怨人─オニ─

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 桃里とうり胡桃くるみは、なんともやるせない切ない気持ちを抱いて目を覚ました。まだ薄暗い室内。見慣れた天井になんとなく安堵を覚える。
 ぼんやりと薄暗いイメージしか残っていなかったが、見たことのない風景に知らない顔。向けられた気持ちを思い出し、きりきりと胸が痛む。
 自分は悪くない。なのになんであんな負の感情を見知らぬだれかに向けられないといけないのだろうか。
 時計に目をやると、もう少しで目覚まし時計が鳴る時間だと知り、大きく息を吐き、身体を起こす。いつもは何度も鳴らないと起きることができないが、今日は先制して止め、ベッドの縁に腰をかける。目覚める前に見た夢の中の感情が尾を引き、なんとなく元気が出ない。
 週の明けた月曜日。それでなくても憂鬱な気持ちなのに、夢見が悪いと起きた時にもすっきりしないというのを、胡桃はその時、初めて知った。
 いつまでもそうしているとますますその夢にとらわれてしまいそうな気がして、気合を入れて胡桃は立ち上がり、制服へと袖を通したのだった。

     *

「やあだ、気持ち悪いー」
「アタシたちの目の前に、現れないでよ」
 少女四人、放課後の学校にいた。一人の眼鏡をかけた少女が、三人の少女に取り囲まれている。場所は人があまり通らない、奥まった特別校舎。まだ日は出ていたが、ここはいつ来ても薄暗く、じめっとしていた。
「この髪の毛が気持ち悪いのよね。アタシが切ってあげるよ」
 四人とも同じ制服を着ている。この学校の生徒なのだろう。ただ違うのは、胸にしている学年を表しているリボンの色。三人のリーダー格の少女は緑色のリボンをしていて、その後ろにいる二人はそれぞれ青と赤の色をしている。取り囲まれている少女のリボンの色は、青。
「こんなのと同じ学年なんて、恥ずかしいよ」
「それを言ったら、同じ学校というだけで恥ずかしいじゃない」
「しかもワタシ、同じクラスよ。ダブルどころか、トリプルで恥ずかしい、ってこと? それって三重苦じゃない!」
 三人組の青いリボンの少女は泣き始めた。もちろんそれは、嘘泣きである。しかし、緑のリボンのリーダー格の少女はそれを見て、
「あんた、アタシの大切な友だちを泣かしたわね」
 と一歩前に出て、眼鏡をかけた少女を特別校舎の壁に押しやる。緑のリボンの少女は、二人に目で合図をする。二人の少女は嫌だと言いながらも指示に従い、羽交い絞めにする。かばんからはさみを取り出し、少女の髪の毛をつかみ、無造作に切り取る。
「わー、きったない! あんた、髪の毛、毎日きちんと洗ってるの? ふけがついてるじゃん。髪の毛、短い方が楽よ」
 笑い声をあげながら、緑のリボンの少女は髪の毛を容赦なく切っていく。長く切ったり短く切ったりしているので、激しく不格好だ。
「あっはっはっ。前衛的! これは斬新でいいわ」
 髪の毛を切り終わり、髪の毛がついた手をはたきながら、緑のリボンの少女は嘲笑う。
「あんたみたいな気持ち悪いヤツ、犬伏いぬぶしくんが相手するわけないでしょう? 目障りなのよ」
 緑のリボンの少女は眼鏡の少女に一度蹴りを入れ、うずくまるのを見届けてから鼻で笑って二人を連れて、特別校舎を後にする。
 残された眼鏡の少女は悔しくて、唇をかみしめる。恐る恐る頭に手を伸ばし、思わず悲鳴をあげそうになった。
 あこがれの先輩は黒くて長い髪が好きと知ってがんばって伸ばしていた。ようやく肩につくくらいの長さになった。それなのに……。
 頭皮が見えるほど切られている場所もあれば、あまり切られていない場所もあり、どうすればいいのか分からなくて、途方に暮れる。
 なんで? どうして? わたし、あの人たちになにかした?
 眼鏡の少女は訳が分からなくて、混乱する。
 少女が憧れている先輩はこの高校で二年間、生徒会長を務めている人。人望も厚く、勉強もスポーツもできて、それでいて見た目もかっこいい。あの人に憧れている人なんて、いくらでもいるじゃない。なのに、なんで?
 しかし、それはいくら悩んだところで答えが出ないのは確かだった。きっと大した理由はないのだ。たまたま自分が目についただけ、なのだろう。そうだとしても、理不尽極まりない。しかし、自分にはどうすればいいのか分からない。親にも先生にも相談できない。きっと、この切られた髪を見ても、親も先生もなにも言わないだろう。
 この髪の毛をどうにかしなくてはならない。ここまでひどく切られたら、どうすればいいのだろうか。
 少女はうつむいたまま、かばんを取りに教室に戻る。
「野尻さん、どうしたのよ、その頭っ!」
 掃除が終わり、だれもいないと思って教室に戻ったところ、よりによって一番見つかりたくない人物に出会ってしまった。おせっかいでその上なにかと関わってくる同じクラスの桃里胡桃。眼鏡の少女は声をかけてきた人物を無視してかばんを持つとそのまま教室を出て行った。声をかけた胡桃はそれ以上なにも言えず、泣きそうな表情でその背中を見つめていた。

