松落葉(まつおちば)/【十一話】雷雨

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 デジタルカメラの充電池の予備を買っておけばよかった、と維織は今になって後悔した。
 よく分からない焦燥感。部屋でじっとしているのが耐えられなくて廊下に出るが、真吾と璃々香は部屋にこもっているようで、だれもいない。
 真吾の撮った写真のデータのありかを聞こうと思っていたことを思い出した。直接、アドレスを教えてもらおうと一度、部屋に戻ってノートパソコンを持った。部屋を出て、そのまま取って返したまではよかった。
 廊下に出て、我が目を疑った。維織は廊下に出てきた態勢のままゆっくりと後戻りをして、音を立てないように部屋の中へ入った。維織は静かに扉を閉めた。
 パソコンを取りに帰る前は確かにだれもいなかったのに、廊下に真吾と璃々香がいた。先ほど見た光景を思い出し、動揺してしまった。見てはいけないものを見てしまったかもしれない。
 廊下で真吾が璃々香を抱きしめ、あろうことか。

「うわあああ、ぎゃああああ」

 それを思い出して、維織は部屋の中で絶叫した。
 二人がそういう仲だったなんて、今まで全然気がつかなかった。三人でいる時はそういった空気を感じなかったのだが、それは単に維織が鈍感だからなのだろうか。いつからなんだろう。驚きのあまり、あわてて部屋に入ったが、あれは明らかに。

「こっ、恋人同士のチューだった!」

 と口に出して、維織はさらに赤くなる。あまりの恥ずかしさに床を転げ回りたくなったが、さすがにやめておいた。
 それで璃々香はやたらに真吾に近づくな、と言っていたのだろうか。そんなこと言われなくても、視線が合っただけで孕みそうな真吾は苦手だ。それに、デリカシーがない。璃々香の男選びのセンスのなさに維織は大きくため息をついた。
 璃々香が言っていた言葉を思い出す。真吾の女好きは病気だ、と。耐えられなくなって手っ取り早く手短にいる璃々香に手を出したのだろうか。それを考えると、真吾の部屋に行くことができなくなってしまった。
 ノートパソコンを開き、メールチェックをする。メールは先ほどチェックしたばかりだったので新しくは来ていなかった。
 ついでに先ほど撮った写真を追加でアップロードしておいた。やはり、ものすごい確率で写真がぶれている。

「おかしいよなぁ」

 写真を見ながら維織は思わず独り言をつぶやく。
 撮影旅行に来る前にも何度も同じカメラで写真を撮ってきた。その時は特にぶれる、ということはなかったのだ。維織の腕が悪い、ということはない。それに、全部が全部、ぶれているわけではないところもまた謎なのだ。全部がぶれている、というのならカメラの調子が悪い、とみてとれるのだが、そういうわけではなさそうなのだ。
 同じ条件下で撮った真吾の写真を見せてもらったが、ぶれてなどいなかった。維織が撮ったものだけがなぜかぶれている。腕の差、と言われたらそれまでだが、どうにも釈然としない。
 シャッターを切る時にあの真吾にまとわりついていた白い手がぶれるようになにかしていたとしたら、とそこまで考えて、維織は身体を震わせた。
 怖い。この島にはやはり、自分たち以外のなにかがいる。
 よりによって、どうして天気が崩れるのだろう。
 しかもこのタイミングで璃々香の父親はどうして赤塚を呼んだのだろうか。
 一刻も早くこの場所から逃げ出したい、と強く願うが、肝心の足がないのだから仕方がない。その一方でそう思いながらももう少し写真を撮りたいという相反した気持ちが維織の中で葛藤している。
 逃げなければなにかが起こりそうな予感を抱えながら、維織はぼんやりとパソコンの画面を見つめていた。

     *     *

 あっという間にお昼になり、三人は食堂に揃った。
 朝は一面ガラス張りの食堂にはさんさんと太陽の光が降り注いでいたのに、真っ黒な雲が出て来て空が暗い。食堂内もそれに伴って、薄暗い。

