怨人─オニ─

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     *

 それにしてもあの『怨人』というのはなんだろう。胡桃は湯船に浸かりながら、今日の出来事を思い出していた。明らかにあれは、自分に敵意を向けていた。
 おとといと昨日の出来事。あの怨人はおとといから急に湧いて出てきた。発端はなんだろう。
 ぼんやりと浸かっていたら、お風呂の外から明枝の呼ぶ声が聞こえた。
「なあに?」
「淳平くんが来てるんだけど」
「あー、うん。すぐに上がって髪を乾かしたらキッチンに行く」
 胡桃の返事を聞いた明枝の気配が遠くなるのを確認して、胡桃は湯船からあがった。

 髪を乾かし、パジャマを着てその上に軽く羽織ってからキッチンへと向かう。いくら幼なじみとはいえ、さすがにパジャマ一枚は恥ずかしい。
 胡桃を見て一目でお風呂上がりと分かり、淳平はあわてる。
「ごめんっ! 出直すわ」
「なにあわててるのよ」
 胡桃は冷蔵庫からお茶を取り出し、コップに注いで一気飲みする。淳平はダイニングテーブルに座り、明枝が出したと思われるお菓子をつまんでお茶を飲んでいた。
「わざわざ淳平がうちに来たということは、なにか用があったんでしょう?」
 明枝は胡桃と入れ替わりでお風呂に入っている。壮一は気になることがあると宮司服から着替えず、夕食を食べた後、出かけて行った。
「いや、大したことじゃないんだけど」
 あわてて立ちあがろうとした淳平を胡桃は手で制して座るように促す。淳平は諦めて椅子に座りなおした。
「朝、胡桃と神社の前で別れて、そのままランニングに行ったんだ」
 壮一の読みは正解だったらしい。
「神社を回って、うちのマンションの横を通ってそのまままっすぐ線路に向かって走って、コンビニに寄って」
「コンビニスイーツ、なにか新作あった?」
 コンビニスイーツをチェックするのが好きな胡桃は、淳平に聞く。
「いや。特にめぼしいものはなかった。そのままコンビニを出て、まっすぐ線路に向かって走っていたら、犬伏先輩がいたんだ」
「犬伏先輩が?」
 休みの日は朝早くに道場に行って練習をしているのを知っている胡桃は、今日は休校だから道場へ練習に行ったのだろうと思った。
「すごいスピードで走っていてどうしたんだろうと思ったら、また耳鳴りがしたんだ」
 淳平はポケットから携帯電話を取り出してテーブルの上に置く。鈴の音がした。
「これのおかげで助かった。犬伏先輩を見ると、あの緑色の変なのに追いかけられていた」
「先輩が?」
 淳平は胡桃の問いにうなずき、
「追いかけて、鈴を振り回していたらあいつ、止まった。あそこの線路の高いフェンスをひとっ飛びして下に降りて、線路の上。ちょうど電車が来て、轢かれたように見えたんだけど、なんにも残ってなかった」
 胡桃は淳平から話を聞き、しかめっ面をする。
「あいつ、ものすごく動きが速かったから、もしかしたら電車にぶつかる前に逃げたのかもしれないね」
「うん。犬伏先輩もそんなことを言っていた」
 胡桃はうなってから口を開く。
「それが夕方、うちの神社の前にも現れた」
「それ、朝のヤツかもしれないな」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
 胡桃は淳平に神社の前でなにがあったのか説明する。
「柚月の?」
 淳平は柚月と同じクラスだ。名前を呼び捨てにしているところ、仲がいいらしい。胡桃が二年になったとき、柚月と別クラスになってしまった。柚月は淳平と同じクラスになったので、お願いしたのだ。
「柚月ちゃんと仲いいみたいね」
「今、席が隣だからな」
 それで昨日、頭痛を押してまで学校に行こうとしていたのだろうかと胡桃は思う。
「桃里、犬伏、猿木、雉子波。桃、犬、猿、雉。桃太郎かよ」
 胡桃はなにも言ってないが、淳平は気がついたらしい。
「うちの神社って桃太郎が建てたとかいう言い伝えがあるらしいよ」
「桃太郎っておとぎ話だろう?」
 淳平はなにを言ってるのという表情で見ている。
「そうなんだけどね。明日にでも犬伏先輩と雉子波くんを誘って、お父さんに話を聞こうか」
「明日はさすがに学校に行かないとまずいだろう」
「あ、そうか」
 自分が無期限停学中の身だったので、学校のことをすっかり忘れていた。
「どうして学校、いきなり休みになったんだろうな。やっぱりアレが出たのかな」
「気になるからとお父さんが調べに行ったんだけど、そろそろ帰ってくると思う」
 そのタイミングで、玄関が開いた音がした。
「噂をすれば。お父さん、お帰りなさーい」
 胡桃は椅子から立ち上がり、玄関へ向かい、壮一を見て悲鳴を上げる。
「お父さん!」
 胡桃の声に淳平も玄関へと向かう。宮司服の肩口が真っ赤に染まっているのを見て、淳平は立ちくらむ。廊下の壁に手をつき、かろうじて倒れるのは免れた。
「お父さん、大丈夫?」
 胡桃は走り寄り、玄関にひざまずいて荒い息をしている壮一を支える。
「油断した」
 壮一は額から脂汗を浮かべている。
「淳平、救急車を呼んで!」
「あ、ああ」
 淳平は血を見て、身体が勝手に震えている。その自覚はあったが、止めようと思っても止められない。身震いしながら電話を探し、震える声で救急車を呼ぶ。恐怖に喉は渇きを覚え、急激に体温の低下を感じた。
「お父さん、大丈夫?」
 出血は止まっているようだが、よく見ると前からばっさりと右肩を切られている。これが左でなくて良かったと胡桃は思う。もしも左を切られて、心臓に達していたらと思うと心が急激に冷えるのを感じた。
「お父さん、怨人にやられたの?」
 傷口を見て、自分の左手甲のことを思い出して壮一に聞く。
「たぶん。暗くてよく見えなかった」
 怨人は無差別に人間を襲っているのだろうか。そうなると、この町の人たちは外を出歩くのは危険ではないか。
 外から救急車のサイレンが聞こえてきた。
「お父さん、立ちあがれる?」
「……ちょっと無理かも」
 救急車の音に、奥にいた淳平が玄関へとやってきた。
「淳平くん、手間をかけさせてすまないね」
「なにを言ってるんですか」
 淳平はようやく冷静さを取り戻したのか、いつもの調子に戻っているようだった。
「オレ、外に行って呼んできます」
 淳平は靴を履いて外へと出る。そこでお風呂からあがってきたらしい明枝がなにか普段と違う空気を感じ取り、玄関へとやってきて、真っ赤な血に染まっている壮一を見て一言。
「どうしたの? 盛大な鼻血?」
 あまりのずれっぷりに胡桃はおろか、さすがの壮一も呆れて二人で明枝を見上げていた。