     *

 半ば逃げるように教室を飛び出してきた眼鏡の少女・野尻万代のじり まよは靴箱まで行き、ふたを開けてすぐに閉じた。そのまま上履きで外へと出る。靴箱には万代の靴はなく、ごみが詰め込まれていた。だれがしたことか分かっていた。靴はきっと、焼却炉に投げ捨てられているのだろう。涙が出そうになったが泣いたら負けだと思い、万代は必死に涙をこらえる。
 また母親に怒られる。先月もやはり、靴がなくなって怒られたばかりだ。学校指定の靴は高くて買えないので、似たような安い靴を必死で探して買ったばかりだった。
 どうして母は、自分の娘がいじめられているということに気がついてくれないのだろうか。父が生きていてくれれば、少しは状況が変わっていたかもしれない。
 数か月前、万代の父は病気で亡くなった。母は落ち込んでいるのかと思っていたら、父の死をそれほど悲しく思っていないのか急に生き生きとして、働きに出ていた。毎日、朝から夜も遅くまで働いていて、万代のことを省みない。
 それまでもらっていたお小遣いも父が亡くなって家計が厳しいという理由でなくなってしまった。しかし、そうはいってもお小遣いは必要である。幸いなことに万代の通っている高校はアルバイトは禁止されていない。朝の新聞配りと高校生でも可能なアルバイトを見つけてかけ持ちしていた。新聞配達は一人で配るだけなのでよかったが、もうひとつのアルバイト先でも万代はいじめられていた。万代自身に問題があるような気もするのだが、本人にはいじめられる理由がさっぱり分からない。
 さらにはクラスでもいじめられていたのだが、先ほど教室へかばんを取りに戻った時に声をかけてきた桃里胡桃というおせっかいなクラスメイトが万代をかばい、表立ってのいじめはなくなったが、裏で陰湿ないじめを受けていた。先ほど髪を切った三人組の一人が同じクラスで、胡桃の目のつかないところでいじめられてきた。
 万代は歩きながらケーキ屋のショーウインドウに映った自分を見て、ため息をつく。髪を切られ、ひどい頭をしているみじめな自分。これからアルバイトだから、美容院に行く時間がなかった。時間があったとしても、捨てられた靴を買わなくてはいけない。万代が必死になって働いても、それをあざ笑うかのように捨てられ、新たに買わなくてはならない。こんな思いをしてまでどうして自分は生きているのだろう。万代の心に負の感情が湧いてきた。
 このまま自分一人が消えたところで、母は厄介者がいなくなったと清々するだろう。いじめているあの人たちも自分が消えてきっと、心穏やかに過ごせるだろう。無断欠勤して、今日のアルバイトの子たちが困ればいいんだわ。
 一瞬、そういう考えがよぎったが、万代は駄目よ、と首を振る。
 辛くてもきっと、生きていればいいことがあるから死ぬんじゃない、父さんを悲しませるようなことするなよ、と生前の父が言っていたことを思い出した。だが、励ましてくれていた父も死んでしまった。どうしてこんな辛い思いをして生きていなければいけないんだろう。
 万代はアルバイト先に向かっていたが、急に死にたいという衝動に突き動かされ、陸橋から身を乗り出した。
「危ない!」
 陸橋から身を乗り出し、そのまま飛び降りようとしていた万代は力強く引っ張られた。万代はバランスを崩し、歩道部分に身体をぶつけそうになったが、力強く引っ張られ、だれかの腕の中に抱きしめられていた。恐る恐る目を開けると、その人と視線が合った。
 そこには、万代の通う高校で犬伏朔也いぬぶし さくやと人気を二分する九鬼慎一郎くき しんいちろうがいた。万代はどうしてそこに慎一郎がいるのか分からず、何度も瞬きをする。