「天野先輩、写真が置いてあるアドレス、教えてください」

 改めて部屋に行く気になれず、食事中に聞いた。

「維織のメールアドレス、教えてくれ。それに送るから」

 メールアドレスを教えたくないな、と思って璃々香を横目で見るが、特に気にしている様子はない。廊下で見た情熱的なやり取りが嘘のように思えた。
 維織はしぶしぶメールアドレスを教えた。

「部屋に戻ったらメールする」

 食事を終え、各々の部屋に戻った。
 維織は少しの間、ベッドに横になってぼんやりと天井を見つめていた。
 ノックの音に維織はあわてて身体を起こしてドアへと向かったが、開ける前に

「メール、送ったから」

 という真吾の声が聞こえ、そのまま遠ざかっていったようだった。
 維織は早速メールをチェックして、そのアドレスにアクセスした。真吾の撮った写真を一枚ずつ見て、ため息をつく。
 同じ場所を撮ったはずなのに、この雲泥の差はなにからくるのなのだろうか。風景の切り取り方が真吾は上手のようだ。同じカメラで撮ったとしても、維織が同じように撮れるか、と言われると自信がない。あんなにデリカシーがないのに、こんな素晴らしい写真が撮れることに維織は素直に悔しい。
 どうすればいいのかと思い、維織は真吾の撮った写真をなめるように一枚ずつ見ていく。
 写真を撮るにはやはり、絵心が必要なような気がしてきた。
 見ていくうちに昨日、般若池で必死になって撮っていた維織の写真を発見して、複雑な気分になる。被写体はともかくとして、写真としてはとてもいいものなのだ。
 しかし、自分の必死な姿をこうして客観的に見られる写真が残っていることに対して、もやもやしたものがある。
 この写真は自分を外部から冷静に見ることができるいい機会だと維織は考え直し、別の写真を見ていった。
 真吾の写真を見終わって維織が出した結論は、写真もやみくもに撮ればいいというわけではない、考えながら撮るということも大事だということが分かった。
 真吾に聞いてアドバイスしてもらおう、とブラウザを閉じようとして、そこに写っている写真を見て、維織は止まった。

「なに……これ」

 それは般若池越しに井戸の方面を撮った写真だった。
 般若池から井戸は松の木があるために直接は見えないのだが、目をこらしてみると、木と木の間に人影があるように見えた。
 維織はあわてて写真を拡大して見たが、ぼやけていてよく分からなかった。等倍で見てみるとなんとなく人影のような錯覚のような。

「まっ、松の木が人影に見えた、ということにしておこう」

 独り言を言って結論を出した。そう思っておかないと、恐ろしくて耐えられなくなる。

「気のせい、気のせい」

 とつぶやきながらパソコンを片付け、ふたを閉じた瞬間にベッド側で硬質ななにかが落ちる音がした。
 維織は飛び上がり、恐る恐るそちらに顔を向けると、ベッドの上に松風のお面が落ちていた。

「もっ、もう、驚かせないでよっ」

 最初の頃はその無表情な能面が怖かったが、維織を怖い夢から覚まさせてくれたことで松風に少しだけ好意を抱いていた。

「そんなに落ちていたら、せっかくのきれいな顔に傷がたくさんつくわよ」

 能面にまで語りかけるようになったらおしまいだな、と思いながらも維織は松風を拾い、壁にかけた。
 暇になったので維織はテレビを付けてみた。ゴールデンウィークのこの時間帯だからか、どこもあまり面白いものを放送していなかった。
 テレビを切ろうとした時、画面の映りが悪くなり、いきなり砂嵐になった。維織はあわててリモコンで他のチャンネルに合わせたが、どこも砂嵐しか映らない。どうしてだろう。
 原因を探ろうと廊下に出ると、ちょうど璃々香と真吾もそれぞれの部屋から出てきた。一緒の部屋から出てきたらどうしよう、と少し思っていたので維織はほっとした。

