【すれ違う気持ち】

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智鶴視点


 お風呂からあがってふと隣の部屋へ続くドアを見ると、明かりがもれていた。アキも部屋に戻ってきているようだったけど、わたしの部屋に来た気配はなかった。なんとなくそれがわたしにはさみしくて、一抹の不安を覚えた。そして、思い出さないようにしていたアキとミズキさんのキスを思い出し、もやもやとした気分にさせられた。さっきは撮影に夢中だったからすっかり忘れていた。
 ミズキさん、アキのことたくさん知っているようだった。それに……あんなキスして。目を閉じると余計にアキとミズキさんのキスしていたのが浮かんできて、わたしは目を開いた。アキの……馬鹿。
 これってヤキモチなのかな? それともわたしのわがままなのかな? よくわからなかった。
「ちぃ」
 隣の部屋へと続く扉からアキの声がした。
「今、急に呼び出された。今から会社に戻る」
 アキはそれだけいうとあわただしく出かけていったようだった。わたし、アキの顔……見てない。こういうときどうすればいいのかわからなくて……だけど身体は動かなくて、わたしはそのまま、部屋にたたずんでいた。
 こんこん、とドアがノックされた。すっかり暗くなってしまった部屋。明かりもつけずに部屋の隅で小さく丸くなって座っていた。立ちあがり、ドアの前に立ち、どちらさま、と聞いた。
「ミズキです」
 ミズキさんの声に、わたしはドアを開けた。
「現像ができたから、秋孝の部屋に来たんだけど、いないみたいだから」
 ミズキさんはわたしに封筒を差し出した。
「秋孝に渡しておいて」
「あ、ありがとうございます」
 ミズキさんは上からわたしを見下ろすような視線でわたしを見て、
「あなた、なにも知らないのね。秋孝にふさわしくないから」
 それだけ言って、ミズキさんはわたしの前から姿を消した。
 なにも知らない。ふさわしくない。そんなこと、言われなくてもわかってるから。アキにあんなキスをしたあなたが、言わないでよ。
 わたしはドアを閉めて鍵をきっちりかけて、受け取った封筒を投げ出してさっきまで座っていた場所にもう一度戻って同じように膝を抱えた。
 またしばらくして、ドアがノックされた。だけど動くことができなかった。動いてしまったら、アキが帰ってこないような気がその時したから。もう一度、ノックされた。そのノックの仕方でじいだってわかったけど、動けなかった。
 静まり返った部屋で、もう一度自分を抱きしめて、部屋の隅で丸く丸くなった。できるだけ世間から自分を隠すように。
 そういえば、タツミホールディングス事件の時も、こうやって膝を抱えていて夜を過ごしたな。あの時もどうすればいいのかわからなかったけど、今みたいに苦しくなかった。今は、ミズキさんにさっき言われた声が耳に響いて、そしてふたりのキスがちらついて、心が悲鳴を上げている。
 アキは仕事だったし、わたしもあの撮影は仕事の延長。甘えは許されない。それに、アキはきちんとミズキさんに怒っていた。だけどわたしはそれでも許せなくて。アキの顔、あれからまともに見てない。
 それからどれくらい経ったのかわからない。少しうつらうつらと眠っていたのかもしれない。ふわり、と抱きしめられて、はっとした。
「ちぃ、ごめん」
 少し泣きそうなアキの声を聞いて、涙が出そうだった。
「じいから聞いて、あわてて帰ってきた。ちぃがいなくなっていたらどうしようかと……ちぃをここで見つけるまで、生きた心地がしなかった」
 ぎゅうっと強く抱きしめられた。だけど顔を上げることができなかった。まだわたしの中ではもやもやとした気持ちがくすぶっていて、アキのあのまっすぐな瞳を見つめることができなかった。アキを見つめたらわたしのこの黒くて汚い気持ちを見られてアキの瞳を曇らせることになると思ったら、アキの顔を見ることができなかった。
「ちぃ、顔を見せて」
「……嫌だ」
「俺のこと、嫌いになった?」
 ひどく傷ついた声で、アキは囁くように言う。わたしは首を振る。
「じゃあ、顔を見せて」
 わたしは無言で首を振る。
「なんで? 俺のことが嫌いじゃないのなら、顔を見せて」
 それでもわたしは顔を上げることができなかった。
「昼のことなら……謝る。俺が悪かった」
 違うの。アキは悪くない。あれはミズキさんが一方的にしたこと。なんでよけなかったの、とその場で怒ることができたらよかったのかな。
 だけど……アキはわたしの彼氏と言っても……やっぱりわたしがアキの横にいるのはアンバランスだし、ミズキさんにも言われたけど、ふさわしくない。
 わたしはこのままアキを諦めて、深町のところに行けば……。とそこまで考えて、深町のところにも行けないことに気がついた。
 アキの横にもいることができず、深町は彼方がいるからそこには身を寄せることができず。わたしはどこに行けばいいのだろう。
 そう考えたら、本当に今更だけど、自分は孤独なんだと気がついてしまった。今まではアキがずっと側にいてくれた。アキはうっとうしいくらい側にいて、ずっとアピールして。気がついたらパパとは正反対なのに、こんなに好きになっていた。アキは不器用だけど誠実で、本当にわたしのことを想っていてくれている。そう思っていた。アキが側にいてくれたから、パパとママが死んでしまった悲しみに沈むことなく、なにも心配することなく、今までこうして暮らしてこれた。
 なのに……わたしはそのありがたみも知らないまま、そしてなにも知らないまま、今までいた。わたしは恐ろしいほど、コドモだったのだ。ふさわしくない、と言われても、仕方がないよね。わがまま、と言われても……仕方がないよね。だって、わたしはどこまでもコドモで、どこまでもわがままなんだもの。
「ちぃ、俺のこと……嫌いになった?」
 アキのこと、嫌いになんてなるわけない。嫌いじゃない、むしろ好きだから……わたしの心はこんなにかき乱されている。アキのこと、大好きだから。なんて答えていいのかわからなくて、わたしは動けないでいた。
「ちぃが俺のこと嫌いでもいい。だから……俺の前からいなくならないで」
 アキが立ちあがる気配がした。行ってしまう……! アキが、わたしを置いて行ってしまう。そう思ったけど、わたしはそれでも動くことができなかった。アキはため息をついて、去っていく気配がした。
 だめ……! 置いていかないで!
