【八章】お互いの想い

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 二人の心の距離は急速に縮まったが、特に進展はなかった。
 変わらず村や町を転々として、行く先々でキリエは歌い、サンクはラクリモサを奏でた。キリエはサンクと想いを交わしたせいか、以前にはなかった艶を含むようになり、その歌声にますます人々は集まるようになった。
 できればキリエの歌声は自分が独り占めしたい。
 歩きながら歌うキリエを見ていると、サンクは妙な気持ちが湧きあがってくるのを感じていた。自分の指がキリエに触れ、加える愛撫に奏でる声を妄想して──白昼夢、まさしくそうとしか言えない幻聴と幻覚にさいなまれる。歌詞と歌詞の間の呼吸に抱いた時の吐息を妄想してしまい……。
 最低だ。
 サンクは自己嫌悪に陥る。

 キリエは想いを告げたことで落ち込んでいるサンクを見て、やっぱり迷惑だったのかな、とこちらはこちらで実はかなり落ち込んでいた。だけど、と気丈に振るまってみせるキリエ。

 一生懸命明るくしようとしているキリエを見たサンクはますます手を出せず、頭の中ではとても口にはできないような卑猥なことを考え……離れることができないのを知りながらも吐きだすことのできない妄想に心が蝕まれそうになっていた。
 吐きだすことも離れることもできず。
 それならば、いっそ壊してしまおうか。部屋で二人きりになると感情があふれ出しそうになる。
 ピンクホワイトの髪をつかみ、握りしめる。

「サンク?」

 けがれのない瞳で見つけられ、サンクはますます苦しくなる。
 無垢な瞳を自分色に染めた時のことを妄想してサンクはぞくぞくとした快感が身体に走り抜ける。
 手のひらを開き、握りしめていた髪の毛を解放する。さらりと指の隙間を通ってこぼれおちる。髪を指ですき、その一房をつまみ、口づける。キリエのふんわりと優しい香りが鼻腔をくすぐる。キリエは少しくすぐったそうな表情でサンクを見ている。
 抱きしめたい衝動にかられる。しかし、抱きしめるだけでおさまらないような気がしたので、手を伸ばしたところであわてて手を引っ込める。

「サンク?」

 あまりにも無防備にサンクのことを信頼しているキリエに対して頭を抱えてしまう。男は自分を含めてみんな、ケダモノだということをキリエはもう少し自覚してほしい。
 自分の中で何度目かすでに数えられないほど繰り広げられたひどい妄想を追い出すためにため息を吐いた。

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 ふさぎこむサンクのことが心配なキリエは大丈夫? とことあるごとにサンクの顔を覗きこむ。それがますますサンクの落ち込みの原因になっているなんてキリエは知らない。

「ねぇ、サンク?」

 いつものように顔を覗き込むキリエにサンクはキリエの肩をつかんで建物に押し付ける。

「……サンク?」

 今までそんな乱暴なことをしたことのないサンクだったのに、いきなりのことでキリエは戸惑う。瞳を潤ませてキリエはサンクを見上げる。

「……すまない。少し離れて歩こう」

 常に手を繋いで一緒に歩いていたのに、サンクはそうつぶやくとキリエを振りかえらず歩き始めた。キリエはサンクを見失わないように必死になって後ろを追いかける。

「サンク、どうしちゃったの? わたし、なにか……あっ、すっ、すみま……」
「あん? ねーちゃん、ぶつかっておいてそれだけで済むとでも思っているのか?」

 人通りの多い町中。だいぶ旅慣れたとはいえ、まだまだ人ごみが苦手なキリエ。サンクは気がつかずにそのまま歩いていく。

「サンク……!」

 キリエはサンクに声を掛けるが、聞こえていないのか振り返りもしない。

「待てよ、お嬢ちゃん。よく見れば随分とかわいい顔をしてるな」

 下品な笑いをしてくる男にキリエは後ずさる。

「サンク!」

 先ほどよりも少し大きめの声でサンクの名を呼ぶが、距離が離れてしまい、聞こえない。

「名前を呼んでも気がついてくれない連れなんかより、俺と遊ぼうぜ」

 キリエは腕をつかまれた。酒臭い息に顔をしかめる。

「お嬢ちゃん、いいことしようぜ……」

 男はキリエの顔に近づき、頬を寄せる。キリエは身体をよじる。町の雑踏の中、嫌がっているキリエの声に通行人は見て見ぬふりをして通り過ぎていく。

 サンクは人ごみの中に関わらず、のぞきこんでくるキリエに対して我慢のタガが外れそうになり……繋いでいた手を離して振り払って来てしまった。

「……キリエ?」

 後ろをついてきているとばかり思っていたサンクはふと後ろを振り返り、いないことに気がついて青ざめる。
 なんと馬鹿なんだ。キリエは世間慣れしていない。サンクがかばいながら歩かないと人とぶつかってばかりいるキリエ。どこかでぶつかって怒られているのかもしれない。あわてて元来た道を戻る。
 キリエと別れた場所からそれほど離れていないところで、予想通り、キリエはガラの悪い男に絡まれていた。

