ばして必死の思いで細い腕を捕まえた。
「てめーら、とっとと出て行きやがれっ!」
 腕を捕まえたのは良かったのだが、かなり勢いよく走っていたのではるちゃんの腕を振りまわして飛ばす羽目に。普通だったら俺の身体が引っ張られてこけるかはるちゃんの身体が止まるところなのに、どんな魔法が使われたのか、俺の身体はそのままでつかんだはるちゃんの身体が勢いよくなぜか宙へと飛ばされた。まるで羽を捕まえて飛ばしたかのごとく。はるちゃんは空中で二・三度回転して、そのままなにもないはずの空間で止まった。
「上総、ここまでじゃ」
 今までのはるちゃんからは想像がつかないほどの凛とした声と鋭い視線に威厳を感じて思わずひざまずきたくなる。いや、ここで負けては駄目だ。
「はる、降りてこい」
 宙に浮いているはるちゃんの足首をつかみ、下へ引っ張り降ろすと簡単に降りてきた。つい今まで威厳があったのに、地面に降ろした途端、はるちゃんは妙に小さくなった。
「上総とやらとはる。おまえたちを見ていたらこれだけ壊してもすぐに直せるのは分かる。しかし、物を大切にしないのはよくない」
 はるちゃんは困ったような表情で俺を見上げている。上総は口を開いて反論しようとしていたので、ぴしゃりと跳ねのけた。
「反論ができる立場ではないだろう。まずは直せ」
 上総を睨むと、錫杖のようなものを二・三度振った。瓦礫と化していた俺の部屋は一瞬にして元通りになった。便利だけど、ありがたみが薄れるな。
「とにかく」
 俺は寝室へと向かい、服を漁ってはるちゃんに渡す。
「俺用だから大きいとは思うけど、これを着ておけ」
 ジャケットだとぶかぶかすぎだし、いろんな意味で危険すぎる。シャツを渡し、部屋で着替えるようにと寝室に入れ、扉を閉める。
「ふざけないで、本当のことを話してほしい」
 上総は俺の横に立っている。視線がほぼ同じくらいだから身長も変わらないだろう。犬の耳のようなのを入れたら向こうの方が背が高いな。それが本物ならば、の話だが。
「われらが嘘をついていると?」
 上総の質問に、頭がもげそうなくらい勢いよく頭を縦に振った。
「心外な。われらは真実しか申しておらぬ」
 やっぱり夢の世界の住人か。困ったなぁ。
「ムツキ、これでいいのか」
 着替えたらしいはるちゃんが寝室から出てきた。のだが、羽織って前を手で押さえてもじもじしている。
「どうしたんだ」
「これの着方がよく分からないのじゃ」
 よくよくはるちゃんを見ると、シャツのボタンが止まっていない。まさかと思うが、ボタンの止め方も分からないのか? 苦笑しながらボタンを止めてあげた。
 淡い桜色のシャツをチョイスしたのだが、黒髪と黒い瞳にとても似合っていて、ロリコンではないのに思わず見惚れてしまった。
「似合っているな」
「そうか? このような淡い色を着たことがないから、不安じゃ」
 というので、玄関に置いてある姿見にはるちゃんを連れて行って鏡に映して我が目を疑った。
「……はるちゃん?」
 鏡にはおっさんな俺と妖艶な美女が映っている。自分の目が信じられなくて瞬きしたら、小さいはるちゃんに戻った。今のはなんだ。
「ほう。ムツキのわらわのイメージはこういうものなのか」
 だらりと伸びた袖から必死に手を出そうとしているのがものすごくかわいくて、ついつい微笑んでしまう。
「ムツキ、これをどうにかするのじゃ」
 自分でやることを早々にギブアップしたはるちゃんは、袖口を振りながら俺の目の前に差し出してきた。そういえば、小さい頃に文緒もこうして袖を折って、とよく言ってきていたな、と妙に懐かしいことを思い出す。
「ほら、これでいいだろう」

 俺たちはリビング・ダイニングに移動した。
 やかんに水を入れて、お湯を沸かす。
 立派なキッチンがついているのだが、食事は連城家でいつも摂っているのでほとんどここが使われることがない。来客も皆無なので、こうやってお茶を飲むのにお湯を沸かすくらいしか使用していない。電気ポットを買えばますますキッチンは用なしになるなぁ。むしろ最近は面倒がってペットボトルで済ますことの方が多いし。
 はるちゃんは興味深そうに、俺の後ろにひっついて作業を見ている。
「おおお、これはすごい! これはどういう道具なのじゃ?」
 やかんを取り出して水道水から水を入れてコンロに置いて火を付けただけで、はるちゃんは大はしゃぎ。どれだけの田舎から出てきたんだ。
「これは水道水で、こうすれば水がここから出てくる」
 このマンションの蛇口はハンドルを上に持ち上げると水が出る仕様になっている。それを見せると大きな瞳をさらに見開き、見つめている。
「これは便利なのじゃ! 上総、おぬしも見るのじゃ」
 上総ははるちゃんに言われて渋々、という表情でキッチンまで歩いてきて、蛇口を見て口をあんぐりと開けている。
「しかもじゃ、ここを押すだけで火が噴き出してくるのじゃ!」
 上総は今度は目を見開き、ものすごい間抜け面をしている。改めて上総を見ると、普通の表情をしていたらなかなかいい男なのに、今の表情は非常に残念で仕方がない。
 しかし、それほど珍しいわけではないのに、どうしてこの二人はこんなにも驚いているのだろうか。水道もガスコンロもないような超ど田舎なんて、今の日本に存在するのだろうか。もしもあったとしたら、それはどうなんだろうか。自分が当たり前だと思っているこの環境に、ふと疑問が浮かぶ。
 生まれた時からずっとこうして生きてきた。それが当たり前、と思ってきた。他にも違う環境がある、というのはテレビでは知っていたが、それは映像の向こうの話で自分にはまったく関係のないことだと思っていた。
 紅茶を入れてトレイに乗せてダイニングテーブルに置く。
「いい匂いがする。これはなんなのじゃ」
「紅茶という飲み物だよ」
 はるちゃんはティーカップに鼻を近づけて匂いをかいでいる。上総は物珍しそうにカップの中をのぞく。
「とりあえず、座ろうか」
 俺は二人に椅子をすすめた。
 シュガーポットから砂糖を二杯ほどカップに入れる。普段は砂糖は使わないのだが、今日は妙に疲れた。ミルクも入れて、甘めの紅茶で疲れをとることにした。
 二人は椅子に座るまでは良かったのだが、じっと俺のやっていることを見ている。正直、そんなに見られると恥ずかしいんだが。
「ムツキ、それはなんじゃ」
「これ? 砂糖だが」
「砂糖?」
 スプーンですくい、はるちゃんの手に少し乗せる。
「舐めてみなよ」
 はるちゃんは恐る恐る、といった様子で砂糖を口にしようとしたその時。
「姫さま、なりませぬ!」
 上総ははるちゃんの砂糖の乗った手首をつかみ、止めた。
「毒が入っていたらどうするのですか」
 上総の言葉にムッとする。
「そんなもの、入れるわけがないだろうっ」
 ほんとこの男、失礼にもほどがあるだろう。
「そうじゃ、ムツキは大丈夫なのじゃ」
 それでも、上総ははるちゃんの手首から手を離さない。
「わたくしが先に毒味をしてからです」
 今、毒味、と言ったか?
