《十六章》「始動」

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「一之瀬さん、蓮、やりましたよ!」
 第4課に戻るなり、奈津美は笑顔で報告した。
「ほう、やりましたか」
「はい!」
 奈津美は一之瀬と蓮に指示をして、荷造りを始めた。とりあえず、試作品を作ってもらうことにした。奈津美と蓮とふたりで作った在庫表がかなり役立ち、指定されたものをまとめた。
 今日行った工場は、もともと反物を作る工場だったのだが、近年、着物を着る人も減り、いろいろな織物をしなくてはならなくなったらしい。そこで、反物を作る技術と今までのノウハウを生かし、残り糸で布を織るという試みをやっていて、そこそこ知られるようにはなっていた。しかし、後継者に恵まれず、社長もそろそろ引退か、と思っていたところに、奈津美の話が転がってきた、ということらしい。
「あるものなんですねぇ……」
「ほんと、びっくりしました。社長には悪いんですが、正直、期待していなかったから……」
 荷造りをして、蓮とふたりで荷物を2階の出荷センターへ持って行った。
「ありがとう」
 荷物を持って行った帰り、奈津美はエレベーターの中で蓮にお礼を言った。
「よかったですね、先輩」
「連と一之瀬さんのおかげだね。本当にありがとう」
 奈津美のにこにこした顔を見て、蓮はうれしくなった。
「先輩、定時後って予定ありますか?」
「ううん、ないけど」
「じゃあ、オレにつきあってください」
「あ、うん。いいよ」
 妙にあっさり言われ、蓮は拍子ぬけした。ずっと早く言わなくては、だけど断られたらどうしよう、と柄にもなく緊張していたというのに。こんなにあっさりと承諾を得ることができたのなら、早くに言っておけばよかった。
 しかし……。このタイミングだったからOKをもらえたのかもしれない、とも思ったら今でよかったのかも、とそう思うことにした。

   *   *

 定時になり、いつものように三人で外へ出た。
「お疲れさまでしたー」
 一之瀬はひらひらと手を振って、駅へ向かった。
「先輩、この間のCD、聞きました?」
「あ、そうだ。聞いた感想、言おうと思って、忘れてた。最近ずっと、目覚まし代わりに聞いてるのよ。葵さんのバイオリン、聞いていたら心が癒されるわ。切なくて……情熱的で……でもたまにはコミカルで」
「で、今日、そのバイオリン、生で聞けるんですが……いきませんか?」
 蓮は奈津美にチケットを見せた。
「わ、聞きに行きたい!」
「姉が送ってくれたんです、チケット」
 チケットを見て、奈津美はきらきらと目を輝かせた。
「ほんと!? コンサートがあるの、知ってたんだけど、チケット取れなくって悔しい思いをしていたところだったの!」
 しかし、奈津美はそこでハッとした。
「でも、今日のこんな服で行っていいの?」
「毎回行ってますけど、結構みんな、カジュアルな格好ですよ」
 今日の奈津美はパンツスーツなので、このままでも問題ないと言えばそうなのだが。知っていたら、もう少しかわいい服で来たのになあ、と奈津美は誘ってもらっておきながら蓮に少し不満を抱く。
「開始まで時間があるから、軽くご飯を食べましょうか」
「あ、家に連絡入れなくちゃ」
 奈津美は携帯電話を取りだし、家にかけていた。手短な店に入り、適当に注文して、並んで座った。
「先輩、」
「なに?」
「携帯の番号とメアド、聞いていい?」
「あ、うん」
 奈津美は携帯電話を蓮に渡した。
「赤外線でやり取りできるらしいんだけど、分からないから入れてくれる?」
「うん」
 蓮は奈津美から受け取り、携帯電話を操作してデータのやり取りをして渡した。
 パソコンの操作はそれなりにできるけど、携帯電話はそれほど使用していない奈津美には機能があることは知っていても使い方がいまいちわかっていなかった。
「ありがとう」
 会場に着くと、開場まで少し時間があり、外で待っていた。
「あら、蓮」
 派手な美人が蓮に声をかけてきた。
「ああ……」
 蓮は少し困った、という顔をしていた。
「なに? デート中?」
「いや、会社の先輩」
 蓮の言葉に派手な美人は意外そうな顔で、
「あれ、この間のあの子は?」
「……別れた。今はフリー」
 蓮は鬱陶しそうに答えた。
「じゃあ、わたしは?」
 派手な美人は蓮に絡みついた。
「断る」
 蓮は派手な美人を振り払った。
「フリーだけど好きな人がいるんだ」
「やっだ?」
 派手な美人はそう言って、去っていった。
「ごめん、びっくりした?」
 蓮は奈津美に笑いかけた。
「ううん。あ、だけどあの、今さらだけどコンサート一緒に行っていいの?」
「なんで?」
 蓮はきょとんとして奈津美を見た。
「だって、好きな人、いるんでしょ?」
「やだなあ、先輩だから誘ったんですよ?」
 奈津美は蓮のその言葉の意味を深く考えず、そうなんだ、と思っただけだった。
 開場時間になり、ぞろぞろと会場内に入った。
「あ、お花でも買ってくれば良かった」
「気を使わなくていいよ。なんなら、楽屋行ってみる?」
「えっ?」
 蓮はスタッフを捕まえて楽屋の場所を聞いていた。
「オレの顔、ねーさんそっくりだから、話が早いんだよね」
 ジャケットの写真を改めて思い出し、納得した。
 楽屋に着き、蓮はノックした。
「はーい」
 中から返事が返って来たのでドアを開けた。
「あら、蓮」
 中には、蓮に本当にそっくりだけど違う人が立っていた。今日の舞台衣裳の黒のドレスが黒い髪に映えて、きれいだった。
「中に入って」
 奈津美は蓮について、部屋に入った。
「こんばんは、チケットありがとうございます」
 奈津美はやっぱりなにも持ってこなかったことを後悔した。楽屋内は花束やプレゼントがひしめき合っていた。
「こんばんは、わざわざ来てくれて、ありがとう」
 葵は満面の笑みを浮かべて奈津美を見た。
「なにも持ってこなくて、その、すみません……」
 楽屋の花束の山に、奈津美は恐縮した。
「ああ、この子のことだから、直前に言ったんでしょ? ほんと、こちらこそごめんなさいね。わたし、きてもらうだけでほんと、うれしいの」
 葵は楽しそうに笑っている。
 葵のこう言うときの顔、あとが怖い。完璧に思考を読まれていて、蓮はため息をつく。後でなにを言われるかと思うと、どきどきした。
「チケットが手に入らなくて、悔しい思いをしていたところを誘ってもらえたんです」
「今日は楽しんでいってくださいね」
「はい、ありがとうございます」


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