怨人─オニ─

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     *

 胡桃は不機嫌だった。あれから道場へ赴き練習をしたのだが、先ほどの出来事が気になって些細なことでミスを繰り返した。先生はいつも以上にそのことを指摘して来て、胡桃のいらいらはますます募った。朔也は心配そうに胡桃を見つめていたが、彼にはどうすることもできずにいた。
 胡桃は通常の練習が終了後、先生に居残りを命じられ、素振り百回を三セット命じられていた。しぶしぶ胡桃は素振りをしていたが、心ここにあらず。そのことに気がついた先生に注意され、さらに二セットを追加されてしまった。
「お疲れ」
 道場の外に出ると、そこには朔也がいた。
「先輩、どうしているんですか?」
「待っていたんだ」
 まさか朔也が待っているとは思わなかった胡桃は、自分の頬が少し熱くなるのを感じた。
「すみません、お待たせしてしまって」
「いや、気にしないでいいよ。俺が勝手に待っていただけだから」
 歩き出した朔也にあわてて胡桃はついていく。
「さっき見たあれ、黙っておいた方がいいと思うんだ」
「どうしてですか?」
 家に帰って両親に報告しようと思っていた胡桃としては、不思議に思って首をかしげる。
「時間が経てば経つほど、あれは夢だったんじゃないかって思うんだ。見たのは確かなんだけど、あんなものがいるとは思えない。自分の目で見ても信じられないのに、他の人に話しても信じてもらえないような気がして」
 言われてみると、胡桃も確かにそんな感じもする。
 竹刀であの異形の者を突いた感触は確かに本物だったのだが、はじけて消えてしまうなんてありえない。話をしたところで信じてもらえるとは思えない。
「分かりました」
 胡桃の返事に朔也は安堵した。
 朔也は胡桃に助けられたことに対してプライドが傷ついていた。信じられない異臭に自分は身動きが取れなかった。本来なら自分が胡桃を守ってあの変な生き物を倒さなければならなかったのに、結局は胡桃に助けられてしまった。あまりの恰好悪さに胡桃にあまり言いふらしてほしくなかった、というのが本音だった。
「モモ、ケータイの番号とメアド、教えて」
 いきなり聞かれ、胡桃は躊躇する。朔也の携帯電話の番号とメールアドレスがゲットできる絶好の機会ではある。周りの子たちより一歩リードしたような気にはなるが、このことがばれたら後が怖い。しかし、そんな胡桃の葛藤なんてお構いなしな朔也はポケットから取り出し、早く出すように催促してきた。胡桃はもちろんうれしいのだが、急展開過ぎて動揺している。それでも、このチャンスを逃すまいと、スカートのポケットから携帯電話を取り出す。
 胡桃は携帯電話を開いて、その場で赤外線通信をしてやり取りする。二人はお互い送りあった電話番号とメールアドレスを確認して、それではと別れた。
 胡桃はこの時点では朔也の電話番号とメールアドレスを知ることができて、ちょっとだけ浮かれ気味だった。しかし家に帰りつき、両親にいつもより遅い帰りを叱られ、道場での出来事を思い出して不機嫌になった。
 胡桃はお風呂に浸かりながら、今日のことを思い出してさらに機嫌が悪くなる。思いがけず朔也に近づけたのはラッキーだったが、それを差し引いても今日は最悪だ。
 両親も胡桃の帰りが遅いことにやきもきしていたのはよくわかるし、連絡を入れなかった自分も悪い。
 気になるのならそっちから連絡入れればいいじゃない。ケータイを持っているのくらい、知っているだろうし。むしろ、要らないと拒否したのに、無理矢理に持たされているものだ。番号を知っているのだから、気になるのならかけてくればいいのだ。
 怒られたことを理不尽に思い、心の中で両親に文句を言いながら、眉間にしわを寄せた。
 胡桃は髪を洗い、身体を洗ってもう一度ゆっくりと湯船に浸かって今日のあの出来事を必死で忘れようとした。なんだか神経が高ぶってしまい、不機嫌さと相まっていらだちが募る。
 胡桃はお風呂場で大声をあげ、その勢いで湯船から上がった。脱衣所で身体を拭いて、パジャマに着替える。ドライヤーで髪を乾かし、歯磨きをして部屋に戻る。部屋に戻ったタイミングでドアがノックされた。返事をしてドアを開けると、そこには胡桃の父・壮一そういちが立っていた。
「どうしたの?」
 壮一と言葉を交わさないというわけではないが、いつからかあまり会話をしなくなり、胡桃の部屋を訪ねてくるなんてことは近頃ではまったくなかった。
「胡桃、今日、なにかあったのか」
 壮一の質問に胡桃は動揺する。
「いっ、いや。別に」
 一瞬、話してしまおうかと思ったが、朔也との約束を思い出し、なにもなかったと壮一に告げる。
「そうか。気のせいならそれはそれでいいんだけど。……はい」
 涼やかな音をさせるものを壮一から渡され、首をかしげる。
「最近、どうも町の空気がざわめいていて、嫌な予感がするんだ。それ、お守り」
 昨日までの胡桃なら、なーに言ってるのよ、お父さん、と笑い飛ばして突き返していただろう。壮一に渡されたものは、赤い水引で丸い玉が編まれていて、中にいい音がする鈴が入っているキーホルダーのようなものだった。
「うん、ありがとう」
 文句を言わずに受け取る胡桃に、壮一はやはりなにかあったのだろうと察したが、それ以上なにも言わず、
「おやすみ。危ないことはしないんだよ」
 とだけ残し、部屋の前から去って行った。胡桃は壮一の優しさに、心の中でごめんなさい、と謝っておいた。

     *

 そろそろ寝ようかと思ったところにいきなり、妙な振動が部屋のどこからかしてくる。胡桃はなんだろうとしばらく悩み、それの正体がなにか思い出す。そうだ、携帯電話だ。
 胡桃は制服のスカートのポケットに入れたままにしていた携帯電話を取り出し、開く。送信者の名前を見ると、朔也からだった。まさかすぐに送ってくるとは思わなくて、胡桃は少し驚く。
 携帯電話を操作して、朔也から送られてきたメールを見る。絵文字・顔文字満載のメールだったらどうしよう、と少し不安に思いながら本文に目を通す。
 本文は簡潔なもので、またあの変な生き物と遭遇するかもしれないから人が少ない場所、暗がり、遅い時間の出歩きは控えるように、といったことが書かれているだけだった。
 壮一よりうるさいことを言われ、胡桃は先ほどまでの不機嫌さを思い出した。しかし胡桃の身を案じてくれているのは確かで、朔也に対して少し反発は覚えたものの、あこがれの人が自分のことを気にかけてくれている、と思うことにした。



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