松落葉(まつおちば)/【五話】般若池

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 維織と璃々香の二人は宿泊棟に戻り、食堂へと向かった。

「おまえら、遅い!」

 食堂にはすでに真吾がいた。璃々香は目を丸くして真吾へと近寄る。

「しんちゃん、探したのよ」
「探したのはこちらのセリフだ! こら、そこのちび助」

 真吾は維織を指さし、高圧的なセリフを吐く。

「部長を置いてどこかに消えるとは、どういうことだ!」
「なにを言っているんですか、天野先輩! 先輩こそ、か弱い後輩を捨てて一人で逃げるなんて、ひどくないですか」

 維織は先ほどの出来事を思い出し、急にいなくなった真吾を心配していたのに何食わぬ顔をしていることにだんだん腹が立ってきた。

「部長命令に従わないおまえがひどいだろう! すぐに出るように指示を出したのに、追いかけてこないのが悪い」

 維織は真吾の言葉に怒りで身体が震えてくる。

「しんちゃんたら、そんなこと言わないの。維織は心配してたのよ」

 ね、と璃々香は維織と真吾に微笑む。
 ノックの音がして、青葉がワゴンに料理を乗せて食堂へ入ってきた。真吾はいきなり歌い出す。

「めーし、めぇし、ひっる、ひーるぅ!」

 聞いたことのない曲だ。きっと作詞・作曲:天野真吾なのだろう、と維織は脱力して椅子に座った。
 ワゴンにはいい匂いのする料理が置かれ、青葉は手際よく準備している。維織はぼんやりと給仕するのを見ていた。
 青葉作のお昼ご飯は大変美味しく、維織は食べ過ぎてしまった。先ほどの理不尽な真吾の言葉のことはすっかり忘れた。

「苦しい」
「小さいくせに食べすぎだ」

 真吾もかなりの量を食べていて、苦しそうにお腹をさすっている。

「二人とも、大丈夫?」
「どうにか」

 璃々香は二人を見て苦笑している。

「裏にある般若池に行きましょうか」
「般若池?」

 能面に般若という名前のものがあったような気がした維織は必死になって見た目を思い出す。顔色の悪さを表している面、睨みつけるような瞳に両口角をあげて口を開いて威嚇している表情は恐ろしいの一言。角まで生えていて、あれは人間とは言えない。

「繁史は大の日本酒好きで、祖父に借金をしている身なのにやめられなかったらしいの。あまりにも借金を返さないから祖父が怒って池にすべての日本酒を投げ捨てたから、それ以来『般若池』と呼ぶようになったんですって」
「りりか、その説明だとこのちびには意味が分からないぞ」

 三人は食堂で食べ過ぎて苦しむ二人が動けるようになるまで少し話をすることにした。
 璃々香は般若池の由来を語ってくれたのだが、維織には大好きな日本酒を池に投げ捨てた璃々香の祖父が般若のようだと繁史が思って名付けたのだとしか思っていなかった。

「日本酒のことを隠語で
「般若湯」
と言うんだよ。りりかの祖父の行為と日本酒をかけて
「般若池」
と名付けられたらしい」
「それとね、この島は上空から見たら般若のお面みたいな形をしているのよ。池はちょうど般若の口に当たるような三日月形をしているの」

 維織はその話を聞き、恐る恐る自分の足元を見る。この立っている地は、般若面の上のようだ。

「りりかぁ、ちびちゃんにはその話、ちょっと刺激的だったんじゃないのか?」

 青ざめている維織を見て、真吾は馬鹿にしたようにせせら笑っている。

「たまたまそんな形をしているだけじゃない。なにも怖がることないわよ?」

 璃々香はそっと維織の手を握り、大丈夫だからと囁いた。

「池は水たまりくらいの深さしかないけど、不思議なことに真水なのよね。写真をしっかり撮ってね」

 維織は首から下げている借り物のデジカメを触った。結局、先ほどは真吾に脅された挙句、面が一斉落下という有り得ない状況に遭遇してパニックになり、ここにきて一枚も撮っていないことに気がついた。なんのための撮影旅行だろう。

