怨人─オニ─

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 胡桃が教室に行くと、妙な静けさに包まれていた。教室の後ろのドアから中に入り、こそこそと自分の席に座る。右前の席を見ると、席が空いていた。その席にいつも座っている人物を思い出そうとした時、一時間目の授業の先生が入ってきた。
「これから、先生たちは会議に入ります。クラス委員、これを配って。授業が終わるまでに今から配るプリントを終了させておいてください」
 いつもならブーイングの声が上がるはずが、無言である。胡桃はいぶかしく思い、首をひねる。クラス委員は先生からプリントを受け取り、配り始めた。配られたプリントを見て、胡桃はため息を盛大に吐いた。この年になってまでなんで漢字の書き取りをしなければならないのだろう。げんなりしつつ、黙って書きとりをしようとした。
「きゃっ」
 前の席で悲鳴が上がった。机から顔をあげ、前を見る。教壇の下でなにかがうごめいているのが見えた。前の席の子たちが一斉に悲鳴を上げて立ちあがり、パニックを起こしてわれ先にと後ろに走ってくる。二列目の子たちがそれを見て首をかしげ、教壇を見てやはり同じような反応を示し、後ろへやってくる。胡桃は後ろから二列目の窓際の席だ。座ったままだと見えないので立ちあがるが、前の席の子たちが次々と立ちあがって後ろになだれてくる。教壇の上のなにかを見て、男女関係なく悲鳴を上げ、後ろの席へと避難してきている。クラスメイトたちはおびえている。胡桃の目にようやく、教壇の上のなにかの正体が入った。
 緑色の異形の者が、いた。
 胡桃は立ちあがり、棚の上に置いていた竹刀を握る。左手の甲が痛んだが、今はそんなことにかまっている余裕などない。
「なんなのよ、あんたっ」
 胡桃の声に、先ほども見た緑色の異形の者はいやらしい笑みを浮かべて胡桃に照準を絞る。
「きききっ」
 ガラスか黒板を爪でひっかいたような不快な声をあげ、異形の者は胡桃に飛びかかってきた。
「きゃああ!」
 教室内で一斉に悲鳴が上がる。胡桃は異形の者相手に竹刀を振り回す。
「こっちに来るんじゃないっ!」
 クラスメイトには当たらないように、だけど異形の者には当たるように振り回そうとするのだが、周りには机と椅子があるので思ったように振り回すことができないでいる。胡桃も周りにかなりの遠慮があるからだ。それを見透かしたように異形の者はさらに嫌な声をあげ、飛びかかってくる。
「きゃあ!」
 廊下に近い生徒の一人が悲鳴を上げ、ドアを開けて外に飛び出した。その流れで次から次へとクラスメイトたちは廊下へと出ていく。
 気がつけば、胡桃は異形の者と教室に取り残されていた。と思ったら、一番前の窓際の席に一人、残っている人がいた。
「危ないわよ、早く逃げて!」
 胡桃はうつむき加減にして未だに座っている少女に声をかける。後ろ姿にだれか悩んだが、すぐにそれが野尻万代だとわかった。おとといまでは肩口に届くくらいの髪の長さだったのに、異常なほど短くなっている。放課後に教室に飛び込んで来た時、ぐちゃぐちゃの髪の毛をしていたような気がした。
 万代は身じろぎしない。怖くて動けないでいるのだろうか。今、胡桃が万代のところに行くのは危険なので、そのままでいてもらうことにした。身の危険はなさそうだと感じたからだ。
「あんたたちはなんなのよっ!」
 胡桃は竹刀を構え直し、異形の者と対峙する。机の上に乗り、胡桃のことを挑発している異形の者。胡桃が竹刀を振りおろした途端、異形の者が消え、教室に先生が入ってきた。
 胡桃は急にいなくなってしまった異形の者に驚いたが竹刀を止めることができず、思いっきり机をそのまま叩いてしまった。教室内に乾いた音が響く。それを見た先生は眉をひそめ、
「桃里さん、指導室に来てちょうだい」
「こ、これにはわけが!」
「言い訳は指導室で聞かせてもらうわ」
 教室の外に出て行ったクラスメイトたちは教室の中をうかがうように遠巻きに見ている。だれも胡桃のことをかばう発言をしてくれそうにないのが分かり、竹刀袋に戻してうなだれたまま、教室を出る。
 万代はそのやり取りを聞いていて、うっすらと笑みを浮かべていた。

