【三話】二匹というか二人は居候に《前編》

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 結局あれから、二人というか二匹を椅子の上に放置したまま、ベッドへと潜り込んだ。シャワーだとか着替えにまで気が回らなかった。それほど疲れ切っていたのだ。

 隣の部屋から音がして、目が覚めた。普段は俺一人だから自分以外が立てる音など存在しないので、敏感になってしまう。リビング・ダイニングに行き、扉を開いて目の前の光景に膝から力が抜けた。そうだ、思い出した。厄介な二人のことをすっかり忘れていた。
 二人揃って椅子から転げ落ちて、それでも気がつかずに爆睡していた。
 昨日の話からすると、こいつらは何者からか追われているんじゃないのか? 無防備すぎるだろ、それは。それとも、俺は信頼されているのか?
 壁にかかった時計を見ると、朝の六時。昨日、ベッドに入ったのは何時だったのか確認していないが、それなりによく眠れた、ということにしておこう。若干、頭が痛いような気がするのはきっとこの二人のせいだろう。起きるとうるさいのでこのまま二人は放置決定。
 昨日、シャワーさえも浴びれなかったので風呂場へと向かう。熱めのシャワーを頭から浴びたら、しゃっきりとしてきた。
 着替えてリビング・ダイニングに向かってもまだこの二人は犬のまま、眠っているようだった。椅子から落ちて服の合間からそれぞれの長い毛が見えている。
 桜色のシャツの中に埋もれているはるちゃんは息苦しそうにしていたのでシャツをめくって顔を出してあげた。こうやって見ると、本当に毛艶がいいなぁ。思わず首のあたりの毛をなでる。柔らかい毛が指先に気持ちがいい。そういえば、昨日はあんなに苦しそうだったのに、目を覚ましたら元気だったなぁ、家を破壊するほどに。
 昨日はこの二人が電池が切れたかのように寝てしまったので話が途中であやふやになりそうだったが、早々に出て行ってもらわねば。そろそろ起こすか、と思ったところではるちゃんは目を覚ましたようで、身じろぎして、瞬きした次の瞬間には犬から人間へとなっていた。なにがどうなっているのだ。
「ムツキ、おはよう」
 はるちゃんは寝ぼけ眼で俺を見上げている。
「オハヨウゴザイマス」
 動揺してカタコトな挨拶を返してしまった俺。とっても気まずい状況。
 無防備に寝ているはるちゃんの首のあたりの毛をなでていて、起きたらいきなり人間体になったので、やはり艶のある黒髪を一房ほど握っている。恋人同士ならこのシチュエーションもありでむしろ萌えるわけだが、幼女の姿をした相手にこういうことをやっているのは、変態、なわけであって。
「気持ちがいいと思ったら、ムツキがなでてくれていたのか」
 目を細め、はるちゃんは髪の毛を持っている俺の手を見つめている。
 すみませんっ、勝手に触ったりしてっ!
 あわてて髪を離して後ろに下がろうとしたら、はるちゃんは大胆にも俺の手首をつかみ、頬に手を当ててきた。さらりとした柔らかい肌の感触に思わず動揺してしまう。
「うむ、この手は気持ちがいいな」
 はるちゃんは俺の手に頬ずりをしてくる。俺はどう対応していいのか悩み、されるがままになっていた。
「姫さまっ!」
 背後から悲鳴に近い声が聞こえて、そういえばもう一人いたんだ、と思い出す。
「上総、ムツキの手は気持ちがいいぞ」
 笑顔のはるちゃんに対して、ものすごく不機嫌な上総は、俺の手首をつかんではるちゃんの頬から引きはがした。
「姫さま、無防備すぎます! 男はみんな、ケダモノなのですよ!」
 上総、悪いがそれは否定できない。残念ながら、正しい。
「ケダモノな……。わらわたちは化け物だろう。どちらが恐ろしいのだろうな」
 先ほどまで笑顔だったのに、はるちゃんの表情は一瞬にして陰る。
「われらは化け物ではありません!」
 上総は鼻息荒く、はるちゃんの言葉を否定している。
「化け物だろう。本来の姿は犬なのに、こうして人間の姿に化けられるのだから」
 悲しそうな響きを伴い、はるちゃんは口にした。