「頑張って撮ります!」

 維織は手を挙げて宣言する。璃々香は笑い、真吾はため息をついた。

「しんちゃんは?」
「なにがだ」
「カメラ」

 真吾は胸元をさしてここに、としたところで、自分がカメラを持っていないことに気がついた。

「あれ?」

 真吾は自分の身体を触り、カメラを持っていないことに気がついた。

「おかしい。ここに来て、カメラ」

 真吾は口を閉じ、悩んでいる。

「しんちゃん、カメラを持ってきてる?」
「あたり前田のクラッカーだ!」

 真吾の口から飛び出した古いギャグに維織は頭痛を覚える。テレビの懐かし系の番組でしか聞いたことのないギャグ。自分の親でもリアルタイムで見ているかいないか、微妙なところだ。

「じゃあ、思い出してみようか」

 璃々香は真吾のすべったギャグを華麗にスルーして、右ひじを左手で支え、右人差し指を頬にあて、少し首をかしげる。

「家からは持ってきた?」
「持ってきた」
「ここには?」
「持ってきた! 部屋に入って、ベッドの上に置いて」

 真吾は口を閉じた。右手と右足を同時に出して食堂を出ていく。璃々香は苦笑して後ろについていく。維織も置いていかれたくなくて、まだ苦しいお腹をさすりながら追いかける。
 先頭に真吾、その後ろに璃々香と続いて縦一列で歩いている姿がまるでドラクエ歩きで、維織は笑いをこらえるのに必死だった。
 真吾は十字状の廊下を中心に向かって歩き、左に曲がって出入口に近い一○一に入っていった。

「しんちゃんったら、ほんっとおっちょこちょいというか抜けてるんだから」

 それほど待つことなく、真吾は重苦しい空気を背負って出てきた。

「ないんだ」

 璃々香は予想していたのか、振り返り、一瞬、維織と対面する。璃々香が振り返ると思っていなかった維織は、突然の出来事にかたまる。璃々香は維織と壁の合間を抜けて、一○三の部屋へと消えた。

「そんなことだと思ってたのよね」

 部屋から出てきた璃々香の手には、少し小さめのバッグ。真吾は受け取り、すぐに開けた。

「おおおおおお、これは!」

 中から赤い筺体を取り出し、両手を掲げ持つ。その姿、どこかで見たことがあると維織は少し悩み、

「ゼルダの伝説!」

 リンクがお宝を発見して中から取り出した時と同じポーズと知り、維織は手を叩く。

「おまえはゲーマーか」

 真吾の突っ込みに維織は愛想笑いを浮かべた。

「りりか、すごいじゃないか。これってパナソニックの最新一眼レフデジタルカメラじゃないか。タッチパネルでピント合わせができるというやつ」

 真吾は電源を入れ、操作を始めた。

「しんちゃん、カメラいじるのは後にしようか。先に池に行きましょう」

 真吾は廊下に座り込んでカメラをいじり始めそうだったので、璃々香は移動するように誘導した。
 三人は宿泊棟を出て、松の合間を縫うように緩やかな坂を登る。維織の視界に唐突に緑のじゅうたんが見えた。

「ここが般若池よ」

 池と言われても維織には実感がない。風が吹くと緑の面がさざ波を立てて、水面にみっしりとウキクサが浮いていて、それがじゅうたんのように見えたということが分かった。緑色の表面を見つめているとインターネットで流行ったハスコラ画像を思い出し、維織は鳥肌が立ってきた。

「さあ、二人とも写真を撮るのよ」

 璃々香は維織に早く撮るようにせっついてきた。すでにギブアップと根をあげて、一刻も早く帰りたくなってきた。
 真吾はカメラを取り出し、設定をいじって写真を撮り始めている。

「維織、遠慮することはないわよ」
「宮下先輩は」
「わたくしのことは気にしないでいいのよ」

 維織は仕方がなく写真を撮ることにした。ファインダをのぞきこみ、適当にシャッターを押す。あまり池を見ないようにしながら周りの風景を撮っていく。
 松に近寄り、幹を撮ってみたり葉を撮った。地面に落ちた茶色くなった松葉も撮ってみたりする。

