【アパートへ】

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智鶴視点


 お風呂から上がり、髪の毛を乾かしてから服をどれにしようかと思ってさっき持ってきてもらった箱をあけて……困った。下着類も今までわたしがつけたことがないくらい上質のもので。用意された服もシンプルながらどうみても高いものばかりだった。
 こ……こんな服、着れないよ!
 と言っても暖房は適切な温度に保たれていたけど、さすがに十一月。せっかくお風呂で温まった身体が冷えてしまう。
 一番シンプルな服を選んで着た。着心地もものすごくよくて。こんないい思いして、いいのかな……。
 こんこん、と軽くノックされて、深町が入ってきた。
「着替えたんだね。似合ってるね」
 深町はわたしを見てにこにこしている。
「あの……! こ、こんないいもの……わたし」
「うん? なにを気にしてるのかわかんないけど。智鶴の持ち物は全部昨日の火事で焼けちゃったでしょ。それにこれ、全部僕の稼ぎで買ったものだから気にしないで?」
 そう言われたら、ますます気にする!
「だだだだだだって! 深町のお金なんでしょ!? 受け取れないよ」
 深町はわたしの頭をぽんぽん、と軽く叩いて、
「秋孝にこき使われてるから、お金を使う暇がないんだよ。それに、かわいい妹にひとつくらいプレゼントさせてよ、ね?」
 そう言われたら……もうなにも言えない。わたしは黙ってうなずいた。
「ありがとう……」
 深町はびっくりしたように目を見開いて、次の瞬間、おでこに軽くキスをしてくれた。
「じゃあ、次はせっかくの髪を整えてもらおうか」
 深町はわたしの手を取って、部屋の外へいざなった。
 隣の部屋に連れてこられ、椅子に座ると、すぐにドアがノックされ、きれいな女の人が入ってきた。
「辰己さま」
「あ、お願いね」
 そう言って深町は手近の椅子に座った。なにが始まるんだろう、と思っていたら、荷物からケープを取り出し、わたしにかけた。
「焦げたところを少し整えますね」
 そういってにっこり微笑まれた。
「せっかくきれいな髪なのに。ちょっと短くなってしまいますけど、許してくださいね」
 手早く焦げた部分を切っていく。五分としないうちに整えられた。ケープをはずされ、鏡の前に導かれた。髪の毛は少し短くなったけど、前のようにきれいになっていた。
「ありがとうございます」
 うれしくなってにっこり笑ってお礼を言った。
「そんなに大したことしてないわよ。またよろしくね」
「はい!」
 気がついたら、深町が隣に立っていた。
「うん、かわいくなったね」
 そう言ってきれいになった髪をなでてくれた。
「ありがとう。また頼むね」
 深町はさっき髪を切ってくれたきれいな女の人にお礼を言っていた。女の人は深町の笑顔に少し頬を染め、そそくさと荷物をまとめて部屋を出て行った。……それを見て、わたしは少しムッとした。なんだろう、この気持ち。
「つらいけど、アパートに行こうか」
 深町は言いづらそうにわたしにそう言ってくれたけど、パパとママふたりをあのままにしてるのはかわいそうだと思っていたから、その申し出はありがたかった。
 昨日とは違う車が玄関前に用意されていた。
「あ……昨日、車内をぬらしちゃった?」
 あんな高い車に濡れたまま乗ったから……ものすごく申し訳なくて。
「それもあるけど、こっちの方が目立たないでしょ?」
 と言われたけど、この車だって国産ってだけで昨日の車と大差ないほど高いもののはず。渋いブルーのぴかぴか光るボディに、わたしはくらくらした。
 昨日……っていうか今日の夜中、って言った方が正しいんだけど……と同じように助手席のドアを開けて、わたしがきちんとシートに腰かけたのを確認してドアを閉め、深町は運転席に座った。わたしがシートベルトをしたのを確認して、エンジンをかける。昨日の車よりエンジン音がもっと静かで、すーっと滑るように走りだした。
 どんどん見慣れた景色が目に入ってきた。アパートに近づくと、パトカーがたくさん止まっていた。深町は少し遠い場所に車を止め、わたしの手を引いてパトカーのところまで連れて行った。
「すみません、辰己です」
 近くにいた警察官に深町は話かけた。
「は! 辰己さま!」
 深町を見て、警察官は敬礼をしていた。
 え!? な、なに?
