偽りは舞う《二十二》

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 朝起きて、一番に携帯電話に視線を向けたが、幸からの返事が来ている様子はなかった。
 分かっていたことだが、やはりがっかりする。
 こうなったら、幸から返事が来るまでメールを出し続けよう。
 万里はそう決めて、ベッドから抜け出た。
 閏はまだ、万里の対岸でこちらに背中を向けて眠っている。

「おはようございます」

 それだけ声を掛け、万里は着替えを手に持って寝室から出る。洗面所でパジャマを脱いで、着替えた。
 今日は白いブラウスに、膝丈でスリットの入った茶色のタイトスカート。全身を鏡に映しておかしくないかをチェックした。履き慣れてきたものの、やはりスカートは落ち着かない。鏡に映っている姿は、おかしくはないが、なんだか浮いて見えた。
 室内は適温に保たれているものの、少し肌寒いので、ベージュのカーディガンを羽織った。出勤用にはジャケットを用意しておいた。
 万里が着替え終わるタイミングくらいでいつも朝食が運ばれてくる。ワゴンに乗った朝食を受け取り、テーブルに並べる。
 準備が終わった頃、閏が寝室から眠たそうな表情で出てくるのも、すでに日課になっていた。万里はそんな寝ぼけ眼の閏を見るのを、密かに楽しみにしていた。
 いつもは隙を見せることはないのに、寝起きは気が抜けているのか、閏の素の表情を見ることが出来る。しかし、洗面所で顔を洗い、眼鏡を掛けて出てくると、いつもの冷たい表情に戻っている。
 もっと閏の色んな表情を見たい。
 万里はそんなことを思いながら、朝食を口に運んだ。

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 今日から大和も通常通り、オフィスに出勤となる。
 万里が助手席に、大和と閏は後部座席に座った。

「おはようございます、大和さま。今日からよろしくお願いします」

 万里は振り向き、大和に笑みを浮かべて挨拶をした。それを見て、大和は破顔した。

「やー、万里ちゃん。久しぶりだねぇ」

 朝から大和は機嫌がいいようだ。閏は常に機嫌が悪そうな表情をしているので、笑顔の大和を見て、万里はほっとした。

「やはり女性はいいね。万里ちゃんもこの一か月、この仏頂面と二人きりで、大変だっただろう?」

 大和はふんっと鼻で笑い、閏を横目で見た。閏は表情を崩すことなく、まっすぐ前を向いている。

「辛気くさい顔と二人きりだと鬱々していたんだが、これでオフィスに華が加わって、オレも仕事がはかどるような気がするよ」
「そうですか。それでしたら、もう少し仕事量を増やしましょうか」
「……あのな。今のはたとえであって」
「たとえではなく、きちんとお仕事をなさってください」
「……してるだろ」

 閏の冷たい言葉に、大和はぶつぶつと文句を言っている。

「どう考えても、個人が出来る仕事量を超してるだろう? この一か月、毎日っ、毎日! 分刻みでスケジュールを突っ込んでっ!」
「大和さまだからこそ出来ると思いまして、スケジュールを組ませていただきました」
「……おまえな」

 大和は呆れたような声を上げ、大きく頭を振った。

「そうやって持ち上げても、もうこれ以上、働けないぞ」
「そうですね。当分は滞っていた事務処理をしていただかなければなりませんし」
「……そう来たか」

 閏と大和の会話を聞きながら、万里はほっとした。
 閏と二人きりの通勤中は、なにを話せばいいのか分からず、間が持たなくて苦労していた。しかし大和がいれば、その心配も必要ないようだ。

「今日は少し早めに切り上げて、万里ちゃんの歓迎会をしよう」
「え……あのっ」

 まさかそんなことをしてもらえるとは思っていなかった万里は、驚き、慌てた。

「大和さま、仕事……」
「今日くらい、早く終わっても問題ないだろう! 予約もしてある!」

 閏をちらりと見ると、渋面を浮かべている。万里は歓迎会なんて滅相もない! という気持ちだ。
 閏はその気持ちを汲んでくれたのか、はたまた別の目的があったのか分からないが、大和の考えに反対した。

「大和さま、そんなもの、必要ありません」
「……どうしてだ」

 それまでにこやかな笑みを浮かべていた大和の表情と声が、一気に変わった。声は低くなり、目が細められ、閏を眼光鋭く見つめている。万里に向かってそんな表情を向けられたら怖くて声も出なくなりそうなのだが、閏は慣れているのか、視線を正面から受け取った。

「必要ありません。それでは、今日の予定を」
「閏」

 閏は理由も述べずに必要ないの一点張りでスケジュール確認を始めようとしたが、大和は遮り、閏を睨み付けた。

「そんなに仕事が大切ならば、おまえだけオフィスに残っていればいい。オレは万里ちゃんと二人でディナーに出かける」

 万里は大和の言葉に慌てた。大和と二人きりで出かけるなんて、ますます周囲に誤解を与えかねない。しかも、大和と二人になるなんて、とんでもない!

