【七話】風と共に走れって準備運動くらいさせろよ!《前編》

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 最初は分からなかった。はるちゃんはたくさんの犬にのしかかられていた。小さな変化。
 一番外側の犬が驚いたように山から飛び降りた。それに続くように犬はおびえたように次から次へと外側から地面へと降り、先を争うようにどこかへと逃げて行く。俺たちを襲っていた犬たちも耳を伏せ、しっぽを足と足の間に隠して情けない声を上げながら逃げて行く。
 はるちゃんの上に乗っている犬たちがだんだん減ってきて、その隙間から光があふれてきた。犬たちはある程度、山が崩れてきて、先を争うようにはるちゃんから逃げて行く。はるちゃんの上にいた犬も俺たちのことを襲っていた犬もすべてがどこかへ逃げて行った。
 まばゆい光がおさまり、そこには鏡の中で見たあの美女が立っていた。
 あのぉ、どちらさまですか? はるちゃんはどこに行ったの?
 はるちゃんを探して周りを見るのだが、いない。むしろ、光の中から現れた美女ははるちゃんが着ていたものを身につけている。まさかとは思うけど。
「はるちゃん……?」
 俺の質問には答えず、黒髪の美女は上総が姉崎と桜井と呼んだ男二人を睨みつけている。茶髪と赤髪の男は青ざめた表情で地面にのめり込みそうな勢いで土下座した。上総もあわててひざまずいている。
「姫さま」
 上総の感極まった声に、疑問は確信に変わった。黒い犬が人間体になるんだから、それが幼女から美女になっても、もう驚かないよ。
「睦貴のお陰で本来の姿に変わることができたようじゃ」
 本来の姿? え、はるちゃんって幼女じゃないの?
「姉崎、桜井。今ならおぬしたちを許そう」
「姫さま、この二人は牙を向けたばかりか、やってもいない罪をなすりつけてきたのですよ。それをお許しになるとは!」
「上総。今ここでこの二人を糾弾したところで、何一つ変わりはしない。わらわは元の世界に戻りたいのじゃ。そのためには今は少しでも情報がほしい。おまえたちはどうやってこちらにやってきたのじゃ」
 はるちゃんの質問に、二人は無言だ。
「わらわはどうやらだれかにはめられたようじゃの」
 悲しそうにつぶやく声になんと言っていいのか分からない。
 はるちゃんは長い黒髪をなびかせ、二人の男の元へ歩み寄り、膝をついて顔を上げるように促した。
「顔をあげてわらわに知っていることを教えてほしい」
 二人はそれでも顔を上げない。嗚咽が聞こえてくる。どうやら泣いているようだ。
「姫さま……」
 赤髪の男は下を向いたまま、すすり泣きながらはるちゃんに聞こえるくらいの小さな声でなにかを話している。はるちゃんは眉間にしわを寄せたまま、話を聞いている。
「分かった。ありがとう」
 はるちゃんはこんな場面だというのに、ふんわりと笑った。思わず見とれるほどの笑顔。
「よし、広場に行こう!」
 次の瞬間には、はるちゃんはまたもや幼女に戻っていた。
「なにをしておるのじゃ、せっかく来たのに! いつまでここにいるのじゃ」
 明るい声をあげているが、それは明らかに空元気と分かる。赤髪の男がなんと話したのか分からないが、色よい話は聞けなかったのだろう。もしかしたら、最悪な話を聞いたのかもしれない。上総は話が聞こえていたのだろう、今にも泣き出しそうな表情をしてはるちゃんを見ている。もしかしたら周りにだれもいなかったら泣いているかもしれない、そんな感じだ。
 俺ははるちゃんがこの沈んだ空気を振り払いたいのに気が付き、だけどそのことに気がつかないふりをして声をあげる。
「広場までだれが一番早いか、競争するか!」
「わらわが一番に決まっておる!」
 文緒も意図を分かってくれたようで、よーいどん! と言ってくれている。
「おいおい、荷物を放り投げていくのだけはやめてくれよ」
 後方で蓮さんが文句を言っている。俺は百八十度回転して、蓮さんの元まで行った。荷物を持つと、無言で蓮さんに肩を叩かれた。
「睦貴が最後じゃ!」
 気がついたら、はるちゃんと文緒はずいぶんと先まで行っていた。
「おまえたち二人も来いよ」
 未だに地面にうずくまっている二人に声をかける。
「おぬしは……」
「はるちゃんいわく、俺ははるちゃんのご主人らしいよ?」
 ご主人というとなんだか偉そうだけど、はるちゃんがもともとはあの黒い犬ということを考えたら、俺は飼い主という意味のご主人、なら意味が分かる。ペットの犬を甲斐甲斐しく世話をしている気分だ。
 茶髪と赤髪の二人は涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔をお互い見合わせ、俺に向かって土下座をしている。なんかよく分からないんだけど。
「顔をあげてくれないか」
 そう言っても二人は顔を上げない。二人の扱いに困っていたら、はるちゃんが戻ってきた。
「睦貴、遅いぞ!」
「はるちゃん、ちょうどいいところに。この二人をこのままここに放置しておけないだろう」
