怨人─オニ─

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 胡桃は昨日、倒したことで自信をつけていた。異形の者に対して竹刀を振り上げ、面の要領で上から下へと振り下ろす。振り下ろした竹刀は、地面を叩きつけただけだった。異形の者は素早く胡桃の竹刀を避け、馬鹿にしたように飛び跳ねている。耳障りな声をあげて、笑っている。
「こんにゃろー」
 胡桃はこんな小さくて気持ちの悪い異形の者に馬鹿にされ、腹を立てている。昨日、朔也にも冷静になれと注意を受け、さらには道場でも先生にそんなたぐいのことを言われたにも関わらず、すでに頭に血が上っている。やみくもに竹刀を振り上げ、型もなにもあったものではないぐちゃぐちゃな構えで異形の者を追い回している。
「胡桃、馬鹿。そんなに振りまわしたって……っつー」
 異形の者のせいで、自分が発する声さえ、頭痛の原因になる。
「淳平こそ、早く逃げなさいよ!」
 それができるのなら、とっくに胡桃を連れてここから逃げている。淳平はサッカーをしてランニングなどして鍛えているだけあり、走るのは得意だ。逃げ脚には自信があった。しかしそれができないのは、この異常なまでの耳鳴りというか頭痛のせいだ。胡桃にアドバイスをしたいのだが、なにかしゃべろうと口を開いただけで頭に響く。
「ちょろまかとうっとうしいわねっ!」
 胡桃は相変わらず竹刀を振りまわしているだけである。自分でもそんなことをしていれば体力を消耗するだけというのは分かっているのだが、どうすることもできないいらだちが身体を突き動かしている。昨日よりは相手の動きを先読みしあながち間違いではなさそうなのだが、向こうは思っている以上にすばしっこいため、まったく当たる気配がない。胡桃の息が上がってくる。肩で息をしながら、竹刀を振り回す。
 昨日となにが違うのだろう。竹刀を振り回すことをやめ、一度動きを止めて胡桃は考える。昨日の出来事を思い出しながら、きっかけがなんだったのか考える。防具入れにつけていた小さな鈴の音。あの音がしたらあいつは動きを止めた。
 防具入れに近寄ろうとするが、異形の者はそのことを察したのか、胡桃の前に立ちふさがり、防具入れの場所へ近寄れない。
 竹刀から片手を離し、スカートのポケットに手を滑り込ませる。その瞬間、異形の者が飛んだ。竹刀を握っていた手の甲を鋭い爪で切り裂かれた。胡桃は痛みに竹刀を落してしまう。異形の者は素早い動きで胡桃が取り落とした竹刀を拾い、見よう見まねで構えている。完全に油断していた。
 痛む手の甲を押さえ、胡桃は異形の者を睨みつける。思いっきり形勢不利である。切り裂かれたのは利き手ではない左手だったのでよかった、と胡桃は前向きに考えることにした。押さえている手のひらから血がにじんでくる。血の匂いに少しくらりとしたが、ここで倒れていられない。胡桃は切られた手の甲から右手をはずし、血に濡れた手のひらを気にしながらスカートのポケットに手を持って行き、携帯電話を取り出す。その途端、清涼な鈴の音があたりに響き渡る。
 異形の者はその音に動きを止め、苦しみ出した。昨日見えたように額に鈍い色のなにかが浮かんでいるのが分かった。胡桃の真似をして構えていた竹刀の先をつかみ、一度振り払うように上下に振ると、簡単に手を離した。柄側を異形の者の額めがけて突きを入れる。昨日と同じように水っぽい感覚が手を伝い、痺れるような身体が熱くなる感覚が胡桃の身体を突きぬけて行った。
「きききぃ……」
 異形の者の断末魔の後、硬質な音を立ててその身体ははじけ、光を発して消えた。二人はその光に驚き、顔を伏せる。
「今の、なんだ?」
 淳平は先ほどまであんなにしていた痛いほどの耳鳴りがすっかり治まっていることに気がついた。訳が分からず本当に問題がないのか遠慮がちに頭を左右に振るが、痛みは嘘のように消えていた。
「分かんない。昨日も犬伏先輩と」
 朔也に内緒にしておくように言われたのに、つい口が滑った。胡桃はあわてて竹刀を片づけてごまかそうと話をそらす。
「淳平、やばいよ。遅刻だよ、遅刻!」
 防具袋を持った時、手の甲の痛みを思い出したが、今はそれよりも淳平からの追及を逃れるのが先だ。ごまかせるだろうかと淳平を見ると、携帯電話を見て時間を確認している。
 淳平はなにかを言いかけた胡桃のその先の言葉が気になったが、遅刻という今の状況はかなりまずい。とりあえず今は学校へ向かうことが先だ。
「じゃ、お先!」
 淳平は自分のかばんとさりげなく胡桃のかばんを持ち、走り出す。
「どうせ持つならこっちの防具にしなさいよ!」
 走り出した淳平の後ろを胡桃は追いかける。
「やーだよ。そんな汗臭い塊!」
「失礼ね! 毎日きちんとケアしてるわよ!」
「嫌だね!」
 淳平は後ろから追いかけてくる胡桃より微妙に速度を早くするにとどめ、走る。一人ならば、もっと早く走ることもできたが、いくら遅刻がかかっているとはいえ、置いていくわけにもいかない。
「もうちょっとゆっくり走りなさいよ!」
「おまえがもっと早く走ればいいんだろう!」
 怒鳴り合いながら、二人は学校へと急いだ。