「ややや、大和さまっ!」
「万里ちゃん、定時になったら出かけるから、そのつもりで今日はお仕事をお願い」

 大和は万里に笑みを向けてきた。万里はとんでもない! と必死になって首を振るのだが、大和の中では今日のスケジュールは決定的なものになったようだ。

「大和さま、二人で出かけるのはいけません」

 閏の制止の声に、万里は同調して強くうなずいた。

「どうして? 閏は行かない、でもオレは万里ちゃんの歓迎会をしたい。となると、二人で出かけるという選択肢しかないよな?」
「あります。歓迎会はですから、中止に──」

 ようやく大和に笑顔が戻ったと思ったのに、再び険しい表情になった。

「閏、オレがやりたいと言っているんだ」

 しばしの間、二人は睨み合っていたが、折れたのはどうやら閏の方だった。

「……分かりました。大和さまがそうおっしゃるのでしたら、参加します」
「物わかりが良くて、結構。──ああ、定時後にごり押しして断れない案件を突っ込むなよ?」

 閏はもしかしたらそのつもりでいたのかもしれない。少しだけ眉をひそめ、無言でジャケットの内側からスケジュール帳を取りだした。

「それでは、今日の予定を──」

 閏の声は気のせいか、ほんの少し悔しさがにじんでいるような気がした。
 万里はバックミラーにちらりと視線を向けると、満足そうな笑みを浮かべた大和が見えた。

 大和がいるオフィスは、閏と二人きりの息苦しさが嘘だったように感じてしまう。
 二人のやりとりを見聞きしていると、大和がボケて閏が冷たく突っ込みを入れている。

「大和さま、先日、お目にかかっていただいた海山商事さまとの件ですが」
「ああ、あのフグじじい」
「提示された単価で行きましょうとの連絡が入っておりますが」
「おー、あの単価で行けるのか。言ってみるものだねぇ」
「ところで……この単価、ずいぶんとキリの悪い数字ですが、なにか意味でも?」
「おお、あるぞ。みんなまとめて分かりやすいように、三〇七! みんな!」

 大和は腰に手をあて、胸を張っている。室内に妙な沈黙が落ちた。

「……あれ? どうしてそこでしんとなるんだ? そこは『きゃー、大和さま、さすがです! 素敵ーっ!』って黄色い声が上がるはずなんだが」

 万里は作業していた手を止め、思わず大和を見た。口角をあげ、大和は万里と閏に視線を送っていた。万里はどう反応を返せばいいのか、分からない。閏は少し眉をひそめ、親指で眼鏡のフレームを持ち上げて掛け直していた。

「その単価で仕入れて、売値は五〇〇の設定で?」
「スルーかよ!」
「ロット数は?」
「三七五六四」

 またおかしな数字に、閏は眉間にしわを寄せ、大和を睨み付けた。

「大和さま、真面目に仕事をしてください」
「真面目だろう! 単価三〇七、入荷数三七五六四! 続けて読むと『みんな、皆殺し』だっ!」

 万里はぎょっとして、手に持っていたペンを机の上に落としてしまった。室内に乾いた音が響いた。

「大和さま、単価を変更は無理ですから、入荷数を変えてください」
「嫌だ!」
「大和さま、その数は明らかに過剰在庫を抱えるのが目に見えています。一時的にどこかに置くとしても、場所がありません」
「問題ない。海山商事の倉庫に置くことになっている」
「商品を捌くまで置かせてもらうのですか?」
「そうだ」

 閏は一度、口を閉じ、大きく深呼吸をした。

「……一か月、大和さまを放置していた俺が悪かったようですね。大和さま、単価はともかく、入荷数はせめて千単位でお願いします」
「えー」
「えー、ではありません!」

 閏と大和との押し問答はしばらく続き、どうにか折り合いがついたようだった。
 大和は渋面を浮かべ、受話器を持っていた。今から海山商事に電話をするようだ。
 万里は話がまとまったことにほっとして、作業に戻った。





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