【四話】きっかけなんて本当は些細なものなんだ《後編》

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 部屋から出て行ってもはるちゃんはなにかにおびえたように俺にしがみついている。一体、どうしたのだろう。
「はるちゃん?」
 振り返り、はるちゃんを見る。
「フカマチと言ったか。怖いのじゃ」
「怖い?」
 確かに、物腰が柔らかそうでいて性格はそうではないから怖いと思われても仕方がないが、このおびえ方はちょっと異常のような気がする。
「深町さんは信頼していい人だよ」
「違うのじゃ。深町という者は秋孝が信頼を寄せているというのだからいいのじゃ」
 深町さんのことは怖くないけど怖いってどういう意味だ。
「なにか分からぬが、怖いのじゃ」
 はるちゃんは本能で生きている部分が大きいようだから、よく分からない。
 気持ちを切り替えさせるためにはるちゃんに深町さんが持ってきてくれた服を見せる。
「気に入ったのを何点か選んで」
 服を見て、おびえて顔色が悪かったはるちゃんの頬が赤く染まる。
「すごいのじゃ!」
 こういうのを見ると、女の子なんだ、と思う。はるちゃんは喜んで服を漁り始めたのだが、それほど広くないここでこの量の服を広げられるのは困る!
 急いで下の管理人室に連絡を入れ、隣のマルチスペースの今日の予約状況を確認する。今のところはだれも利用者がいないらしいと知り、今日一日、俺が使う旨を伝える。鍵は持っているのでハンガーラックを引っ張ってマルチスペースへと向かった。鍵を開けて一番にはるちゃんが中へと入る。
「広いのじゃ!」
 とはしゃいでいる。悪かったな、俺の部屋は狭くて。一人で住むのにはちょうどいいんだ、あの広さが。高校時代から一人暮らしをしているのだが、不満に思ったことはない。
 ハンガーラックから服を取り出して大きな鏡の前で当てて選んでいる。上総も同じように服を選んでいる。
「睦貴、これなんかどうじゃ?」
 はるちゃんは誇らしそうな表情で服を当てて、俺に見せている。その服は、黒いチェックの丈の短いスカートで、裾には繊細で豪華なレースが施されている。それに合わせて白いブラウス。ブラウスにもギャザーにレース。世間的には「ゴスロリ」と言われる種類の服のようだ。
「こちらはどうじゃ?」
 今度はかっちりとしたスーツ。フォーマルからカジュアルな服までほぼすべてと思われる服が網羅されているようだ。本当に短時間でよくこれだけのものを集められたな、さすがだ。
 上総はあの大量の服の中から数点のみを選んだようだ。
「それだけでいいのか?」
 自慢じゃないが、洗濯だとかそういったことは一切できないから、ハウスキーパーさんとクリーニング任せ。だからもっと服を選ぶように言うと、またもや真剣な表情をして選んでいる。
「睦貴、これはどうじゃ?」
 真っ白なドレスを手にはるちゃんはくるくると回っている。ドレスはさすがに要らない。
「どれがいいかなぁ」
 気がつくと、はるちゃんの周りは山のような服。
「選べないのじゃ、睦貴が選んでくれ」
 はるちゃんに促され、動きやすそうなシンプルな服を選ぶ。
「睦貴の好みはこういうのなんだな」
 腕を組んで、俺が選んだ服を見てうなずいている。好みかと言われると、好みなんだろう。
 服を選んで一つのハンガーラックに上総とはるちゃんの服をかけ、残りは二つのラックに無理矢理かけた。
 ふと時計を見ると、すでにお昼前。服選びに意外に時間がかかってしまったようだ。