「それはわれらの一族の誇り! 化け物と言った向こうだって同じではないですか」
 はるちゃんはつらそうな表情で唇を噛んでいる。小さくてさくらんぼのような赤い唇がさらに赤くなっている。
 嫌な沈黙がダイニングに落ちる。沈黙を破ったのは、はるちゃんのお腹が鳴る音だった。はるちゃんを見ると、真っ赤になっている。
 そういえば昨日の夜からお腹が空いた、と言っていたのを思い出す。しかし、いきなり連城家に連れて行っていいものなのだろうか。ここで悩むくらいなら思い切って連れて行くのが一番のような気がしてきたので、二人を連れて連城家へと向かった。
「おはようございます」
 いつものように合い鍵で入り、二人を後ろにひきつれてリビング・ダイニングへと向かった。
「今日は早いんだな」
 リビングに足を踏み入れた途端、蓮さんから声をかけられた。料理の仕上げに忙しいらしく、視線はコンロに向かったままだ。
「犬はどうなった。文緒がずっと気にしていたぞ」
 その犬のことについて説明しようと口を開こうとしたら、後ろからあわただしい音が聞こえ、文緒がやってきた。
「睦貴先生、あの子は無事?」
 頬を赤く染め、息を切らせてやってくるほどのことではないだろうと思うのだが、そのさまがかわいくて文緒の髪をなでる。
「ムツキ、わらわにも同じことをするのじゃ!」
 物珍しそうに周りを見回していたはるちゃんが俺と文緒との間に割って入ってきた。文緒は明らかに不審そうな表情ではるちゃんを見る。
「だれよ、これ」
「ムツキはわらわのご主人なのじゃ。おぬしに邪魔はさせぬ」
 気のせいか、文緒とはるちゃんの間に火花が散っている。なんだ?
 調理が一段落した蓮さんは振り返り、リビングの入口で固まっている俺たちに視線を向ける。
「おまえは人づきあいが悪いと思っていたけど、そういう人種と交流があったのか」
 蓮さんの視線は上総とはるちゃんと順に移動して、俺に冷たい視線を向けてくる。
「泊まりに来ていたのなら前もって言ってくれていれば朝食をもっと作ったのに」
 至極当たり前のことを言われ、そこまで気が回らなかった自分に少し落ち込む。そうだよな、作り手側のことを考えてなかった、反省。
「文緒、その二人は睦貴のお客さまらしいから……文緒っ!」
 蓮さんに気を取られていたけど、どうやら会話をしている間に取っ組み合いのけんか一歩手前までいっていたらしい。蓮さんの鋭い呼び声に文緒はあわててはるちゃんの肩に手をかけていたのを離した。
「ったく、おまえは睦貴のことになると見境がなくなるな」
 ため息交じりの言葉に俺は目が点になった。どういうことだ?
「ムツキはわらわの物なのじゃ」
 はるちゃんはさらに文緒を煽るような言葉を口にする。
「あのな、俺は俺であってだれの物でもないんだよ」
「どうしてじゃ。ムツキはわらわのご主人であるじゃろう」
「俺は了承してないぞ。俺にだって仕事が」
「ないだろ。開店休業中の獣医が」
 横から蓮さんの突っ込み。どっちの味方なんだよ、まったく。
「お客さんは適当に座ってもらって、睦貴と文緒はご飯の用意を手伝え」
「はーい」
 文緒は憮然とした声で返事をして、キッチンへと向かった。
 俺ははるちゃんと上総を適当な場所に座らせた。
「いいか、いいと言うまでそのままで動くなよ? 動いたらおまえら、外に放り出すからな」
 睨みつけながら二人にそう言い聞かせると、上総はともかくとしてはるちゃんは神妙な顔をしてうなずいた。二人がそのままの恰好で座っているのを確認して、朝食の手伝いをする。
 今日のご飯は炊きたてのご飯に油揚げの味噌汁、焼き鮭にほうれん草のおひたしか。大根おろしまで添えてあってうれしい。蓮さんには毎度、頭が下がる。
「文彰と奈津美ももう少ししたら来る」
 テーブルに並べ終え、席に着いたところで文彰と奈津美さんがリビングへやってきた。
「おはよう。あら、お客さま?」
 俺の横に必要以上に椅子を寄せているはるちゃん、その隣に仏頂面の上総。
「睦貴もきちんと人付き合いをするのね」
 と驚いた表情の奈津美さん。
 ひどい、ひどすぎる。連城家とのお付き合いは人づきあい、とは言わないのか?