「おまえな、さっきから失礼なことばかり言ってないか」
「わたくしはあなたを味方とみなしておりませぬ。それに、わたくしの使命は姫さまを命に変えてもお守りすること。姫さまはおまえのことを信頼されているが、わたくしはおまえのことを信用していない」
 うわぁ、ひでぇ。ここまで正面切ってそう言われると、返す言葉がない。
「上総、ムツキからは悪意は感じられぬ。心配は無用じゃ」
 とはるちゃんは言ってくれるが、上総はかたくなに首を横に振るばかり。職務に忠実な融通の効かない馬鹿、という評価を下していいか?
 上総ははるちゃんの手首をつかんでいない反対の手で手のひらの砂糖をつまみ、口にする。
「む……、これは」
 何度もつまみ、上総ははるちゃんの手のひらと口を往復させている。
 上総を見ていると、有名な狂言の「附子(ぶす)」を思い出した。主人は大切な砂糖を奪われたくない一心で、太郎冠者と次郎冠者に桶に入れた砂糖をトリカブトの根を乾かして作った猛毒「附子」と偽る。結局は主人がいない間に二人は興味本位で桶を開け、砂糖すべてを食べきってしまう。それを隠ぺいするために主人の大切な品々を壊してしまう。帰ってきた主人に二人は主人が大切にしていた品物を壊してしまったから死んでお詫びをしようと附子を食べたが死ねなかったと切々と訴えるのだが、もちろん、主人は激怒して二人を追い出してしまう。主人は結局、欲張ったばかりに砂糖と二人と大切な品々を失う、という内容のものだ。
「この量だけでは毒が入っているか確認することができぬ。その壺すべてを渡せ」
「はいはい、砂糖が甘くて美味しいのは分かった。これには毒は入っていない。もし仮に入っていたとしても、それだけ舐めてなんともないのなら、大したものではないんだよ」
 シュガーポットを開けて二人の紅茶それぞれに砂糖を入れてあげた。この様子だと紅茶は初めてのようだから、渋みを消すためにミルクも入れてあげる。
「熱いから、気を付けて飲めよ」
 ティースプーンでかき混ぜてから二人に飲むように促す。俺は毒が入っていないというのを証明するために、先に紅茶を口にした。
「ふむ。これはなかなか面白い」
 はるちゃんはティーカップを持ち、小さな唇を尖らせて紅茶を冷ましてから口にする。
「おお、これは美味い! 上総、飲んでみるのじゃ」
 おいおい、上総が先に毒味してからお姫さまにどうぞお飲みください、じゃないのか?
 上総は無言でカップを取り、戦々恐々とカップに口を付けて飲んでいる。一口飲んで、目が輝く。熱いから少しずつだが、紅茶がなくなるまでカップから口を離さなかった。
「こんな美味しい飲み物がこの世にはあるのか」
 二人は紅茶を飲み干し、満足したようだった。
「そういえば、お腹が空いたのじゃ」
 はるちゃんのその言葉に呼応するように、お腹が情けない音を発した。上総も同じようだ。
「ここは基本、食べ物はないんだよなぁ」
 冷凍食品もインスタントラーメンもない。お菓子を食べる習慣もない。
「お腹は空いたが……温かい飲み物を飲んだら、なんだか眠くなってきたのじゃ」
 そういうなり、二人は椅子の上に丸くなってしまった。
「いきなり寝るかっ」
 はるちゃんはともかくとして、上総は大きいから運ぶのが大変なんだよな。困ったなぁ、と思って椅子の上を見ると。
「……なんの冗談だ」
 真っ赤な狩衣と俺の桜色のシャツが椅子の上に乗っている。真ん中がこんもりと盛り上がっているが、人間が一人ずつ寝ている状態では明らかにない。
 まずは上総が着ていた狩衣をめくってみる。もっさりとした毛足の長い灰色の毛が見える。
 はるちゃんの服もめくってみると、先ほど、連城家でピックアップしてきたあの黒い犬が眠っていた。
「どうなってるんだ、これ」
 有り得ない状況に、俺はめまいがした。





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