 必要のない服はこのままここに残し、またもやハンガーラックを引っ張って部屋に戻る。
 二人とも早速、真新しい服に着替えた。その耳がなければなぁ。
 さてこれ、どこに置こう。悩んで、寝室のウォークインクローゼットの中に無理矢理に入れた。

 お昼は蓮さんがお弁当を作ってくれている。あれだけの朝ごはんを作りながら、連城家分に俺のとさらに今日からはこの二人分もあるのだ。食材の買い出し、行っておいた方がいいのかな。行きたいけど、この二人を連れては無理だし、ましてや、留守番させるのも激しく不安だ。
 そう考えて、今までの自分はいかに自由だったのかを知った。それなのに自らの足に枷をはめて動けない振りをしていた。別に今まで、だれかが俺の行動を制限していたわけではない。動物病院だって開店休業中だし、診療もしていないのに律儀に毎日、あそこにいなければいけない理由もなかったわけだ。
 そもそもどうして俺が獣医になったのかというと、動物が好きだったのはもちろんあるのだが、半分が母への当てつけだ。子どもっぽい理由だと自分でも分かっている。しかし、獣医になるからにはきっかけはともかくとして、生半可な気持ちでなるつもりはなかったので、かなり勉強はした。卒業する前にはあちこちからうちで働いてほしい、というオファーをもらったが、すべて断った。もったいないと言われたが、大半が椋野の名前に群がってきているやつらだった。兄貴と親父は俺の意見に同意してくれた。
 卒業して一・二年はこの部屋でぼんやりとその日をただ生きていた。連城家には毎日のように迷惑をかけ、自分でもどうにかしなければという思いを抱えながらも、どうすればいいのか分からず、無気力に生きていた。そしてもともと住んでいるこのマンションの下のスペースに入っていたテナントが撤退したのを機に、俺はそこに診療所を開所した。
 したのだが、今まで俺は、動物を一匹も診たことがない。
 獣医になっておきながらだが、動物との別れは人間との別れ以上に辛い。俺はその別れが怖くて、未だに診療中の札を外に出したことがなかった。
 親が金を持っているからできることなのだ。すねをかじって俺は生きている。甘えているという自覚は持っているのだが、今までこうやって生きてきた人間が明日からいきなり変われるかと言うと、それは難しい。きっかけがあればいいのだが、残念なことに今まで、そういう機会に巡り合わなかった。俺は生まれ変わりたいと思っていた。このありふれた昨日と今日、何一つ変わらない日常から抜け出したいと願っていた。そう、昨日まではそう願っていたんだ。
 しかし実際、その変わることができるかもしれないチャンスが巡ってきたら、それまでの退屈でしかたがないと思っていた日常が恋しくなる。
 はるちゃんと上総は明らかに昨日の生活にはなかった要素だ。たまたま巻き込まれてしまった俺は、この二人が元の世界に戻るための道を探すことを強制的に手伝わされることになるのだろう。俺はどうやらはるちゃんのご主人らしいから。
 俺たちは蓮さんお手製のお弁当を温めて食べる。はるちゃんは美味しいと嬉しそうにおかずにフォークを突き刺して食べている。上総は箸を使うことに慣れた様子で、ぎこちない部分があるものの、それでも問題なく食べている。
「ところで」
 食事を終え、お茶を飲みながらまったりしている二人に俺は質問することにした。
「元の世界に戻るのにはどうすればいいのか、分かるか」
 はるちゃんと上総の二人は力なく首を横に振った。
「手掛かりはなにも?」
「なにもないのじゃ」
 即答かよ!
