【四話】きっかけなんて本当は些細なものなんだ《前編》

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 はるちゃんの髪の毛は俺と一緒で細くて柔らかい髪質だから、梳かすのに苦労した。毛先から少しずつ梳かしてドライヤーで乾かしていく。案の定、ドライヤーを見てなんじゃこれは、とはしゃぐはるちゃん。ようやく髪の毛が乾いた。俺の黒いシャツを着て、上総がお風呂から出てくるのを待っていた。
「ムツキ、上総のことじゃが」
「ああ、気にするな。疑い深くなるのも分かるよ」
 はるちゃんは見た目にそぐわぬかなり大人びた表情で俺を見る。
「上総はわらわが生まれてからずっと、後見人として側にいてくれたのじゃ。わらわのことは娘という気持ちが強いのじゃろう。過保護なのじゃ」
 過保護、と言われてとっさに母を思い出した。あの人も俺にべったりで超がつくほどだ。
「ずっと一緒なのか?」
「基本はずっと一緒じゃ」
 それが当たり前、と言わんばかりのはるちゃんに俺は思わず質問してしまった。
「ずっと一緒にいて、うっとうしいと思わないか」
 はるちゃんはあごに手を当ててしばし考え、
「たまには思うが、いるのが当たり前だから」
 いるのが当たり前、か。
 母が側にいることが当たり前と思えなかったから、あの人の近くにいたら息の仕方を忘れてしまうほど、苦しかったのだろうか。
 上総がお風呂からあがってきた。さすがにあの真っ赤な狩衣は目立ちすぎるので俺の服を貸したのだが、はるちゃんとは違ってちょうどいい大きさのようだ。
 これからどうしようか相談しようとしたところで、来客を告げるインターホンが部屋に鳴り響いた。
「なんじゃ?」
 はるちゃんは不思議がっていたが、俺は無視することにした。現在、朝の九時前。そんな時間にやってくる人間なんて、たいていはろくでもないのだから。
「ムツキ、いいのか?」
「いいよ」
 呼び出し音はしばらくして消えた。かと思ったら、また鳴り始めた。しつこいなぁ、もう。
 インターホンまで行き、液晶画面を見て、そこにいるはずのない人物がかなり不機嫌な顔で映っているのを見て、あわてた。
「もっ、もしもしっ?」
 受話器を取り落としそうになりながら出た。
『下に行ったらいなかったから』
 俺はあわててエントランスの解錠ボタンを押し、訪問してきた人物を中に招き入れた。
「どうした、なにがあったのか?」
 はるちゃんは興味津々に俺にまとわりついてくる。
「人が来るんだよ」
 どういう風の吹き回しなんだろう、ここに訪ねてくるなんて。
 はるちゃんは俺にしがみついて離れてくれないのでそのままひきつれて玄関へと向かった。鍵を開け、扉を開いて訪問者がやってくるのを待っていた。
 エレベーターが到着した音がして、硬質な音が廊下に響く。中から出てきたのは。
「……だれじゃ? ムツキに似ておるが、血縁者か」
 はるちゃんのつぶやきに、俺は思わず視線を下に向ける。はるちゃんは向こうから歩いてくる男をじっと見つめている。
「ああ、それがおまえの友だちとやらか」
「あの、仕事は?」
 俺の質問には答えず、はるちゃんをじっと見つめ、それから当たり前のように玄関をくぐりぬけて中へと入った人物は。
「匂いも一緒なのじゃ。ムツキの兄か?」
 はるちゃんのするどさに俺は思わず感心してしまった。本能で生きているな、本当に。
「よく分かったな」
 靴を脱いで廊下に立った人物は、椋野秋孝(むくの あきたか)という名の俺の兄貴だ。西洋の彫刻のように彫が深くて精悍な顔をした見た目の兄貴に対し、同じ両親から生まれたとは思えない優男な俺。まったく似ていない。一発で兄弟だと指摘されたのは、生まれて初めての出来事だ。
「類は友を呼ぶ、か」
 兄貴はそうつぶやき、ホールを抜けてリビング・ダイニングへ向かった。どういう意味だよ!
 俺の記憶が確かなら、兄貴はここに来るのは二度目のはずだ。
 はるちゃんはぴょんと飛び跳ね、兄貴を追いかけて行った。リビング・ダイニングから声が聞こえてくる。兄貴は上総と遭遇したのだろう。玄関をしめて、中に入る。
「なるほど。蓮が驚いて朝一番で報告してくれたわけだ」
 そういうことか。そうでもない限り、兄貴がここに来るわけがないもんな。
「その耳は自前か」
 兄貴は上総とはるちゃんを見て、まずそのことを指摘している。
「そうじゃ」
 兄貴は確認のためにはるちゃんと上総の耳を触っている。はるちゃんはそれほど嫌がっていないが、上総は両手で耳を押さえて触られることを拒否している。それでも兄貴は触り、
「犬と同じ感触がする」
 やっぱり、コスプレではなかったのか。いや、分かっていたことなんだが、あまりにも有り得ない状況なので現実逃避をしていたのだ。
「それで、おまえたちはどこからきた」
「わらわたちの住んでいたところは別の世界のようなのじゃ」
 兄貴は腕を組み、交互に二人を見ている。
「おまえたちはなにが目的でこの世界へやってきた」
 兄貴のあまりにも直球な質問に思わず目が点になってしまった。
「目的と言われても、いきなりこちらにやってきたのじゃ」
「自ら進んできた、というわけではない」
「そうじゃ」
 兄貴はそれを聞くと、腕を組みかえて俺に視線を移した。
「おまえのことだから、拾ってきた犬の感覚で同情して、ここに住まわせることにしたんだろう」
 拾ってきた犬……。間違いないな、拾ったのは文緒だが。
「わかった」
 なにが分かったのか、兄貴はいきなり立ち上がり、部屋から出て行こうとしていた。
「兄貴?」
「二人の服が必要だろう。あとは深町にさせるから」
 深町さんの名前を聞き、あわてた。
 重枝深町(しげえだ ふかまち)、兄貴の第一秘書をやっている人だ。とても優秀な人なんだが、柔らかな物腰に優しそうな見た目からは想像がつかない毒舌の持ち主だ。確かに服に関しては困っていたところだが、兄貴に頼るつもりはなかったし、ましてや、その兄貴の第一秘書である深町さんを使うなんて、恐ろしい。
「そういえば、二人の名前を聞いていなかったな。オレは睦貴の兄の秋孝」
「わらわは姫青、こちらは後見人の上総じゃ」
「姫さまっ、どうしてあなたは簡単に名乗るのですかっ」
「きはる? どのような漢字なんだ」
 俺もそれはずっと気になっていたので、いい質問だ、グッジョブ兄貴と思った。
 メモ用紙とボールペンをはるちゃんに渡す。ボールペンを不思議そうに見て、
「ムツキ、これはどうやって使うのじゃ」
 と聞いてきた。ノックして手渡すとはるちゃんは何度も押してペン先を出したり入れたりして喜んでいる。
 しかし、目的を思い出したらしく、紙に「姫青」と書いた。思った以上に達筆で見た目とアンバランスだ。
「これで姫青じゃ。そういえばムツキ、おぬしの名前、どう書くのか知らぬのじゃが」
 はるちゃんが前に言った通り、俺は一月生まれだ。しかし、睦月とは書かないで睦貴なのは、親父の一文字をもらったからだという話を聞いたことがある。
「こう書くんだよ」
 はるちゃんからボールペンを受け取り、姫青と書かれた下に「睦貴」と書いた。
「アキタカはどう書くのじゃ」
 はるちゃんは俺からボールペンを受け取り、部屋から出ようとしていた兄貴のところまで行って書いてもらっていた。
「上総はこう書くのじゃ」
 予想通りに「上総」と書かれていた。
「姫青に上総か。困ったことがあったらいつでもオレに頼ればいい。遠慮はするな。睦貴の大切な友人だからな」
「いや、友人じゃないし」
 どうして兄貴がそんなことを言ったのか分からなかった。人づきあいが苦手な俺としては学生時代から友人どころか友だちもいなかったし、それで特に困ったこともなかった。
「上総は睦貴とあまり体型が変わらないんだな」
 上総が俺の服を着ているのを見て判断したらしい。
「姫青は文緒より背が低いのか。百四十くらいか?」
 必要と思われる情報を入手すると、さっさと兄貴は帰って行った。