 驚いて深町を見上げた。
「しょ、少々お待ちください!」
 警察官はあわててだれかを呼びに行った。すぐに先ほどの警察官はスーツを着た男と一緒に戻ってきた。
「あ、深町。久しぶりだな」
「竹尾(たけお)、忙しいのにすまないね」
 どうやら顔見知りのようだ。警察官は再び敬礼をして、あわててどこかへ行った。
「で、その子がおまえの妹?」
 わたしは怖くて深町の後ろに隠れた。
「智鶴、怖がらないで。僕の友だちで警察の竹尾賢人(たけお けんと)。今回のこの火事の調査をしてる責任者だよ」
 深町の背中からおずおずと顔を出し、竹尾さんに挨拶をした。
「直見(なおみ)智鶴です……。あの、よろしくお願いします」
「直見?」
 竹尾さんは訝しげな表情で深町を見た。
「妹なんだけど、ちょっとその、複雑な事情でね」
 深町は曖昧に答えて、わたしを抱き寄せた。
「妹……ねぇ」
 疑いのまなざしを向けられても、困るんだけど。
「で、直見さん。このアパートにお住まいだったんですよね?」
 竹尾さんはわたしに鋭いまなざしを向けてきた。
「はい。このアパートの二〇五号室に父と母の三人で住んでいました」
 このアパートは二階建てで、それぞれの階に五部屋あり、全部で十世帯。どこも間取りは一Kだけど、他の一Kの物件よりは若干広め。そして、立地が少し奥まっているのもあり、かなり静かで最初はなかなか分かりにくいところで、そこがパパが気に入ったらしい。
 このアパートに越してきて、一年以上になる。わたしが物心ついてからそんなに長い間同じ場所にいたのは、ここが初めてかもしれない。とにかくパパはなにかにおびえ、居を転々としていた。それがここに越してからはずいぶんとパパも落ち着いていて。三人で暮らすには狭かったけど、それよりもパパが穏やかな方が重要だった。
 だから……あの日までこのままここでずっと暮らすって……思っていたのに。
「二〇五号室って、一番奥まったところですよね?」
「はい」
 二階の階段を上がった一番奥の部屋。窓を開ければ裏には少し広い庭が見えて……その先にはどこまで続いているんだろう、ってくらいの森が広がっていた。窓から見える景色がわたしは好きだった。
 もう……あの窓から外を見ることができないんだ、って思ったら、わたしは少し、泣きそうになった。
 その気配を察してくれたのか、深町は優しく髪をなでてくれる。少し気持ちがおさまった。
「そうですか……」
 竹尾さんはわたしの言葉に少し考えるようなしぐさをして、
「直見さん、ご家族のだれか、恨まれていたということはありませんか?」
「はい?」
 わたしは竹尾さんを見上げる。竹尾さんも深町と変わらないくらいの身長なので、わたしは顔を見ようとしたら、必然的に見上げる形になる。
「それが……。二〇五号室近辺から火の手があがっていたんですよ」
 竹尾さんの言葉に、わたしは戸惑う。
「放火だった、んですか?」
 寝静まった深夜の火事。このアパートに長くいたもうひとつの理由に、
『住人がほとんどいないから』
 というのがあるのをパパから聞いた。パパは少し人嫌いなところがあったみたいで、外出もあまり好んでしなかった。
 下の一〇五号室と横の二〇四号室には人が住んでいなかったはずだ。
「詳しいことは調査中なのですが、下の一〇五号室から火の手があがったようなんです」
「え……。一〇五号室って……無人のはずです」
「はい、大家さんに確認取ったところ、そのようですね」
 木造だから火のもとだけは充分に注意してくださいね、と入居するときに大家さんからしつこく言われて、さらに大家さんと顔を合わせるたびにそう注意され。だから……ここに住んでいる人たちはみんな、他の家よりも火のもとには過敏になるくらい注意しているはずなのだ。しかも、タバコ厳禁。部屋の外で吸うのも禁止というくらいなのだ。
 わたしは以前、あまりにも火のもとのことを注意するのが気になって大家さんに聞いたことがある。
 昔、寝たばこをされてアパートを全焼させられたことがあるらしく、もうそんな悲しい思いはしたくないって言っていたのに。この火事は……わたしたち家族のせいなの? そうだとしたらわたし……大家さんに顔向けできない。
「しかもこのアパート、ガスは引かれてなかったようですね」
「はい。大家さんがそのあたりはこだわったらしくて、オール電化でした」
 アパート火事の時、ガス引火で被害が思った以上に大きくなったことを悔やんで、それ以降、ガスは使用しないことにしていたらしい。
「大家さんにお話は伺いました。以前にもやはりアパートが火事になって全焼、入居者全員が焼死だったらしくて……」
 そんな過去があれば、だれだってあれだけ火のもとには神経質になるはずだ。
「あの……他の住人の方たちは」
「ああ、無事みたいですよ」
 わたしはその言葉に、ほっとした。
 でも……あの火事の中。パパとママだけが……。
「あなたのご両親には……気の毒なことをしました」
 竹尾さんは悲痛な表情でそうお悔やみを言ってくれたけど。
 もう、パパとママに会えないのかと思うと……泣きそうだった。
「智鶴、大丈夫?」
 深町が心配そうにわたしの顔を覗き込む。
「うん……」