     *

 学校に近づくにつれ、異常な静けさに二人は首をひねる。
 走ってきたことで遅刻は免れそうだということに気がつき足をゆるめ、二人は早足より少し早目の速度で学校へと向かっていた。二人と同じ制服を着た生徒たちが学校へと向かっている。いつもなら女の子たちの笑い声や男同士のはしゃぐ声の登校風景ならではの声が聞こえるのだが、それがまったく聞こえてこない。お通夜に向かう行列のように静かだった。
「どうしたんだろうね」
 胡桃は小声で淳平に問うが、淳平としてもさっぱりだ。
 二人は校門が見えてきたことで速度を落として、周りの生徒と同じくらいの速度に合わせる。校門にいつもはいない教師を見かけ、もしかしてこれが原因? と二人は顔を見合わせた。
 特に二人は素行が悪いわけではないが、成績が芳しくないため、教師は得意ではない。できることなら顔を合わせたくない。抜き打ちの持ち物検査でもしているのだろうかと思うが、朝の挨拶も聞こえてこない。
 胡桃は淳平に持ってもらっていたかばんを受け取り、校門をくぐる。教師は無言で体育館へ向かうように両手を広げて誘導していた。
 かばんと防具を持ったまま体育館に行くのは嫌だなと胡桃は思ったが、生徒の波に流されるようにして、気がついたら体育館に到着していた。
 体育館に入った順に適当に並ばされる。胡桃の後ろに淳平が並んだ。胡桃たちは最後尾で、登校してきた生徒すべてが体育館に入ったのを教師が確認すると、すぐに校長が壇上に上がった。
『みなさん、おはようございます』
 ようやくここで朝の挨拶を聞くことができ、なぜだか胡桃はほっとした。難しそうな険しい表情をしていた教師を思い出し、少し気持ちが沈んでいたのもある。
『ご存知の方もいると思いますが、昨夜、我が校の生徒三人が』
 校長はそこで言葉をとぎらせ、なにかを耐えるように唇を噛み、うつむく。
『何者かに』
 胡桃は校長がなにを言おうとしているのか分からず、首をかしげる。なにかを知っているらしい生徒は顔を青ざめさせている人もいる。
『襲われ』
 意を決した校長のその言葉に、体育館はざわめく。校長はつらそうに下を向き、マイクを凝視している。その様子を見ていた生徒たちは、すぐに静かになり、校長の次の言葉を待った。
『現在、病院で手当てを受けている状況です』
 悲鳴があがったり、どこかでだれかが倒れるような音が聞こえる。胡桃も話を聞き、昨日と先ほどの異形の者を思い出す。自分も一歩間違ったら今頃は病院のベッドの上だったのだ。しかも先ほども襲われ、鋭い爪で引っ掻かれた。それを思い出し、手の甲を押さえる。
 校長が壇上で注意事項を話しているが、胡桃の耳にはまったく入ってこなかった。校長の話はいつの間にか終わったようで、教室に戻るように指示があった。生徒たちはやはりお通夜のように無言で教室へ向かっている。
「胡桃、手をけがしてなかったか?」
 淳平は思い出し、呆然としている胡桃に声をかける。
「あ、うん」
「保健室に行こう」
 二人は教室へと戻る流れに乗りつつ、途中で離れて保健室へと向かう。
 保健室は、先ほどの校長の話で倒れてしまった人を運び込み、ベッドが足りないことでパニック状態になっていた。ソファにまで人が寝ている。どれだけの人が倒れたのだろうとぼんやり見ていたら、淳平が手慣れた様子で救急箱一式を持ってきて、胡桃の傷ついた手を見る。
「先に手を洗って来た方がいいな」
「傷口の手当て、いいよ」
 オキシドールが傷口でしみるのを思い出し、胡桃は顔をしかめる。
「駄目だ。あんな気持ち悪いヤツの爪で傷がついたんだろう? そこから膿んで、ぐじゅぐじゅになって手を切り落とさなければならない、なんてなったら」
 淳平に言われ、胡桃は想像して身を震わせた。
「どどどど、どーしてそういう嫌なこと言うのっ」
「事実を述べたまでだけど?」
 淳平は涼しい顔をして胡桃を見る。
「ほら、手を貸して」
 手をつかまれ、胡桃はあせる。
 淳平の手って、こんなに大きかった? つい最近まで、自分と手の大きさは変わらなかったはずなのに。身長もこんなに差があった? 幼なじみのはずなのに、なんだか急にまったく知らない人のように感じて、胡桃は淳平に対して妙なドキドキを感じる。
「じゃ、じゃあ、かけるよ」
 淳平の声が妙にうわずっていることに胡桃は気がついたが、そのことに突っ込みを入れる余裕がなくて、
「う、うん」
 としか答えられなかった。
 洗面台の上に胡桃の左手を持って行き、蛇口をひねる。胡桃の手を水道水にさらす。
「ちょーっと! しみるしみる、しみるってば!」
 胡桃は必死になって淳平の手から逃れようとするが、思っている以上に強く握っているようで、びくともしない。
「すぐ終わるから黙ってろって」
 淳平は傷口を水洗いし、用意していたピンセットでガーゼをつまみ、傷口を押さえる。水で傷口を洗い流したことで止まっていた血がまたでてきたが、傷周りの水気を拭きとる。淳平は手当てをして、救急箱を片づけた。
 もう少ししたらゴールデンウィークも控えているのもあり、学校内は少し浮足立った空気が漂っていたが、今日の校長の話でその気配はすっかりなりを潜めていた。しかし今度は、別の意味で落ち着かない気持ちになっていた。
「さあ、二人とも。教室に戻りなさい。今日は少し落ち着かないかもしれないけど、普通に授業、しますよ」
 養護教諭に促され、二人はそれぞれの教室へと向かった。



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