 はるちゃんは兄貴がいなくなってすぐにまたもや探索を始めた。そろそろ止めようかとしたころ、またもやインターホンが鳴った。エントランスの様子を映しているカメラには深町さんとその後ろに二・三人ほど見える。
「おまえたちはとりあえず寝室にいろ」
 徐々にこの二人を人目に触れさえてはいけないのかもしれないという思いが出てきた。
 連城家の人や兄貴や深町さんは信頼に値する人たちなのでいいが、その他の人たちは兄貴を疑うことになるかもしれないが、もしかしたらはるちゃんと上総の仇となる人物が紛れ込んでいる可能性がないとも限らない。二人はおとなしく寝室へと入ってくれたので助かった。
 深町さんは大量の服とともに現れた。
「秋孝から依頼されて持ってきたのですが、どこに置けばいいですか」
 深町さんの後ろから移動式のハンガーラックを業者の人が三本ほど押してきていた。そのラックには無理矢理といった感じで服が掛けられている。
 兄貴、どれだけ注文したんだ。この短時間でよくこれだけの物を揃えられたものだ。
「リビングに運んでください」
 大量の荷物を一時的にでも入れられるのはそこしかない。しかしこれ、どこに納めよう。
 業者は搬入が済むとすぐに帰ったようだった。深町さんはにこやかな笑みを浮かべてリビングの椅子に座っている。
「二人とも、出て来ていいぞ」
 寝室に呼びに行くと、はるちゃんは外を窺うようにして出て来て、さらにはリビングに入る時もものすごく慎重に入ってきた。
「これはだれじゃ」
「さっき話していた深町さん。兄貴の第一秘書だよ」
 はるちゃんはおびえたように俺の後ろに隠れて深町さんを見ている。
「おはようございます。重枝深町といいます」
 深町さんは立ちあがり、俺の後ろに隠れているはるちゃんをのぞきこむようにして挨拶をしている。
「おぬしは悪い奴ではないのか」
 はるちゃんの質問に頭が痛くなった。深町さんを見ると、若干表情がひきつっているような気がしたが、それでも微笑んでいる。
「僕が悪い奴なら、秋孝は悪代官、睦貴なんて変態でヘタレニートでロリコン、となりますよ」
 深町さん、相変わらずの毒舌で俺はそれだけで落ち込むよ。変態でヘタレニートまでは認める。しかし、断じてロリコンではないっ!
「また睦貴はこんな幼女を手なずけて。文緒が嫉妬しますよ。それとも、ロリコンを通り越して」
「わーっ! 誤解だっ! 俺はロリコンでも断じてそれ以上でもないっ」
 深町さんが口にしようとしていた言葉を遮った。なんてことを言うんだっ。
「これらの服は秋孝からイメージを伝えられて僕が見つくろったものです」
 深町さんはそれだけ伝えて帰ろうとしている。
「こんなに必要ないですよ。それに、置き場所がない」
「そうですか? それなら、必要なものだけ選んでおいてください。夕方、引き取りにきます」
 それだけ伝えると深町さんは帰って行った。







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