「オレの連れになにか用か」

 小汚い男がキリエに触れている。自分でさえそんなに近寄ることができないでいるのに男は易々とキリエに触れている。サンクは頭に血が上った。男の胸倉をつかみ、地面に投げつける。

「きゃっ」

 キリエはその拍子にバランスを崩して倒れそうになっていた。サンクはキリエの腕をつかみ、抱き寄せる。

「おまえはなんだっ!」

 不意打ちを食らって無様に地面に転がっている男はサンクを睨みつける。

「連れが世話になったようだな」
「サンク!」

 サンクの腕の中でキリエは身をよじり、やめるように促している。

「駄目よ、争っては駄目」

 キリエの制止の声はサンクに聞こえていない。

「お礼になにがいい?」

 今にも懐におさめたナイフを取り出して切りつけそうなサンクにキリエはやめて、と悲鳴を上げる。

「おい、そこでなにをしている!」

 騒ぎを聞きつけた自警団がやってきた。

「ちっ」

 サンクは舌打ちをしてキリエを連れて路地へと入る。自警団から逃れるために走る。

「サンク……待って!」

 曲がりくねった狭い路地をかなりの速さで通っているため、キリエは足がもつれそうになっていた。息も上がり、苦しくなった頃にサンクに声をかける。その声にようやくサンクは足を止めた。

「……すまない」

 肩で息をするキリエにサンクは手を離し、背中を向けて謝る。

「あの……わたしこそ、その、ごめんなさい」

 あのもめごとが自分のせいであると責任を感じてキリエはうつむき、サンクに謝る。

「わたし、今度はきちんとサンクに迷惑をかけないように歩くから! だから……お願い、サンク……わたしのことを置いていかないで」

 キリエの泣きそうな声にサンクはあわてて振り向き、肩を抱く。

「すまない。今のはオレが悪かった」

 自分のあまりにも大人気のなさにサンクは罪悪感に駆られる。ここで抱きしめてもいいのかと悩み、髪をなでるにとどめておいた。
 サンクの大きな手がキリエの髪をすく。泣きそうだった心細い思いがそれだけで不思議と消えていく。もっと触れたい、そう思い、キリエはサンクに抱きつく。サンクはキリエのその行動に驚き、あわてて身体を離す。

「あ……ごめんね、サンク」

 キリエもあわててサンクから離れる。抱きついてもいいと思って近寄ったのに、サンクは嫌がった。なでてもらうだけでもそれは贅沢なのかもしれない。もっとサンクを感じたい、キリエの思いとは裏腹に、サンクはキリエを突き放した。

「ごめんね、やっぱり……迷惑なんだよね」

 違う、と否定して抱き寄せたいのに、あまりにもキリエが眩しすぎてサンクはそれができない。無言は肯定と受け取られ……さみしげな笑みをサンクへと向ける。

「ごめんね、サンク。わたし、サンクに甘えていたみたい」


 サンクの本音はもっと甘えてほしい、と思っていた。しかし、キリエが近くにいれば自分の理性が崩壊していく。キリエがこんなこと、望んでいるわけがない。

「わたし、もっと強くなるから」

 強くならなくていい、守るから。
 その一言さえ、サンクには言えないでいた。
 サンクは手を離したことを後悔していた。キリエの手を取ると、キリエはつらそうな表情で繋いだ手を見る。

「手を繋ぐのは……嫌かい?」

 サンクの自信のなさそうな視線にキリエはあわてて首を振る。

「違うの、サンクの方こそ、わたしと手を繋いでその、嫌じゃない?」
「嫌じゃない」

 むしろずっと手を繋いでいたい。そう続けようとするが、言葉にできない。キリエはサンクの嫌ではない、という答えにほっと胸をなでおろした。

「手を繋がなくてもきちんと人ごみの中を歩けるようになるから!」

 けなげな言葉にサンクはキリエを閉じ込めておきたい衝動にかられる。だれも二人のことを知らない場所に行き、そこでずっと二人きりで過ごしたい。キリエをだれの目にも触れさせたくない。
 不可能な願いにサンクはそっとため息をついた。



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