「昨日、偵察とかいうカラスが来ていたけど、あれは?」
 はるちゃんと上総二人だけが別の世界から来たのだと思っていたのだが、そのあたりはどうなのだろうか。
「分からぬ。寝ているところをいきなり襲われ、わらわを助けに来てくれた上総と二人、強烈な光に包みこまれたのじゃ」
 寝込みを襲われた、ということか。なんとも不憫な。安心して眠れないな。
「手薄な時を狙ってくるとは、なんとも卑怯です」
 上総は悔しそうに震えるこぶしを睨みつけている。
「われらは新月の夜のみ、力が使えないのです。向こうも条件は同じ。だから油断していた」
 新月の夜は家にこもり、外に出てはならないというのがはるちゃんたちの世界の常識らしい。
 はるちゃんはうなだれている。それにしても、情報が少なすぎて判断ができない。
「話がまったく見えてこないので質問をしてもいいか?」
「答えられる範囲のことならいいぞ」
 なにから聞けばいいのか少し悩む。
「まず、何度も出て来ている『へきよー』というのは?」
 どうやら人の名前ではるちゃんの弟らしい、というのは話の流れで分かったのだが、姉弟げんかにしては規模が大きいような気がしてならない。
「碧陽というのは」
 とはるちゃんは紙に「碧陽」と漢字を書いてくれた。
「わらわの弟なのじゃ」
「姉弟げんか?」
 兄貴はいるが、けんかをしたことがない。同じお屋敷の中に住んでいたが、広い上に生活空間がまったく違っていたため、実はほとんど顔を合わせたことがない。血を分けた兄弟だという認識はあるが、あまりそういう実感がない。
「違うっ」
 はるちゃんは即否定したが、上総は眉間にしわを寄せて口を開く。
「姫さまがおっしゃる通りですが、違うのです」
 意味が分からないんだが。
「姫さまはわれらの世界の次期統率者となるお方。弟君はそのことが気に入らないらしく、転覆を企てていたのです」
「違うのじゃ。あれは心優しく」
「保守的な姫さまに対してあちらは革新派が多く、滅びゆくわれら種族を憂いて革命を起こそうとしていた」
 上総の言葉にはるちゃんは湯呑を握りしめる。
「姫さまは碧陽がどういう人物か知らないのです。いつまでも小さい時のか弱く守らなくてはならないという認識をお捨てくださいませ」
「おまえたちこそ碧陽のことが分かっていない!」
 はるちゃんはそう叫ぶが、真実は上総の言っていることなのだろう。昨日のカラスだって碧陽の偵察だということだ。
「はるちゃんの代わりに統率者になり変わろうとした碧陽が新月の晩に襲ってきて、わけのわからないうちにこちらにやってきてしまった、ということか」
「……今までの話が事実ならばそういうことになるのじゃ」
 はるちゃんはまだ碧陽がやったということを信じられないようだ。
「俺とは違って弟くんは野心的だな」
「どういうことじゃ」
 はるちゃんの質問に俺は笑うことで答えにした。
「大体分かった」
 椋野家も一時期、そういう事態になりそうだったのだ、母のせいで。
 兄貴は椋野家の長男として生まれ、総帥になることがその瞬間に決定づけられた。小さな頃からそのための勉強をさせられ、内心ではどう思っているかはともかくとして、親に従順だ。
 それなのに母は俺を総帥にしようとたくらみ、兄貴に対して色々とやったらしい。俺が知ったのは、母から逃げるようにしてこのマンションへやってきてからずいぶん後の話だ。
 突然、なにも連絡もなしに兄貴が訪ねて来て、ことの顛末を淡々と語ってくれた。
 俺は話を聞かされるまでそんなことがあったなんて知らなかった。なにも知らずにいたことに対して、兄貴に申し訳なかった。そして、そのことについてきちんと教えてくれたことに感謝した。その中で今でもはっきり覚えている言葉がある。
『おまえはオレのことを殺したいほど憎んでいるのだと思っていた』
 と。
 どうしてそんなことを思っていたのか、その時は分からなかった。話を聞くまで、母が兄貴に対してなにをやっていたのかなんて知らなかったのだから。
『オレは先に生まれた、というだけで総帥にならなくてはならない。もしも睦貴が総帥になりたいと言うのなら、喜んでその座をすぐに明け渡す』
 俺は即座に否定した。兄貴には悪いが、総帥になる気はないし思ったこともない。この先だって絶対にそんな気持ちになることはない。
 その言葉を聞いた兄貴は複雑な表情をしていた。安堵しているようながっかりしているような、なんと言っていいのか分からない表情。
「はるちゃんはどうしたいんだ」
 本当に帰りたいと思っているのだろうか。
「帰りたいに決まっているだろう」
 思ったよりも強い口調で言われて、なぜかホッとした。







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