《十七章》「コンサート」

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 楽屋に長居してもと思い、すぐに後にした。
「蓮、また連絡するから」
 出ていく間際、葵にそう言われ、嫌な予感がした。
「蓮にそっくりで、びっくりした」
「よく言われる、それ」
 ふたりは指定席に着いた。
「ここ……VIP席?」
 正面の前よりの席で、奈津美は驚いた。
「家族だし、関係者扱い」
「すごい……」
 奈津美はパンフレットを見たりしていたら、演奏の時間になった。
 会場が暗くなり、舞台の上にスポットライトがつけられた。かつかつかつ、とヒールの音がして、葵がそのライトの中に立つ。
 バイオリンを構え、第一音を奏でる。
「!」
 ものすごく透明で、響く音。心に直接訴えてくる。葵の奏でる音に、奈津美は包まれた。
 時には激しく、時には優しく。耳元で聞こえたかと思うと、遠くで聞こえ。
 一時間半があっという間だった。
 最後の音がなり終わり、余韻にひたっていた。
 葵は優雅にお辞儀をして、幕が降りる。
 幕が降りきってようやく、人々は呪縛が解けたかのように立ち上がって拍手をはじめた。会場内はホールが割れんばかりの拍手がいつまでもなりやまない。奈津美も興奮して、立ち上がって拍手をしていた。蓮はそんな奈津美を見つめていた。
 ごそっ、というマイクの入った音がした。マイクの音にしん、と静まる会場。
『本日は、わざわざ足を運んでいただき、誠にありがとうございます』
 葵の声だった。
『みなさまのアンコールに応えて、一曲だけ。この曲は、わたしの大切な人に捧げます。「告白」』
 葵の言葉に、蓮はハッと息を飲んだ。甘く囁くようなバイオリンの調べではじまり、次第に激しさを増していく。激しいうねりが続き……また、甘く幸せな曲調になり、曲は終わった。
 いつまでもなりやまないスタンディングオベーション。
 蓮は奈津美の手を取り、会場を後にした。会場を離れて、かなりの早足で手を繋いだまま、蓮はしばらく無言で歩いていた。
「蓮?」
 奈津美は少し息を切らせていた。
「あ……」
 ようやく蓮は立ち止まった。
 ふと見ると、以前、奈津美が泣いていた噴水の前だった。
「あの、」
 蓮は先ほど葵が弾いていた『告白』を思い出していた。あれは……葵からオレへのメッセージってことで……いいんだよな?
 蓮は大きく息を吸って、口を開いた。奈津美をまっすぐ見つめて、
「オレ、小林先輩のこと……す」
「ごめんなさい!」
 奈津美は蓮の言葉を最後まで聞かず、走りだしていた。
「先輩!」
 蓮は奈津美を追いかけ、腕を掴んだ。
「先輩、待って!」
「お願い、離して!」
 奈津美は蓮に背を向けていたが、声で泣いているのが分かった。
「嫌です、離しません!」
 やはりあの場所で告白は、まずかったか?
 奈津美はかなり抵抗して、手首をつかんでいる蓮の手を振り払おうとしていた。蓮は奈津美の手首を自分に引き寄せ、奈津美を抱き寄せた。
「いやっ!」
 奈津美は蓮の腕の中で激しく抵抗していた。
「離しません。なんて言われても、オレは先輩のこと、離しませんから!」
 蓮はさらにぎゅっと奈津美を抱き寄せた。
「お願い、離して! いやなの!」
 奈津美は蓮の抱擁を振り払おうと、かなり暴れた。

   *   *

「先輩のこと、好きなんです。先輩はオレのこと、嫌い?」
 蓮の言葉に、奈津美の動きが止まった。
「え……」
 奈津美は涙に濡れた顔をあげて、蓮を見上げた。
「今、なんて言った……?」
「好きです……」
 蓮の言葉に、奈津美はきょとんとした。
「え? え???」
 奈津美は言われた言葉の意味が分からなかった。
「あの、先輩?」
 奈津美は気が抜けたようで、へたっっと力が抜けた。
「わっ! 先輩!」
 蓮は力が抜けて座り込んだ奈津美に引っ張られ、押し倒すような形になってしまった。
「うわっ! ごめんなさい!」
 蓮は慌てて起き上がり、奈津美を起こした。
「ごめん、あんまりにも急にそんなこと言われたから……びっくりしちゃって」
 ふと気がつくと、周りの視線が痛い。蓮は慌てて道の端に寄った。
 蓮は奈津美にはんかちを渡した。奈津美はそのはんかちで涙をぬぐった。
「あは、またはんかち、借りちゃった。ごめんね」
「気にしないでください」
 座れそうな場所を見つけ、ふたりで並んで座った。
「あの……。迷惑……でしょうか……」
 いつもの蓮らしからぬ気弱さに、きっと葵が見たら爆笑していただろう。
「あ……。迷惑とか……そういうんじゃなくて……。そんなこと言われるとは思ってなくて……びっくりして……。それに、さっきの場所、ちょっと……嫌な思い出があって……」
「知ってます」
「え………………」
 蓮は言ってもいいのかかなり躊躇したが、
「小林先輩があそこで泣いていたの、オレ、見てました」
「……………………」
 奈津美は蓮の言葉にうつむいた。
「オレ、あの時ほんと、なんにもできなくて。抱きしめることも、慰めることもできなくて……。ただ、そばにいることしかできなくて……。自分の無力さをよく知った日でもありました」
「あ…………」
 あの日、そばにずっと黙っていてくれた男の人……。
「あれって……蓮だったんだ」
「泣いている先輩を見かけて、思わず声をかけてしまいました」
 ああ、それでどこかで見たことのある顔だと思ったのか。会社の中ですれ違ったかなにかして見たことがあった顔だったからか。男にしてはかわいい顔をしているから、印象に残っていたのだろう。
「まさか次の日に、あそこの課で会うとは思わず……」
「それで、あのときに固まってたんだ」
 奈津美は思い出して、くすりと笑った。
「ごめんね、全然気がつかなかった」
 奈津美は顔を上げた。
「私、あの泣いていた日、結婚してもいいかな、って思っていた人に、振られたの」
「あ……」
 蓮は驚いた。まさか奈津美がその話をするとは思っていなかったからだ。
「もうそれも思い出かな。だってさ、あの時、あの人が私の世界のすべてだった。でもね、それは間違っていたみたい。だから、早いタイミングでわかって、私はラッキーだったな、って最近、思うようになってきたの」
 初めてできた彼氏。仕事もできて、やさしくて、かっこよくて。
「その相手、今一緒に仕事をしている山本さんなんだけど、幻滅しちゃった」
 仕事ができると思っていたけど、それはどうやら間違った認識だったようだ。
「あの人ね、仕事ができる女の人をうまく利用して、自分ができるように見せかけていたの。本当はまったく仕事のできないだめ男」
「うわ……そんなこと言っちゃって、いいんですか!?」
「だって、本当だもん。蓮の方がよっぽど使えるわよ」
 奈津美はくすくす笑った。
「今回のこの企画もきっと、手柄を横取りされるんでしょうけど」
「そんな!」
「ふふ、この奈津美さまが黙っているわけないでしょ」
 奈津美は蓮ににやり、と笑って見せた。……その笑顔が、怖いと思った。
「でも私、貴史にも美歌にも、感謝してるの」
「?」
「ふふ、それは内緒」
 奈津美は立ち上がり、
「お腹空いた! ご飯食べに行きましょ?」
 蓮の告白は宙ぶらりんのままだけど、蓮は仕方がないな、と苦笑して奈津美の後を追った。


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