「維織、ここから海が見えるわよ」

 璃々香に呼ばれ、池の淵をたどる。般若池は横に長い。向こう岸は肉眼で確認できるが、思っているより幅がある。飛んで渡るのは無理のようだ。
 璃々香は島の端に腰掛けて海を眺めていた。維織は隣に立ち、海に視線を投げる。

「この島は基本的には断崖絶壁なの。最初に降り立った浜は低くなっているけど、周りは崖だから気を付けてね」

 維織はゆっくりと崖に近づき、下をのぞきこむ。むき出しのごつごつの岩が見え、思っているよりも荒い波が島を叩きつけている。
 立ちくらみを起こしそうになり、維織はあわてて崖から離れた。
 もう少しここに慣れたら上からのぞいた写真も撮ってみよう、と思えた自分を褒めてあげたい。
 崖から離れた場所から海を撮り、崖の縁を撮り、池の端に立って池も撮ってみる。
 ここにいるとこの風景は当たり前でありふれた光景に見えるが、日常に戻ると非日常となる。そのことに気がついた維織は少しでも自分の見た一瞬をカメラに閉じ込めたくなり、無心になって写真を撮り始めた。

「維織、そろそろ戻ろうか」

 気がついたら日はここに来た頃よりずいぶんと傾いてきていた。璃々香は崖から立ち上がり、服に着いたごみをはたく。風が璃々香の長い髪をさらっていく。維織は思わず璃々香にカメラを向けて撮る。

「もう、維織! わたくしなんて撮っても面白くないわよ」
「そんなことないですよ。宮下先輩、絵になりますよ。今度、モデルになってください」

 維織のお願いに璃々香はうれしそうに笑みを浮かべる。

「いいわよ。きちんと美人に撮ってよ」

 断わられるかと思ったらあっさりと承諾を得られることができて、維織はうれしくなった。

「宮下先輩は美人ですよ」
「そう? しんちゃんったら、なぜかわたくしだけいつもかわいくなく撮るのよね」

 真吾はたくさんの女の子の写真を撮っているのでポートレイトが苦手、というわけではなさそうだ。真吾が撮った璃々香の写真を見たことがないのでなんとも言えないが、なにか理由があるのかもしれない。

「今日の撮影はこれくらいにしておきましょうか」

 写真を撮るのが面白くなってきた維織としては少し物足りなかった。

「どれくらい撮ったのか分からないけど、メモリ容量がそろそろ足りないんじゃないの?」

 指摘されて確認すると、あと数枚しか撮れないことが分かった。

「それに、電池もなくなってきた頃でしょ」

 電池残量もメモリがひとつになっていた。

「デジカメはフィルムを用意しなくていいし現像もないけど、そこがネックなのよね。銀塩カメラも肝心なフィルムがなかったら撮れないけど、電池の心配がないから楽なのよね」

 璃々香と並んで歩いて宿泊棟へと戻る。

「天野先輩は」
「しんちゃんならとっくに部屋に戻ってるわよ」

 維織は、周りのことが見えないくらい夢中になって写真を撮っていたということに、今さらながら気がついた。

「しんちゃん、声をかけて来てたんだけど、気がつかなかった?」
「全然」

 またやってしまった、と維織は反省する。夢中になると目の前のことしか見えなくなる。直さないといけないと思っているが、いつも後の祭りだ。

「データを吸って、充電しておいてね」

 維織と璃々香は廊下で別れた。あてがわれた一○四に入り、電気を付けてクローゼットに入れた荷物を漁ってノートパソコンを取り出す。机の上に置いて電源に繋いで起動させる。カメラを入れていたかばんから充電器も取り出す。
 メモリから写真をコピーして早速見てみる。
 意外にピンボケしていたりぶれていたりした。

「駄目だなぁ」

 自分の写真の出来のひどさにがっかりする。
 維織はベッドに転がり、大きくため息をついた。



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