 わたしは強がった。ここで泣いたら、パパとママが悲しむ。わたしは無理をして笑って見せた。
「竹尾さん」
 深町が最初に声をかけた警察官が遠慮がちに竹尾さんに話しかけている。
「どうした?」
 警察官は手に木箱を持っていた。
「ああ……。このお嬢さんに渡して」
 警察官に木箱を渡された。
「これは?」
「きみの両親のお骨だよ」
 あのふたりが……こんな小さな箱におさまってしまっているなんて。わたしは崩れ落ちそうになった。
「智鶴」
 深町が心配して、わたしを支えてくれる。
「うん、大丈夫。ちょっとびっくりしただけだから」
 それから竹尾さんにいろいろ聞かれた。わたしはわかる範囲できちんと答えた。すぐに連絡が取れるようにしておいてほしい、と言われ、深町が竹尾さんに連絡先を教えて、ようやくわたしたちは解放された。
 アパートをふと見ると、立ち入り禁止のテープが張り巡らされ、たくさんの人が忙しそうに動き回っていた。日の光のもとで見るアパートの跡は見るも無残で。わたしはいたたまれなくなり、すぐに立ち去りたくなった。
「智鶴、顔色悪いね。帰ろうか」
 深町はわたしを抱きかかえるようにして車に戻り、助手席に座らせてくれた。深町は無言で車を走らせる。昨日来た時と同じようにインターフォンに話しかけ、車を中に入れた。
 わたしにあてがわれた部屋に深町はわたしを連れてきて、
「智鶴、ちょっとごめんね。仕事の電話をしてくるから」
 そう言って、部屋を出て行った。わたしはぽつんとひとり、部屋に取り残された。
 ベッドの側に置かれていたテーブルにわたしはパパとママの骨が入った木箱を置いた。この箱を見て、本当にパパとママがこの世からいなくなったんだ、ってのを実感して。急に悲しくなった。
「パパ……ママ……。熱かったよね」
 わたしは木箱をそっとなでた。
 ガチャ、と乱暴にドアを開ける音がした。わたしは音がした方に顔を向けた。そこには……なぜかあきたかさんが立っていた。わたしは怖くて、後ろに下がった。
 あきたかさんは遠慮しないでそのままずかずかと部屋に入り込んできて、わたしの目の前で立ち止まった。
「な、なんの用ですか」
 自分の声が震えているのが自分でもよくわかった。
「泣いていると思って」
 わたしはきょとんとあきたかさんを見上げた。
 ……泣いてる?
「なんだ、気のせいだったのか」
 そう言ってあきたかさんは大きな手を伸ばし、わたしの頬に手を当ててきた。わたしは自然に身体が揺れた。
「俺のこと……嫌いか? こわい……?」
 あきたかさんの瞳には、なぜだかおびえの色が見えた。なんであなたが……そんな瞳をするのよ。
「昨日、智鶴を見てから……。なにも手につかないんだ」
 そんなこと言われても、わたしは困る。
「おねがいだから……俺のこと、嫌わないで」
 あきたかさんは反対の頬にも手を添えてきた。わたしの両頬をはさみ、あきたかさんはわたしの瞳を覗き込んでくる。
 茶色っていうより少し緑がかった不思議な色の瞳。あきたかさんの瞳は……揺れていた。
「一目見て……きみに……心奪われた」
 苦しそうな告白に、わたしは答えられない。
「だから……俺のこと、嫌いにならないで。できたら……好きになって」
 そう言ってギュッとわたしを抱きしめる。タバコと香水の匂いがした。わたしはパパとも深町とも違うその胸の感覚に……怖くなった。わたしはあきたかさんの胸を、押した。
 怖い……! あきたかさんのまっすぐな気持ちが、怖かった。そして、今まで感じたことのない熱に、身体がこわばった。
「……離して」
 わたしの声はものすごくかすれていた。あきたかさんははっとしたようで、あわててわたしから離れる。
「すまない。また……怖がらせてしまった」
 怖くて、自分の身体を抱きしめた。
 あきたかさんはわたしの横の木箱にふと気がついたらしく、目を細めて箱を眺めていた。
「おまえの両親か。最期の最期まで……おまえのことをふたりは想っていたんだな」
 わたしは驚いて、あきたかさんを見上げた。
「ごめん……。って。智鶴ひとりを残して、ごめんって言ってる」
「なんで」
 わたしはあきたかさんを見つめた。
「俺はおまえの父親が嫌いだったが。おまえを想う気持ちは一緒だからな」
 あきたかさんの言葉に、わたしの頬に涙が流れる感触がした。
「泣きたいのなら、泣けばいい。気が済むまで付き合うから」
 大きな手で、優しくわたしの涙を拭いてくれた。それがきっかけになって、涙が次から次へとあふれてきた。優しく優しく、その大きな手でわたしの頭をなでてくれる。わたしはどうやら、泣くのを我慢していたようだ。
「……くっ。パパ……ママ……」
 嗚咽をあげるわたしを、あきたかさんは少し戸惑いながら、抱きしめてくれる。わたしはさっきまで怖がっていたのに、あきたかさんの胸をつかんで、その腕の中で泣きじゃくっていた。大きな手が、やさしくわたしの背中をなでてくれる。パパでも深町でもないその手の感触に……わたしはふたりとは違う安堵を感じていた。さっきまで嫌だったタバコと香水の香りに……わたしはひどく安堵した。
 とりあえず今は、あきたかさんに身をゆだねた。






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