偽りは舞う《二十一》

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 今日も大和とともに出勤かと思っていたら、どうやら別行動のようだ。
 万里は閏とともに車に乗り込み、二人でオフィスへ。大和は鹿鳴館の屋敷から直接、取引先へと向かうということだった。
 昨日、閏が言っていたが、万里と大和をとことん引き離す作戦でいくようだ。
 万里は閏とともにいる時間が増えることがうれしかったが、閏はそうは思っていないようだった。閏はなにかにつけ万里に用事を頼み、閏からも引き離そうとする。

「明日の会議で使う資料だ。これを各十部ずつ、コピーしてきてほしい。コピー機は隣にある」

 万里は閏から書類を受け取った。かなりの厚手の束だ。

「一通り、目を通しておけ」
「あ……はい」

 万里は言われるがままに書類を受け取り、隣の部屋にあるというコピー機の元へと行った。
 細長くて窓が一つしかない閉鎖的な空間に、コピー機と鉄製の棚が置かれていた。棚には紙の束が所狭しと積まれていて、それはどうやら、コピー用紙のようだ。室内の電気をつけて、万里は途方に暮れた。
 万里は今まで、事務仕事をしたことがない。学生の頃にアルバイトの経験はあるが、こういった事務仕事に区分けされる内容ではなかったため、戸惑いを覚えた。卒業して就職したのは日比谷家で、幸の相手であったのだから事務仕事とは無縁だった。
 コピーを取るなんて滅多にないため、基本操作しか分からない。それでも万里は悪戦苦闘して、どうにかコピーだけは終わらせた。
 ほっとしていたところ、扉がノックされ、だれかが入ってきた。

「おい、まだ出来ないのか」

 閏の声に万里は驚き、手に持っていた束を投げ飛ばしそうになった。万里は束を握りしめ、閏を見た。

「……なにをやっている」

 狭い部屋に紙が広げられている様子を見て、閏は疑問の声を上げた。

「あの……コピーをして、まとめているところです」

 万里の答えに閏は眉をひそめた。

「おまえ……コピーさえ満足に出来ないのか」

 閏の怒気をはらんだ声に、万里は身を縮めた。

「そもそも、どうして片面ずつコピーをしている! 貸せっ」

 閏はコピー元を受け取り、コピー機の前に立ちなにやら操作をしていた。万里はただ、遠く離れて見ているだけだ。
 聞き慣れたうなりを上げコピー機が稼働始めたが、それほどせず閏はコピー機の横から紙の束を取り出した。

「これは両面印刷をして、最後に閉じてくれる優れものなんだ」

 とぱらぱらと束を振って見せてきた。

「今日は仕方がない、それをまとめよう」

 閏はコピー機の電源を切り、万里の周りに散らばっている紙をまとめると持ち、部屋を出て行った。
 万里も慌てて閏を追いかけた。
 万里が戻ってきたのを見て、閏は口を開いた。

「分からないのなら聞け」
「……はい、すみません」

 いくら閏が万里に対して好意的ではないとはいえ、基本的なことを怠っていた。私情と仕事は別物なのだ。落ち込みそうになったが、万里は自分に渇を入れた。
 すべてをまとめて閉じ終わり、万里は思いきって聞いた。

「コピー機の使い方を、教えてください!」

 分からないままでいるのは良くない。万里はそのことに気がついた。
 閏の表情は、思ったよりも柔らかなもので、万里はどきりと心臓が跳ねた。

 仕事中の閏は万里が聞けば、最低限のことは教えてくれる。分からないということを伝えると、もう少し詳しく教えてくれる。
 しかし、鹿鳴館の屋敷に戻ると、まったく口をきいてくれなくなる。
 どうして……と万里は閏に問いたいが、それさえも許してくれない雰囲気だ。
 近づけたと思ったら、突き放される。どう距離を取ればいいのか分からない。
 それは閏も同じなのだろうか。
 同じベッドの端と端に横になり、万里は閏に分からないようにため息を吐く。
 万里には閏の考えがまったく分からない。
 仕事とプライベートは別物だと考えている、というのは分かるのだが、屋敷では一言も口をきいてくれないという状況は、やはり消耗していく。
 日々、蓄積していく募る想い。
 そしてその想いと同時に、万里が取った選択肢はやはり間違っていたのだろうかと後悔を始めた頃、大和が与えてくれた一か月という期間が終わりを告げた。
 大和が加わることで少しは緩和されるだろうか。
 そんな期待を少しだけ抱き、万里は閏との関係が少しでも良くなることを願った。