「あの、テレビが写らなくなってしまったんですけど」
「わたくしもお天気が気になってつけたら、急に映らなくなっちゃったわ」
「テレビもだが、インターネットも繋がらなくなったみたいだ」

 璃々香は眉をひそめ、調理場へと向かった。少ししてから渋い表情をして璃々香は戻ってきた。

「赤塚しかそのあたりの設定は分からないそうなのよ」

 その肝心の赤塚は今、島にはいない。

「天気が悪くなってきているからかしら」

 璃々香の言葉にかぶさるようにいきなり、すごい音がとどろいた。

「ひぃいっ」

 維織は反射的にしゃがみこみ、頭を抱えた。

「今のは雷かしら」
「かっ、雷っ」

 維織は真っ青になり、そっと璃々香を見上げた。

「そこまでひどい予報じゃなかったんだけど……」

 璃々香は出入口へと向かい、ドアを開けた。その途端、維織たちの瞳に白い閃光が映った。数秒後、地面をたたきつけるような音が響いた。

「いやっ」

 再度、稲光が空を裂き、お腹に響くほどの雷鳴。

「あ、雨が」

 璃々香の声を合図にしたかのように雨はあっという間に地面を叩きつけるほどの土砂降りになった。雨の音をバックに稲光に雷鳴。
 扉を閉めたら静かになったが、耳を澄ますと雨音も雷鳴も聞こえてくる。どれだけ激しい雷雨なのだろう。気のせいか、雷が鳴るごとに地面まで揺れているような気になってきた。

「とりあえず、この建物の中にいれば大丈夫だと思うから」
「だっ、大丈夫と断言してくださいっ」

 維織は璃々香の腕にすがりつき、見上げた。

「わたくしの部屋にくる?」

 少し困ったような表情で璃々香は維織に提案をした。維織は大きくうなずいた。

「いらっしゃい」

 璃々香に手を引かれ、維織は室内へと足を踏み入れた。室内の作りは維織の部屋と一緒だったが、恐ろしいほど散らかっていた。

「ごめんね、片付けようとして、ちょっと」
「あの、私が片づけを手伝いましょうか」

 そういえば、部室もぐちゃぐちゃだったのを維織は思い出した。きっと璃々香は今まで片づけをしたことがないのだろう。お嬢さまだから青葉のような人たちが片付けて来てくれたに違いない。

「お願いしていいかしら」

 今はなにかをして気を紛らわせたかったのでちょうどよかった。維織は苦笑しつつ璃々香の荷物の片づけを始めた。

「ねえ、維織」

 ベッドに腰掛けて璃々香はじっとこちらを見つめている。

「はい?」
「維織は好きな人、いる?」

 いきなりそんなことを聞かれ、先ほどの出来事を思い出して片づけの手を止めて維織は真っ赤になってうつむいた。

「うふふ、その様子だとだれかいるのね」
「いっ、いえっ。残念ながら、そんな人は」
「あら、そうなの?」

 璃々香は目を細めて維織を見ている。

「この部屋に置かれている能面は維織の部屋にある松風の妹の村雨なの。松風・村雨姉妹は在原行平(ありわらのゆきひら)の寵愛を受けていたらしいんだけど、行平が亡くなったことで終わった恋を嘆き悲しんでいるの」

 維織は片づける手を止め、璃々香を見る。

「人間って死んだらおしまい。生きているうちに想いはやっぱり相手に伝えないと駄目なのよね」

 少しさみしそうな表情に先ほどの廊下で見たやりとりを思い出す。

「あの……」
「あ、ごめんね。なんだか変なこと聞いちゃって」

 そう言われると維織はそれ以上、聞けなくなってしまった。
 しかし、先ほどの様子だけ見れば二人は相思相愛なのではないか、と思うのだが。

「だれかの想いを独占したいというのはやっぱりわがままなのかしら」
「宮下先輩……?」

 璃々香の視線は枕元の壁にかかった村雨と思われるお面を見つめていた。
 なんと声をかければいいのか分からず、維織は居心地が悪くなって片づけを再開した。






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