     *

「だからそんなもの、いなかったじゃないですか」
 胡桃はこれで何度目の説明だろう、とため息をつく。
「自習するのが嫌で教室内で竹刀を振り回してクラスメイトを部屋から追い出すなんて、やることが非常識すぎですよ、桃里さん」
「だから、違うんですって!」
 異形の者がいたから追い払おうとしたと説明しても、そんなものはいなかったと言う。確かに担任が入ってきた途端、あれは消えた。止められなくて思いっきり机を叩いてしまった。
「それなら、クラスの人たちに聞いてくださいよ! 変な生き物がいたんです」
「他の先生が聞いてくれたみたいだけど、だれ一人としてそんなものは見ていない、と言っていたわよ」
 胡桃は目の前が真っ暗になったような気がした。
 教壇の上にいて、一番前の席の子が見つけて悲鳴を上げて、後ろに逃げてきた。なのに、見てない、なんて。
 緑色の小さい変な生き物がいたんです、と胡桃がいくら説明しても分かってくれなくて、最後には担任を説得するのを諦め、無言でうなだれた。
「とにかく、ご両親を呼びましたから」
 両親は忙しいといえば忙しいけど、暇と言えば暇。壮一は胡桃の住むマンション隣の『桃里神社』の宮司で参拝客や信者を相手にしている。母の明枝は、その神社の入口で喫茶店を営んでいる。来るとしたら自由に動ける壮一だろう。
 しばらく待っているように言われ、担任は指導室から出て行った。胡桃は所在なく、椅子に座って待っていた。
 先ほど教室内で見たあれは昨日、朔也と見て、さらに今日の朝、淳平とも見たものに違いない。見間違いではない。クラスメイトたちに聞いても、いたと証言してくれると思っていた。
「なんでよ」
 胡桃は机に突っ伏す。訳が分からなくて、悔しくて涙が出そうになった。
 どれくらいそうしていただろう、ドアが叩かれ、少ししてから開かれた。
「お父さん」
 そこには、宮司姿のままの壮一が立っていた。
「胡桃、暴れたんだって?」
 にこやかな声に、胡桃はどう答えていいのか悩んだ。壮一のその声音は、怒っているというよりは心配の色を大いに含んでいたからだ。壮一は部屋に入ってきてドアを閉め、胡桃の前に座った。
「いきなり呼び出されて、驚いたよ。だけど、胡桃に何事もなかったようで、よかった」
 と言った後、ふと胡桃の左手甲を見る。
「何事もなかった、わけではなさそうだね」
 眉をひそめる壮一に、
「これは」
 どこから説明すればいいのか分からなくて、唇をかむ。
「今日はもう帰ろう。胡桃は自宅謹慎を言い渡されてしまったらしいよ」
「なに、それ?」
 壮一は肩をすくめてやれやれ、というポーズを胡桃にして見せる。
「頭でっかちで生徒の話をろくに聞かないような教師しかいない、ということだよ」
 壮一は慰めてくれるが、大学進学の内申点にかなり響くなあ、と胡桃はものすごく落ち込んでいた。
「謹慎中は神社の手伝いをしてほしいな」
 胡桃のかばんと防具を教室から持ってきてくれた壮一は両方持ったまま、靴箱まで一緒に廊下を歩く。
「おとーさん……なんで」
「どうにも町がざわめいていてね。落ち着かないんだよ」
 だから少し、町を見て回りたいからその間、留守番をよろしく、ということらしい。明枝は喫茶店があるし、昼間はさすがに留守にはできないから、というのだが。
「もう少し娘の将来を悲観してよ」
「人生は長いんだから、少しくらい寄り道したってどうってことないよ」
 あっけらかんにそんなことを言い出す始末。胡桃はその言葉に自分の父ながら、呆れていた。




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