 一か月、閏がみっちりと仕事を教え込んでくれたとはいえ、まだまだ不安はある。
 取引先の人たちは優しい。
 それでも万里はやっていく自信があまりなく、不安で仕方がない。
 少しでも粗相をすれば、閏からますます嫌われてしまう。
 こんな時、相談できる誰かが側にいれば……。
 そこでふと、幸のことを思い出した。
 決して忘れていた訳ではなかった。しかし、どうすれば幸との仲を修復出来るのか分からず、仕事で忙しいというのを言い訳にして、考えていなかった。
 閏とのことも急務だが、前進は難しいかもしれない。今以上に悪化させないため、幸との仲を戻すのが最善のような気がする。
 鹿鳴館の屋敷の中に万里の味方になってくれる人が、果たしているのか。
 それを探るよりも、とにもかくにも幸との仲を修復する方が早いような気がする。
 四年近く、一緒にいたのだ。ここで幸との関係が終わってしまうなんて、考えたくない。
 今の万里は八方塞がりだ。どこかに小さくても風穴を開けなければ、息苦しくて窒息してしまいそうだ。
 万里は携帯電話を取りだし、思案した。
 この時間なら、幸はまだ、起きているはず。電話をして……と思ったが、閏に聞かれることを万里は恐れた。
 それならば、手始めにメールがいいだろう。
 しかし、なんと書けばいいのか、改めて考えると分からない。
 ……ないがしろにしてすみません、と謝るのか? なんだかそれは、おかしいような気がする。万里は別に、幸をないがしろにしているわけではない。
 連絡を取らなかった非礼を詫び……それから? いきなり相談があるのですが、なんて書くのもどうだろう。しかも、閏との仲が上手くいっていないなんて……やっぱり、幸にも相談は出来ない。
 結局、万里はどう書けばいいのか分からず、携帯電話を閉じた。
 ソファに深く座り、大きく息を吐き出した。
 幸との仲さえ、修復出来ない。
 そんな自分を閏が疎ましく思っても仕方がない。
 前向きに考えられる要素がないこの状況で、万里は思わず、自分を卑下してしまった。
 結婚を承諾してから、万里は自分が下り坂をごろごろと転げ落ちているような錯覚に陥っていた。帝に言われた時はとても幸せだったのに、どうして今はこんなにも気持ちが沈みこんでいるのだろう。
 下を向いていたらますます落ち込んでしまいそうだったし、涙がこぼれそうになったので慌てて万里は天井を見上げた。
 染み一つない、真っ白な天井。照明を反射してきらきら光っている。
 その天井を見ながら、ぼんやりと考える。
 幸はもしかしたら、万里が連絡をしてくるのを待っていてくれるかもしれない。
 ご機嫌伺い、と言ったら変だが、やはり一度、幸にメールをしておこう。
 万里は再度、携帯電話を開き、メール作成画面を表示させた。
 タイトルは『ご無沙汰してます』にして……本文には長い間、連絡を取れなかった非礼を詫び、この一か月、研修にいそしんでいたこと、明日から本格的に働き始める旨を打ち込んだ。
 そういえば、幸もそろそろ卒業のはずだ。幸の卒業式はいつだっただろうか。出来たら式に出席したい。だからそのことも触れておいた。
 返事はこないかもしれない。読んでもくれないかもしれない。でも、出すことに意義がある。
 万里は自分に言い聞かせ、二度ほどメールを読み返し、思い切って送信ボタンを押した。
 メールを送信しているアニメーションが表示され、すぐに完了と画面に出た。
 胸につかえていた出来事が一つ片付き、解決したわけではないが、少しだけほっとした。
 万里は携帯電話を閉じ、眠るために寝室へと向かった。





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