     *

 救急車の付き添いは一人と言われて、淳平が付き添うこととなった。胡桃と明枝は心配だったが家で待つこととなった。明枝は落ち着いたもので、いつも通りの日常作業をやっている。
 一方の胡桃は落ち着くことができず、自室の中をうろうろしていたかと思ったら出てきてキッチンに意味もなく来てみたりしている。
「胡桃、落ち着きなさい」
「でも」
「あのね、胡桃」
 明枝は手を止め、胡桃を見る。
「壮ちゃん、あれは殺しても死なないくらいしぶとい人だから。それに、ちょっと肩を切ったくらいじゃない。淳平くんがついていってくれているんでしょう?」
 胡桃は小さくうなずく。
「あいつらは男なんだから、大丈夫」
 明枝の根拠のない「大丈夫」という言葉に、胡桃は少しだけ笑うことができた。
「眠れないかもしれないけど、こういう時だからこそ部屋でゆっくりしていなさい」
 胡桃は落ち着くからと明枝が作ってくれたホットミルクとともに、素直に部屋に戻った。
 今できることは落ち着くしかないと分かり、机に座った。目の前にある教科書を適当に取り、ホットミルクを口に運びながらめくってみる。
「受験勉強……しないといけないんだよねぇ」
 朔也のことを思い出す。彼は受験生だ。朔也の父親はこの町で開業医をしている。朔也のことだから、跡を継ぐ気でいるのだろう。
 もらっていたメールに返事をしていなかったことを思い出し、胡桃は携帯電話を取り出す。普段メールをしないので、文字を打つのは得意ではない。四苦八苦してメールを打ち終わり、送信する。慣れないことをしたせいか、胡桃はどっと疲れが出てきた。
 壮一のことは心配だったが、胡桃はベッドにもぐりこむ。ここのところ毎日夢を見ていてよく眠れていなかったのとホットミルクのおかげか、胡桃はぐっすりと眠ってしまった。

 胡桃が眠ってからそれほどしないで、壮一は帰ってきた。胡桃が心配していたと明枝から聞いた壮一は部屋へ向かったが、電気が消えて眠っている胡桃を見て、ほっとする。
 ここ何日かで明らかに胡桃の周りは急激に変わった。それは本人が望んでいないとしても、彼女はそういう星の元に産まれついたのか、思いっきり巻き込まれている。少しかわいそうだとは思ったが、それは胡桃が乗り越えていかなければいけない試練なのだ。自分は親として、サポートできるところはしていこうと壮一は心に決める。
 一人娘ということもあり、ついつい過保護になりすぎている自覚はある。
「おやすみ、胡桃」
 壮一は穏やかな寝顔を浮かべて眠っている胡桃に一言つぶやき、部屋を出て行った。