「うむ。おぬしたちはなにをしておる。わらわはおぬしたちを許したのじゃ。上総の下に戻って今まで通り、上総を助けてやってくれないか」
 どうやらこの二人は上総の部下のようだ。よくわからないけど、上総は偉い人らしい。
「しかし、われらは姫さまに刃をむけました」
「上総さまもお怒りですし……」
「しかし、おぬしたちもあちらへは戻れないのじゃろ? こちらの世界でどうやって生きて行くつもりなのじゃ」
 答えが返ってこない。
「問題は寝る場所なんだが、袖振り合うは多生の縁ってやつだ。これ以上、増えたら面倒は見切れないけど、来てもいいぜ」
 二人は地面に突っ伏して、声をあげて泣き始めてしまった。はるちゃんと上総でさえ泣いてないのに。
「ううう、ありがとうございます」
 鼻水と涙で顔をぐちゃぐちゃにさせ、地面に顔をこすりつけたのもあるようで、泥だらけになっている。これはひどい。
 蓮さんも戻ってきてくれて、その手には感心にも濡れタオルがあった。どこまでこの人は気が利くんだ。タオルを受け取った二人は顔をぬぐったにも関わらず、また泣き始めた。なんだこの泣き上戸は。
「とりあえずその二人、腹が減ってるんじゃないのか」
 なるほど。
 泣いている二人を立たせ、広場へと向かう。時計を見ると、そろそろお昼。レジャーシートが敷かれ、その上には蓮さんお手製のお弁当が広げられていた。うわぁ、美味しそう。
 お皿に適当に料理を取り、二人に手渡すと手づかみで食べ始めた。相当腹が減っていたらしい。俺たちもそれにつられるようにして食べ始めた。
 ポットには温かいおみそ汁もあり、身体にしみわたる。はー、美味い。幸せだ。
 重箱に何段もあった料理たちはあっという間になくなった。姉崎と桜井の二人が増えたことで、若干足りない。その二人はお腹一杯になり満足したらしく、ようやく落ち着いたようだ。
「本当に色々と申し訳ございません!」
 姉崎と桜井の二人は、改めて土下座をしている。はるちゃんは文緒と二人で広場を走りまわっているし、上総はシートの端に丸くなって犬の恰好で寝ている。これはなんだ? 俺がどうにかしろ、ということなのか?
「あの二人に聞いても若干、分からないところがあるから教えてほしいんだが」
「なんでございましょう、ご主人さま」
 土下座のまま、顔だけあげて上目遣いにそう聞かれても、男相手には萌えない!
「ああもう、うっとうしい! 普通に座れっ!」
 油断するとまた土下座しそうだったので、土下座禁止令を申し渡しておいた。なんでそんなの出さないといけないんだよ、おかしいだろ。
「おまえたちの上司は上総なのか?」
「はい、わたしたちは上総さまの下におりました。上総さまは姫さまのお側にずっとついて、お守りしています。わたしたちは上総さまが動けないときなど、危険を排除する役割も担っておりました」
 上総のほかにも姫付きの者が何人かいるようなのだが、現在は行方が分からなくなっているらしい。
「どうして?」
「新月の夜、事件が起こりました。われらはその日、警備の番ではなく、それぞれの自宅に待機しておりました」
 茶髪の姉崎の説明を継いで、赤髪の桜井が続ける。
「おれたちは緊急事態の鐘の音で事態を知り、駆けつけた時にはすでに姫さまと上総さまはおらず、見知らぬ男が姫さまが柳姫さまを葬り、逃げたと聞かされ、おれたちは姫さまを追った」
「見知らぬ男?」
 はるちゃんの弟だという碧陽ではなくて?
「碧陽さまではないです」
「そういえばあの男には耳としっぽがなかった」
「人間臭かったよな」
 耳としっぽがなくて人間臭い? うーむ、謎が増えたような気がする。
「そういえば、さっきから名前が出て来ている『りゅーき』さまってだれ?」
 俺は懐にしまっていたメモ用紙とボールペンを出して、漢字を書いてもらった。
「柳姫さまは姫さまのご母堂でございます」
 母親?
「われらの世界では代々、統治者は姫でした。姫が国を治め、王が制圧する」
「姫さまもそのおつもりで柳姫さまの補佐をされていました。しかし」
 二人は同時にうなだれた。
「新月の晩、われらの力は弱まります。その隙をつき、柳姫さまは何者かに殺されました。その見知らぬ男は姫さまを見かけたと言う。姫さまの住まいに駆けつけると」
「もぬけの殻だったんだ。新月の夜は家でおとなしく過ごすのがおれたちの昔からの習慣だ。それをやぶっていなくなっていたんだ」
 はるちゃんと上総の話によれば、たぶん同時刻くらいのタイミングで何者かに襲われて、逃げ出し、こちらの世界へとやってきたみたいだ。
「その男が今回の事件の鍵を握っていそうだな」
 向こうの世界のこともまったく分からない上に、その見知らぬ人間らしい男、なんてあいまいな情報しかないというのは、砂漠の砂の中から一粒を見つけるような作業だ。
「ところで、なんでおまえたちはその見知らぬ男の言うことを信じたんだ?」
 俺の指摘に二人は同時に目を見開き、お互い、顔を見合わせている。をい、ちょっと待て。おまえたち、基本は犬なんだろう? もっと番犬としての誇りを持てよ!
