松落葉(まつおちば)/【九話】白い手

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 維織たちは壁一面の能面の部屋の向かい側にある部屋に入った。

「ここは二の部屋。繁史の出来のいい能面を展示している部屋よ」

 隣の部屋は作りかけのものも混じっていたようだったが、ここは完成品が置いてあるらしい。
 壁際にガラスケースがずらりと並べられ、その中にベルベットが敷かれており、上に能面が置かれている。木札にはお面の名前が書かれていた。
 確かにここに置かれている能面たちは、あの大量の能面たちとは一線を画した存在感があった。今にも動き出して語りかけてきそうな能面たちに維織は少し腰が引けていた。

「気に入った能面があったらケースから出すわよ」

 と言われても、ガラスケースにきれいに納められている能面を見ているとぞわぞわとしたなにかを感じてしまう。
 能面をひとつずつ見ていてなにかに似ている、と思ったところで。

「前から思っていたんだが、デスマスクだよな」
「しんちゃん!」
「デスマスクって、アレ……ですよね」

 死んだ直後の顔をかたどったものをデスマスクという。言われてみれば確かに能面はそうも見えても来る。

「天野先輩ってデリカシーがなさすぎです!」

 維織は自分の目に涙がたまっている自覚をした。眼鏡をはずして乱暴に目元をぬぐい、眼鏡をかけ直して写真を撮ることに集中することにした。

「維織、この面なんていいんじゃないの?」

 璃々香は白い手袋をしてケースから面を取り出した。

「小面(こおもて)と言って、若い女性を表現したお面なのよ」

 柔らかな表情をした面に維織は少しだけ安堵した。維織はカメラを向けて写真を撮る。璃々香が次々にさまざまなお面を取り出してくれたので、維織はそれらを撮っていった。
 真吾も写真を撮っている。

「能のお面は彫るのではなく打つというのは、この面に色々な物を打ちこんでいくからなのよ。きっとこの中には魂も打ち込まれていると思うの。そうでなければ、こんなに表情豊かなお面は作れないと思うのよね」

 璃々香は能のお面を丁寧に片づけながら説明している。

「維織は能を見たことがある?」
「いえ」

 能、と言われて風姿花伝で観阿弥・世阿弥親子といった歴史の教科書に載っている程度のことしか分からない。

「島から戻ったら一度、見てみるといいわ」

 能面だけ見ていたら不気味だが、これを付けて演じられるとどうなるのか、維織は気になった。

「次は三の部屋に行きましょうか」

 璃々香を先頭にして三人は部屋を出た。
 ここのところすっかり影が薄くなった真吾に維織は視線を向ける。

「えっ」

 真吾の肩口に白い手が見えた。維織の前に璃々香、その後ろに真吾。ここには三人しかいないはずだ。瞬きしたら、白い手は消えた。
 真吾を気にしながら維織は三の部屋に向かった。

「ここは面をどうやって打っていくのか、という行程が分かる部屋なの」

 二の部屋と似たような作りだが、こちらは入ってすぐのところには木の固まりが置かれており、それがどんどんと面の形になっていく様が分かるようになっていた。
 維織はケースの上から写真を撮った。

「フラッシュを焚くとガラスに反射するから、フラッシュは切って。ガラス面に自分が映るのが気になるなら、ガラスにレンズを付けて撮るといいわよ」

 璃々香のアドバイスの通りに維織は写真を撮り、液晶画面で確認する。少しぶれてはいたが、撮れているようだ。
 維織は時々、真吾を盗み見た。気のせいか、肩や腰のあたりに白い手がちらちらと見える……ような、気がする。真吾はそのことに気が付いていないのか、普段通りに写真を撮っている。
 伝えたところで気のせい、で終わりそうな気がして、黙っていることにした。
 白い手は維織の視線を感じるとすぐにどこかに引っ込んでいたのだが、徐々に大胆になってきてずっと真吾の肩口に手を置いたまま、になっている。璃々香は真吾を見てなにか会話を交わしているのに気が付いていないのか、普段と変わらない。真吾はいつもならうるさいくらいにしゃべるのに、相槌を打つくらいしかしていない。
 維織は真吾と璃々香がしゃべっている姿を数枚、撮影した。

「繁史の工房に行ってみましょうか」

 璃々香の案内で三の部屋を出て、隣のこの館の中でまだ入っていない四の部屋へと足を踏み入れる。
 この部屋も他の部屋と大きさは変わらないはずなのに、妙に手狭く感じるのは道具が所狭しと置かれているせいだろうか。

「繁史は作り始めると寝食を忘れて没頭する癖があったみたいで、奥さんが身の回りの世話をしていたようなの」

 維織はてっきり繁史は一人身と思っていたので、いきなり出てきた奥さんの話に思わず聞いてしまった。

「奥さんがいたんですか?」
「ええ。かなりの歳の差夫婦だったみたいだけど、梨絵(りえ)さんは繁史の能面に惚れて、押し掛け女房的にここにやってきたの」
「梨絵さんというのは」
「繁史の奥さんの名前よ。梨絵さんのお父さまは能を舞う方で、それでこの能面との出会いがきっかけで面打ちの繁史を知ったようなの」