 手を伸ばそうとしたけど、ずっと同じ体勢でいたせいか、身体が動かなかった。アキは部屋に戻ったようだった。
 わたし、アキにあきれられちゃったのかな? アキはあんなことを言っていたけど、アキの方がわたしのこと、嫌いになった? そう思っていたら、アキは戻ってきたようだった。アキは無言で、わたしの腕をつかみ、無理矢理立たせた。わたしはアキの顔を見ることができなくて、顔を伏せた。
「俺の顔を見たくないくらい、嫌いになった?」
 アキの声は傷ついたような声音を持っていたけど、今まで聞いたことのない響きを持っていた。
「ちぃが俺のこと、顔を見たくないくらい嫌いでもいい。もう我慢するの、やめた」
 そう言うなり、アキはわたしの身体を抱えて歩き始めた。
「アキ?」
 久しぶりに抱えられ、わたしは急に怖くなってアキの腕の中で暴れる。
「あいつらの命日まで待つつもりだったけど、もうやめた」
 これからなにをされるのかわからず、わたしは少しパニックになる。
「アキ、やめて! おろして!」
 腕と足を使ってばたばたと抗議する。
「ったく、深町のあほにも散々今日、馬鹿にされた!」
 深町となにかあったらしい。
 アキの部屋に連れてこられ、アキの布団にばさり、と倒された。アキと目があった。
「ミズキになにか言われたな」
 アキは目を細めて、わたしを見ている。
「ほんとにどいっつもこいっつも」
 アキは着ていたジャケットとネクタイを脱ぎ捨てた。
「ミズキにキスされたのはその……本当にすまなかった。あいつとのキスはその、挨拶みたいなもんで……って言い訳にしかならないな……」
 アキは困ったようにわたしを見ている。
「不快に思うよな……ちぃ、ごめんなさい」
 素直に謝るアキにわたしは茫然と見るしかなかった。
「ちぃ、……許してくれる?」
 窺うような上目づかいにわたしはドキッとする。そんな表情されたら、困る。
「……なんでよけなかったの?」
 そんなことが言いたいわけじゃなかったのに、わたしの口からは気がついたらそんなひどいことを言っていた。
「あいさつと一緒だから、って言い訳だよな」
 それがアキとミズキさんの仲の良さを物語っていて、わたしの心は余計にきりきりと痛んだ。そんなこと、聞きたかったわけじゃないのに。アキが素直に謝っているんだから、いいよ、って言えば……そんなこと聞かなくて済んだのに。不用意に聞いた自分に腹が立った。自分に対してムッとして顔をしかめたのをアキは自分に向けられたものと思ったらしく、さっきよりもさらにしゅんとして、
「許してもらえない……よね。それに俺、無理矢理ちぃを抱こうとしているし」
 朝、いつも布団はきちんとあげていっているはずなのになんで敷かれているんだろうと思ったら、そういうつもりだったのか、と思ってわたしは焦って起き上ろうとした。
「ああ、俺ってどこまでも最低な男だ!」
 そういって起き上ろうとしたわたしの肩を押さえてくる。
「下心たっぷり含んだ俺のこの心、ちぃは汚いってののしるかもしれないけど! さっき、ちぃに目も合わせてもらえなくて俺……死ぬかと思ったんだ。だったらどうせ死ぬのなら、ちぃを一度抱いてから死んだ方が本望だと思って……ちぃが嫌がってもいいから俺、今から抱こうだなんて、ちぃの意思を無視して俺って本当に変態だ!」
 その思考回路も確かに変だと思うけど……それをわざわざわたしに説明するのも……どうかと思う。
 そういっておもむろにわたしの服に手をかけて脱がそうとしている。
「や! やめてよ、アキ!」
「俺はもう死ぬんだ。ちぃに嫌われたっていいんだ……。むしろ、嫌われた方がいいんだ」
 ぶつぶついいながらわたしの服に手をかけるから、わたしは暴れてアキの手から逃れようとする。
「ああ、こんなに嫌がってる! やっぱり俺のこと、嫌いなんだ」
 それでも止めてくれない。
「ア……アキ」
 わたしは自分の前を隠すようにしてアキの手からどうにかのがれ、肩で息をついた。
「ちぃは……やっぱりこんなことする俺のこと……嫌いだよな?」
 わたしはなんと答えていいのか考えあぐねていたら、
「返事をしたくないくらい、俺のことが嫌いなんだ!」
「ね、ねえ、アキ。ちょっと落ち着こうよ?」
 わたしは自分の前を押さえたまま、アキに近寄った。
「ちぃ……」