「なんででしょうか」
 不思議そうに姉崎は首をかしげている。猫ならまたたびの匂いにやられてころりとだまされた、というのはありそうだけど、犬ってなんかそういうのってあるのか?
「言われてみれば、どうして信じたんでしょうか」
 二人は顔を見合わせて相談を始めてしまった。
 上総みたいに警戒心の塊みたいなのもいれば、この二人のようにかなり抜けているのもいる。はるちゃんなんて本能のみで生きているっぽい。人間にも性格差があるように、犬にもあるということか。まあ、人間体を取れるくらいだから、犬というより人間に近いような気もするが。
 はるちゃんたちをはじめ、別の世界からやってきたという人たちを犬だという前提で自分の中でおさまっていることに気が付き、苦笑する。別の世界があること前提だな、これだと。
 やっぱりいくら説明されても、自分がいるこの世界以外に別の場所があるとは思えない。
 母の元にいた頃、俺の逃避方法は勉強か読書だけだった。さまざまな物語を読んだが、別の世界に連れて行ってくれるような奇跡は起こらなかった。世界をそのまま受け入れるか、嫌な状況を自らの力で打破するしかなかった。どれだけ母のいない世界へと行きたいと願ったか。
 別の世界などないと諦め、マンションに逃げ込み、ようやく俺は息ができるようになった。
 実年齢は三十を過ぎているが、母の元から離れたことで俺はようやくこの世に生を受けたから、文緒と変わらぬ年齢だと思っている。
 十六年。ずっと俺は母に反抗してきた。会いたいと言う母を拒否し、存在を否定した。
 ずっと俺は死ぬまで母に反抗し続けると思っていたが、はるちゃんの母である柳姫が殺されたと知り、自分の母の命も永遠ではないと分かり、自分の中でなんとも言えない気持ちが生まれた。それはまだ、きちんとした形になっていない。漫然としかないが、このままではいけないというのは分かった。
 どうすればいいという具体的な物はないが、はるちゃんたちが元の世界に戻れた時に答えが出るような気がした。その答えを得るために、俺は協力しなくてはならない。きっかけなんて、本当に些細なことだ。それに気が付き、つかんで形にできるかどうかで人生が変わる。俺はずっと、変われるきっかけを探していたんだと気が付いた。
「睦貴も一緒に走ろう」
「は? 走る?」
 走ってなにが楽しいんだ? と思う間もなく、はるちゃんに無理矢理立たされ、腕を思いっきり引っ張られた。ちょっと待てって! 運動不足の三十路超したおっさんをいきなり振りまわすな!
「睦貴、遅いのじゃ!」
 風を切り、楽しそうに走りまわっているはるちゃんを見ると、やっぱり犬なんだなぁ、と妙な感心をしてしまった。
 ちょっと走っただけで息が上がってしまった俺は情けなくも芝生の上に座りこんでいたら、元気よく走ってきた文緒が俺の横に座った。文緒とともにやってきた風は、文緒の匂いを俺の鼻先に運んできた。それだけで妙にドキドキしてしまう。どうしたんだろう、俺。ここのところずっとなんかおかしい。
「睦貴先生、情けないなぁ。今度、蓮と一緒に柔道の練習、しようか」
 遠慮させていただきたいと思います。
 しばらく二人で並んではるちゃんが走りまわっているのを見ていた。
「睦貴先生は好きな人、いるの?」
 脈略もなくいきなり聞かれ、動揺してしまった。
「なっ、なんだ、いきなりっ」
 俺はあわてて文緒を見た。正面を向いたまま、少し悲しそうな表情をしている。
「私はいるよ。いるけど、全然気がついてくれないの。ずっと好きなのに、きっとにぶい人だから、言わないと分かってくれないんだろうな」
 切ない表情になんと声をかけていいのか分からなかった。いつも楽しそうに笑っている顔しか知らないから、そういう表情をしている文緒はなんだか急に俺が知らない存在のような気がした。遠くに行ってしまいそうで、とっさに文緒の手を握りしめていた。
「睦貴先生?」
 戸惑った表情で顔をこちらに向けてきたので、手を離そうとしたら、逆に握り返された。
「少しだけでいいから、こうしていて」
 思ったより力強く握られた手。だけどそれは嫌ではなくて、できることならずっと繋いでいたかった。繋いだ手が心臓になったかのように脈打ち、熱くなってきた。汗ばんだ手が不快かな、と思って離そうとしたが、文緒の手も同じように湿っぽかった。なんだか今さらだけど、お互いが緊張している。……中学生かよ、俺。
「文緒ー!」
 はるちゃんは文緒に気がついて、声をかけている。文緒は握っていない手を挙げて振りかえしている。
「私、行ってくる!」
 文緒は立ちあがり、少し名残惜しそうに手を離して走っていった。文緒のぬくもりを忘れたくなくて、手を繋いでいた手のひらを握りしめた。







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