「おまえは馬鹿か!」
 慎一郎のきれいな顔に見惚れていたら、いきなり怒鳴られ、万代は首をすくめる。
「なんで命を粗末にしようとする? おまえの命はそんなに安くて軽いものなのかっ」
 万代は即座に首を横に振れなかった。
 自分が死んだって、だれも悲しまない。むしろ、母は邪魔者がいなくなって清々するだろうし、いじめている子たちだって。
「そうか。おまえの命は安くて軽いものなのか。ならば」
 慎一郎はそこで言葉を一度区切り、赤くて薄い唇を舌先でなめる。その行為が妙に色っぽくて、万代の心臓は大きく跳ねた。
「それほど死にたいのなら、おれにその命、くれよ」
 慎一郎は口角をあげ、万代を見る。再度、慎一郎と視線が合い、心臓は壊れたかのように早鐘を打つ。
「おまえよく見たら、二年の野尻か」
 慎一郎は舌打ちをしながら吐き捨てるように万代の苗字を口にした。
 慎一郎が自分のことを知っていてくれた。
 こんな状況だというのに、万代の胸はさらに高鳴りを覚えた。しかし、次の言葉に傷ついた。
「同じ学校の制服を着たやつだからと思って助けたが、あーあ、助け損かよ」
 つまらないことをしてしまったと独り言を言っている慎一郎を見て、万代は心が苦しくなってきた。犬伏先輩も好きだが、この九鬼先輩のことも好きな万代としては、その慎一郎本人から面と向かってそんなことを言われ、心が切り刻まれるほどの痛みを覚える。やはり死んだ方がいいんだ。先ほど高鳴った心臓は、今度は別の意味で早鐘を打ち始めた。
「わたしは死んだ方がましなんです」
「ああ、そうだろうな」
 慎一郎に冷たく肯定され、万代の目に、あれほど我慢していた涙があふれてきた。
「ったく、これだから女は面倒なんだよ。泣くほど悔しいのなら、やり返せばいいのに。それさえしないでぐじぐじしているんだったら、死んだ方がよほどましだ」
 慎一郎は助けるんじゃなかったとぼやきながら、万代から遠ざかっていった。
「あ、そうだ」
 陸橋の上で泣いている万代になにかを思い出したらしい慎一郎は振りかえり、
「そのまま死ぬのもいいけど、どうせなら、憎い相手に復讐をしてからの方が気持ちがいいんじゃないか? なんならその復讐、手伝ってやってもいいぜ」
 慎一郎の言葉に、万代の心は揺れた。
 そうだ、どうせ死ぬのなら、やり返してから死んだ方が気持ちがすっきりするかもしれない。
「興味があったら、うちに来いよ。おれの家、分かるだろう?」
 万代は無言でうなずいた。慎一郎の家は、この地区でも有数の豪邸として有名だ。
 慎一郎はそれだけ言うと、先ほどとは一転して、鼻歌を歌いながら去って行った。
 万代は、涙をぬぐった。慎一郎にひどいことを言われたが、あれは励ますためなのだろう。それに、万代のことも知っていてくれた。慎一郎の噂はあまりよくなかったが、それはきっと、悪ぶっているのだ。意外に恥ずかしがり屋なのかもしれない。そうでなければ、自分のような人間を励ましてくれるとは思えない。世間の噂なんて、あてにならない。
 万代は立ち上がる。先ほど慎一郎に抱きしめられたことを思い出し、万代の頬は自然と赤くなる。思った以上に力強い腕、がっちりとした胸板。あんなに急接近できるなんて、思わぬ幸運に万代は感謝する。切られた髪の毛のことをすっかり忘れ、万代は弾む気持ちを押さえながら、アルバイトへと向かった。




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