「睦貴のことだから、うちとの付き合いが人づきあいだと思っているぞ」
 なんでそんな図星なことを。
「他人行儀ねぇ。人づきあいというより家族の一員だと思っていたんだけど、わたしの認識が間違っていたのかしら」
 思ってもいなかったことを奈津美さんに言われ、瞳の奥がじんと熱くなってきた。
「こんなのが家族だって? 冗談はやめてくれよ」
 蓮さんのその言葉に奈津美さんは面白そうに笑う。
「ほんと、素直じゃないんだから」
 連城家の人がそうやって考えてくれていたんだと知り、なんとも複雑な気分になった。
 椋野の家は仲の良い連城家と違って、ばらばらだ。親父はグループの総帥をやっているので、仕事が忙しくてあまり家にいた覚えがない。それでも、家に帰って来た時は極力、時間を割いてかまってくれたような気がする。母が問題で、常に俺にべったりだった。兄貴は親父の跡を継ぐために幼い頃よりたくさんの習いごとと勉強をしていたので、母は兄貴にかまえなかった分、俺に反動が来たようだ。正直、構われることが嫌いな俺には、母のその愛情が苦痛で仕方がなかった。あがいてあがいて、反抗してしまくったのだが、それでも母は俺にしがみついてきた。今にして思えば、あの人はものすごくさみしがり屋だったのだ。
 親父がこの土地を買い、マンションを建てると知った時、親父に対して初めてわがままを言った。椋野の家にいると息がつまりそうで、俺が俺ではなくなりそうだったから。
 初めてのわがままに親父は目を細め、喜んでいた。何事もあるがままに受け入れることしかなかった俺が、初めてした自己主張。親父も親馬鹿というか、俺もこんな駅前の一等地のマンションをくれだなんて、お互い世間知らずとしか言いようがない。
 それでも、それを実現させるだけの財力を親父は持っていたわけで。土地とマンションともども、俺名義となったわけだ。そして、アフターケアも至れり尽くせりだ。駄目人間を育ててるよな、あの両親。とヘタレで駄目人間に育った自分で言ってみる。
 奈津美さんと一緒に入ってきて一言も口を聞かない正面に座っている文彰を見ると、熱でもあるんじゃないかと思うほど、真っ赤な顔をしてうつむいてご飯を食べている。
「ムツキ、これはなんじゃ?」
 はるちゃんは箸を右手と左手それぞれ一本ずつ持ち、眺めている。
「これは箸で、こうやって持って」
 はるちゃんは俺を真似して箸をたどたどしく持っている。上総も今だけは素直に俺を真似している。
「これがご飯でこっちが味噌汁。熱いから気を付けろよ。魚は食べられるよな」
 甲斐甲斐しく世話を焼いている俺を見て、文緒はどんどん不機嫌になっているようだ。負のオーラをものすごく感じる。横を見ると、はるちゃんのことを睨みつけている文緒がいた。
 ……怖い!
 気を取り直し、俺も食事を始めた。蓮さんが作ったものはなにを食べても美味しい。幸せを感じる瞬間だ。
「おお、これは美味しいではないか!」
 はるちゃんは箸を使いなれてないのか、握るようにしてご飯をかきこんでいる。そんなに一度に食べたら、むせるぞ。
「ぐっ、ぐほっ」
 予想通り、一度に口に入れ過ぎてはるちゃんは苦しんでいる。背中をさすり、少し冷ましたお茶を飲ませて落ち着かせる。
 口に詰め込んだご飯を飲み込み、落ち着いたはるちゃんに蓮さんは無言でフォークを差し出した。その気がきくところがさすがだなぁ、といつも感心する。
 はるちゃんは箸を置き、蓮さんから渡されたフォークを不思議そうに見つめ、柄の部分を上から握る。鮭を突き刺し、ご飯はお茶碗に口を直接付けてフォークで口の中へ入れる。
 それを見ていると、小さい頃の文緒を思い出した。懐かしくなってはるちゃんを見つめていたら、食べ終わったらしい文緒に頭を小突かれた。
「せっかくのご飯が冷めちゃうわよ」
 と言われ、苦笑しながら食事を再開させた。
 文緒と文彰は学校があるので食器を流しに置くと行ってきますと言って出ていった。蓮さんと奈津美さんも食べ終わると流しに置いて、
「悪いけど、片付けよろしくね」
 と言って仕事へ向かった。






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