《十四章》「蓮の気持ち」

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 蓮はひとり部屋に帰り、ため息をついた。さっきまで奈津美がいた部屋。狭い家なのに、今日は妙に広く感じた。
 奈津美のことは、入社前から知っていた。面接の日、迷っていたオレに部屋を案内してくれた。奈津美はたぶん、覚えていないだろう。
 美人ではないが、可愛い部類に入る顔。笑った時のえくぼが可愛い、と思った。
 次に出会ったのは、噴水に腰かけていた。入社してすぐに名前を調べて知っていた。そのまま素通りしようとふと見たら、泣いていた。びっくりして、つい、声をかけていた。
 仕事の失敗で泣くような人ではないのは知っていたので……明らかに失恋で泣いていることがわかって……胸が痛んだ。その時、特に恋愛感情があったわけではない。なにもしてあげられなくて、そばにいてあげることしかできなかった。
 そしてまさか次の日にあそこで出会うとは、思っていなかった。
 一緒に働いて、「仕事馬鹿」だけど、本当は傷つきやすくて。……気がついたら、好きになっていた。
 仕事をしているときのきらきらした瞳。
 本人には自覚がなさそうだが、奈津美の笑顔は人を幸せにする力がある。あの幸せをもらえる笑顔に、たぶんオレは惹かれたんだ。
 今日、つい自分の家に上げていたが……。あの淋しそうな顔を思い出したら、なにもできなかった。
 しかしだ、あれは危なかった……。あのエプロン姿は違反だろう!後ろから抱き締めて、押し倒しそうになった。
 でもまだ、奈津美の中にはあいつの影が消えてなくて。ぐっと押さえられて、結果、よかったんだか悪かったんだか。
 と急に、携帯電話が鳴った。だれからの着信かも見ずに、あわてて出た。
「はいっ」
 思ったより、声が上ずった。
『やっだー、お楽しみのところだった?』
 姉の葵からだった。
「ちょ! 違う!」
『振られた? それとも、我慢しちゃった??』
「!!!」
 おまえは見ていたのか!? ってくらい、的確にオレの心を読むな!
『あら、図星か。珍しく奥手なんだー』
「ちょ、ねーさん……」
 蓮はがっくり肩を落とした。葵からの電話だとわかっていたら、もうちょっとうまく出たのに。
『あんた、さんざん女の子、泣かしてるもんねー。そのあんたが、我慢してるってそれだけ本気なんだねー。まぁ、ちょっと早い気もするけど、いいんじゃない?』
「なんの話だ、なんの」
『あ、違った?』
 この二つ上の姉は、そういう妙なところで感が鋭い。でも、こと自分のことになると、鈍感なんだけどな。
「で、お忙しいおねーさまがなんの用ですか?」
『あ、そうそう。かわいい弟をいじめる時間がないくらい、私、忙しかったんだ』
 葵にわからないように、蓮はため息をついた。
『日本でのコンサート、決まったから連絡したんだけど。その様子だと、チケット2枚必要ね。送っておくから』
「あ、いや」
『じゃあね?』
 と用件だけ伝えて、勝手に切られた。
 たまに自分の姉は、エスパーなのではないかと思うことがある。とりあえず、チケットを口実にまた奈津美を誘えるな、と思ったのは……仕方がない。


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