 いつもの自信に満ちた瞳にしょんぼりとした悲しそうな光を宿してわたしを見ている。
「あのね、アキ」
 わたしはアキの瞳を見ながら話す。
「わたし、アキとミズキさんのキスしてるのを見て……すごく嫌だった」
「……ほんと、ごめんなさい」
 アキはしゅんとして謝る。そして、わたしの言葉を思い出して、なにかに思い当たったように、
「ん? 嫌だった? その……ミズキに嫉妬したの?」
「ミズキさんに嫉妬したっていうより、拒否しなかったアキが嫌だった」
「えっと……それはようするに、ヤキモチ焼いたってこと?」
 アキの言葉にわたしはこくり、とうなずく。
「わたしのわがままかもしれないけど、アキが女の人と仲良くしてるの見て……あまり気持ちがよくなかった。奈津美さんとなら平気だったのに」
「奈津美はなぁ。あれは女と思えないんだよなぁ、蓮には悪いが」
 蓮さんが知ったら怒りそうだけど、見た目は奈津美さんより蓮さんの方がよほど女らしい顔しているし。でも決して、奈津美さんが男みたいな顔をしている、というわけではない。奈津美さんもかわいい顔をしてるんだけど、蓮さんがあまりにもかわいい顔をしているから。
「今度から気をつける」
 わたしはアキの言葉に苦笑した。わたしは本当にどうしようもないくらいわがままだ。葵さんに忠告されてしまうはずだわ。
「ううん。だって、お仕事してたらそれは無理でしょう?」
「だけど……」
 アキの戸惑ったような声音にわたしは微笑む。
「アキ、約束して。もうわたし以外の人とキスしないって」
「んあ? それはつまり、その」
「あのね、アキ。わたし、アキのこと、なにひとつ知らないと気がついて……。それなのにミズキさん、わたしの知らないアキをたくさん知ってるみたいだし、それに、あんなことしても挨拶って言うくらいの仲だって聞いて……」
 わたしは不安になったのだ。アキはわたしのことが好きだという。その言葉に偽りがあるとも思えないし、とても大切にしてくれているのもわかる。だけどやっぱり、不安になる。こんな大きなお屋敷に住んでいるし、とても大きなグループ会社の総帥候補だ。その点、わたしはなんにもないただの小娘でしかないのだ。アンバランスすぎる。
「ちぃは俺のことにそんなに興味を持ってくれたの?」
 アキは目を細めてわたしを見つめている。こういう表情、なんて表現すればいいんだろう。
「だけど俺も、ちぃのこと、なんにも知らないよ。だから毎日、不安に思う。ちぃは本当に俺のことを好きでいてくれてるのか。帰ったらちぃがいなくなってるんじゃないかって。だから……おかえりと言ってくれたとき……そんななにげない言葉が、うれしいんだ」
 そういってアキはふんわりと微笑んでわたしにキスをしてくれた。その表情とキスは限りなく甘くて……わたしはとろけそうになる。
「アキ……」
 自分の発した声なのに、自分でも驚くほどうるんだ声をしていて、恥ずかしくなる。
 アキはもう一度わたしにキスをしてきた。今度のキスは、口の中に舌が入ってきてわたしは少し驚いて身を思わず引いてしまった。アキは一度唇を離し、わたしの身体をぎゅっと抱き寄せて、いい? って目で確認してきた。わたしはこくり、とうなずく。
 これからされようとしていることがぼんやりとわかって、期待と不安が入り混じる。
 彼方を見て、積極的な深町がうらやましいって思っていた。アキだっていい大人だし、それに男の人なのだ。わたしだってもうなにも知らないコドモではない。パパとママは仲が良くて、そんなことをしているのだって、知っていた。わたしだって年頃のオンナのコなのだ。それなりに興味だってある。怖いけれど、キス以上のことをしてこないアキに、不満がなかったって言ったら、嘘になる。好きだから……。わたしは後悔しない。
「ちぃ、俺……汚いけど、いい?」
「え? どういう意味?」
 意味がわからなくて、聞き返した。
「シャワー浴びてない」
「汚くないよ」
 アキからはいい匂いしかしなかった。
「きちんと準備してからって思ってたのに……もう俺、我慢の限界かも」
 そういってアキはまたキスをしてきた。さっきはびっくりしたけど、きちんとアキの舌にこたえた。






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