 壁に掛けられているのは赤い般若面だった。

「こ、これを見て、ですか?」

 璃々香はうなずき、白い手袋をはめて壁に掛けられた赤般若を手に取った。

「この能面は『黒塚』という演目で使われるお面なの」
「『黒塚』というのは」

 久しぶりに真吾が口をはさんで来て『黒塚』の内容を説明してくれた。

「『安達原の鬼ばばの話』といえば分かるか」
「人を取って食べていたという鬼女の話、ですか?」
「そうだ。『黒塚』はその話だ」

 山伏が一晩の宿とした家が鬼女だった、という有名な『安達原』のことらしい。

「人を食うなんて因果なもんだよな」
「『黒塚』はどうして老婆が鬼女になって人を食べるのか、は語られてないの。もともとの話を知ると……とても切ない気持ちになるわ」

 しんみりとした空気の中、真吾の肩には相変わらず白い手が見えたままだった。

「ここで話が終わればいいんだけど」

 璃々香は赤い般若面を見つめながら口を開く。

「最初は梨絵さんが押し掛けて来て、繁史はかなり迷惑だったようなのね」

 梨絵の見返りを求めない献身的な世話に、繁史は梨絵をかけがえのない存在であると認め、繁史からプロポーズした。梨絵は二つ返事で承知をして、二人は結婚した。

「二人はこの島で暮らしていた。食材などの物資調達などは梨絵さんが行っていて、週に一度、島の外に定期的に出ていた」

 繁史はもともと嫉妬深い性格だったようで、梨絵がそうやって島外に物資調達に出るのも次第に難色を示しだした。

「決まった曜日に島外へと行っていたようなんだけど、繁史は梨絵さんを外に出したくなくてあれやこれと理由を付けて島にとどまらせようとしていたの。それに対して梨絵さんは繁史をなだめすかしてどうにか出て、物資調達をしていた」

 そしてある日、海がしけて島へ戻れなくなった。

「繁史は荒れ狂い、この工房で暴れたらしいわ。壁をよく見ると、その時の名残があって」

 ほら、と璃々香は壁をさした。そこを見ると、壁が大きくえぐれていた。

「ノミやらナタといった道具を手当たり次第に投げて、繁史自体もけがをしたようよ」

 梨絵は数日後、ようやく島に戻った。

「島に戻るとまるでこの般若面のような形相の繁史が桟橋に立っていたというわ。般若面は女性の嫉妬、怨念などを表したお面なのに、それを打った繁史がこれと同じ表情をしていたなんて、面白いわよね」

 面白そうに笑う璃々香に維織はなぜか背筋が寒くなった。

「それから繁史の梨絵さんの束縛がひどくなり……」
「物資調達に出かけようとした梨絵を背後からノミで」

 真吾は腕を振り上げ、地面へ向かって一気に突き刺した。

「そして死体を」
「しんちゃんっ!」

 璃々香はあわてて真吾の口をふさいだ。

「しんちゃん、維織を怖がらせてどうするの! ごめんね、維織」

 維織は璃々香にそう言われて自分の指の先に血が通っていないことに気が付いた。全身が妙に冷たい。

「あの……部屋に戻って少し休みたいです」

 あの部屋に一人にはなりたくなかったが、それでも少し、休みたかった。

「ごめんなさいね、維織」

 璃々香に改めて謝られ、維織は首を振った。
 璃々香に支えられるようにして能面館を出て、一○四に戻った。
 明かりを付けて机の上にデジカメを置いて、ベッドに身体を横たえる。天井は白くてシミもない。維織は眼鏡をはずして目の上に腕を乗せてため息を吐いた。
 この妙な疲れは話のせいもあるが、あの白い手の影響もかなり大きいのではないだろうか。
 ベッドに横になったら急速に眠気が襲ってきた。ちょっと寝ようと思い、維織は眠ることにした。

     *   *

 白い手が見える。あれはきっと、先ほどずっと真吾に絡みついていた手だ。
 それは徐々に姿を現し、一人の女性の姿になった。若くてきれいな女性。もしかしたらこの人は繁史の妻という梨絵だろうか、と維織はぼんやりと見ていた。
『帰さないわ、あなたたちをこの島から出さない。私と一緒にあの世に逝くのよ』
 美しい女性が次の瞬間、あの赤い般若面の顔になった。黒くて長い髪を振り乱し、維織を追いかけてくる。維織は必死になって梨絵から逃げる。
 あの手につかまったら帰れない。早く逃げなきゃ。
 焦るが、思ったように身体が動かない。身体に鉛が付けられたかのように重たい。
『待て』
 振り返ると、すぐそこに梨絵は迫っている。
 早く、早く逃げないと。つかまると帰れない。
 腕をまわし、クロールのようにして必死に前へと進もうとするが、そう思えば思うほど、身体は前に動かない。
『ふふふ、捕まえ──』


「うぎゃっ」

 額に衝撃を受け、維織は目を覚ました。驚いて飛び起き、枕元を見ると、あの松風のお面が落ちていた。
 松風のお面が起こしてくれた……?
 維織は恐る恐る、松風のお面を拾い、壁にかけた。
 もしこのお面が額に落ちていなかったら。
 維織はそう考え、背筋が凍るのを感じた。





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