     *

 次の日の朝、胡桃はいつも通り、目覚まし時計に叩き起こされた。乱暴に目覚まし時計を止め、胡桃は大きく伸びをする。昨日のことを思い出し、あわてて着替えてキッチンへと向かう。
「おはよう」
 そこにはいつもと変わらない壮一と明枝の笑顔があった。
「おはよう。お父さん、大丈夫?」
 血まみれになっていた壮一を思い出し、胡桃は泣きそうになる。あの時、自分は妙に冷静だと思っていたけど、それはどうやら違っていたらしい。いまさらながらあの時を思い出し、涙が出てきそうになった。
「大丈夫だよ。出血の割には傷は浅いって」
 壮一の説明に、胡桃は安堵した。
「淳平くんにお礼を言っておかないとね」
「うん、そうだね」
 いつものように朝食を取り、食べ終わるかという頃になり、玄関のチャイムが二度ほど鳴った。この鳴らし方は淳平だと分かり、胡桃は目の前にあった料理をすべて口に入れ、立ちあがって玄関へ向かう。壮一のお行儀が悪いぞという言葉に胡桃は手をひらひらとさせながら。
 玄関にたどり着いた頃には胡桃の口の中からは料理はなくなっていた。玄関を開けると、血相を変えた淳平が中に転がり込んできた。
「どうしたの?」
 トレーニングウエアを着た淳平はランニングをしてきたらしく、額に汗をかき、肩で息をしている。しかし、その様子は尋常ではなかった。
「どうしたの?」
「で、出た」
 淳平の表情はお化けにでも遭遇したかのような表情をしていたが、それよりたちが悪いのが怨人だ。昨日は壮一が切りつけられ、今日は朝からランニングをしていたらしい淳平はまたもや遭ってしまったらしい。
「淳平はどこも切られてない?」
「大丈夫。耳が痛くなってすぐにこれを出したから」
 淳平はポケットに入っている携帯電話を指さす。その先には、昨日の鈴がついていた。
「それならよかった」
 淳平は当たり前のように家に入り、ダイニングへと向かう。
「おじさん、おばさん、おはよう」
「あら、淳平くん。おはよう。昨日はありがとうね。ところで、今日も学校はお休みなの?」
 学校があるのならのんきにランニングはしていないだろう。
「今日も臨時休校だと連絡があったよ」
「あらぁ。胡桃は不幸中の幸い、なのかしら?」
 明枝はのんきにそんなことを言っている。胡桃が朝食の後、片付けずに玄関に出たので明枝が代わりに食器を洗っている。
「あ、お母さんごめん」
「いいわよ。夕食の食器洗い、お願いするから」
 胡桃は明枝に向かって両手を合わせて大げさな動作で、ご勘弁を! とお願いしている。淳平はそのやり取りを見て、笑う。
「あ、ようやく淳平、笑った」
 胡桃に指摘され、淳平は苦笑する。言われてみればなんとなく、昨日から笑うことができていないような気がした。
「今日も学校が休みなら、雉子波くんも呼ぼうよ。柚月ちゃんのケータイ番号、知ってるでしょ?」
 胡桃に聞かれ、淳平はうなずく。
「あたし、犬伏先輩に連絡を取るから」
「なんで知ってるんだ」
「教えてもらったんだよ」
 そんな会話をしている横で明枝は食器を片づけ、荷物を持って喫茶店へと向かう。
「それじゃ、あとはいつもの通り、よろしくね」
「はーい、お昼にご飯を食べに行く」
 胡桃は明枝を見送り、携帯電話を取り出して朔也へと電話をする。それほどせず、朔也は電話に出た。
「おはようございます、犬伏先輩」
 昨日、慣れないメールで経緯は軽く説明していたので、そちらに向かうとだけ言われて電話はすぐに切られた。話が早くて助かったが、あまりにもあっさりしていて物足りなさを感じた。
 一方の淳平はどうやら柚月と盛り上がっているようだ。胡桃はそれが面白くなくて、淳平の袖を引く。淳平はようやく思い出し、本来の用件を告げる。
『将司? いるけどなんで淳くんがあの子に?』
 受話器から漏れ聞こえた柚月の声に、胡桃はなんとなく嫉妬する。淳くんなんて、そんな柄じゃないでしょと思うものの、柚月がそう言うと嫌味がないどころか淳平のキャラに合わないのに合っているような錯覚に陥ってしまう。
 淳平はしどろもどろに適当な言い訳をして、ようやく将司に変わったようだ。そのタイミングで淳平は、胡桃に携帯電話を渡す。
「あ、将司くん、おはよう。桃里です」
『あれ? なんで桃里先輩?』
「淳平とは同じマンションなんだよ。それでね、今から出てこられる?」
 胡桃と将司は二・三言会話を交わし、通話を終えた。
「淳平、ありがとう」
 胡桃は淳平から借りていた携帯電話を返す。鈴の音が部屋に響く。
「淳平用の鈴、お父さんが昨日、作ってくれたんだ。ちょっと取ってくる」
 胡桃は部屋へ戻り、淳平用の鈴を持ってきて渡す。
「ありがとう」
「それはお父さんに言って」
 淳平は素直に受け取り、携帯電話と一緒にポケットにしまう。
「借りてた鈴、後で返すな」
「うん」
 胡桃と淳平は家を出て、神社へと向かった。



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