《第一話・出逢い編》一*密室での出来事

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 金曜日の終業時間過ぎ。

「おつかれさま」
「お先に失礼しまーっす」

 晴れやかな声が秋丸あきまる商事のあちこちで聞こえてきた。
 穂刈ほかり駅から徒歩五分の立地に建つ、秋丸ビル。その五階にある、秋丸商事の一部署・業務部。

「りんこ先輩はまだ上がらないんですか?」

 業務部のメンバーは終業時間を告げるチャイムとともに、大半の人たちがそそくさと片付け、ねぎらいの言葉を口々にしながら帰っている。そんな空気の中で女性が一人、眉間にしわを寄せたままモニタをにらみつけていた。女性の名前は白雪琳子しらゆき りんこ、入社三年目の二十四歳だ。

「りんこ先輩っ」
「うー……、なんで数字が合わないんだろう……」
「りんこ先輩っ!」
「データを間違って引っ張って来ちゃったかなぁ」
「先輩っ!」
「さっきからなにっ!」
「先輩っ! 今日、合コンの約束してるでしょっ! 出てくださいよぉ」
「合コン?」
「そうですよぉ。将来有望な医学部の子たちと合コンっ! 早くいい人見つけて、結婚して幸せになりましょうよぉ」

 琳子はそう言われて、数日前に話を振られたことを思い出した。

「私、断ったよね? それに、仕事がまだ残ってるから」
「えええ、りんこ先輩が来るってあたし、いろんな人に言いふらしちゃったのに! ひどいですぅ、来てくれるって言ったじゃないですかあ」

 この後輩は人の話を聞かないことで有名だが、案の定、あそこまではっきりと断ったのを聞いていなかったようだ。

「言ってない。男は間に合ってます」
「えー! りんこ先輩、彼氏がいたんですか? ひっどーい! 出来たら教えてって言ったじゃないですか」
「私に彼氏がいようがいまいが、どっちでもいいでしょ。とにかく、合コンは行きません。仕事が残ってるから、少し残業してから帰ります」

 琳子はそれだけ告げると立ち上がり、資料室へと向かう。

「ひどいですよぉ、りんこ先輩」

 という声を背中に受けながら。


(合コンってまったく、男がなんなの? 私は男なんかに頼らずに自分で稼いで生きていくって決めたんだからっ)

 琳子は心の中で悪態をつきながら、資料室へ向かっていた。本当は行く必要はなかったのだが、しつこい後輩に辟易して逃げてきた、というのが正解である。

「あ……」

 資料室に着き、ドアノブに手をかけたところで大切なことを思い出した。
 資料室は社外秘の文書も管理していたりするので、通常は鍵がかかっているため、総務部で鍵を借りてこなくてはいけなかった。
 のだが、それはノブをひねったところで、琳子は違和感に気がついた。
 本来なら開くはずのない資料室のドアが、何事もなかったかのように開いてしまった。

「あれ?」

 普段は鍵がかかっているはずなのにどうしてだろうと疑問に思いつつも、中へ入った。
 資料の管理のために一定温度を保っているこの部屋は、少しヒンヤリとする。ぶるりと身を震わせた。琳子は資料を確認するふりをして、すぐに出るつもりでいた。

「あっ……んんっ」

 棚に近づき資料に手を伸ばしたところで突然、そんな声が聞こえてきた。琳子は伸ばした手を止めた。
 鍵が開いていた時点で先客がいるということに気がつくべきなのであるが、そこまで頭が回らなかった。普段から利用者が少ない上に、業務時間を過ぎているのだ。まさかここを利用している人がいるとは思わなかった。琳子は鍵が開いていた理由が分かってほっとしたのも束の間。

「はぁっ、も……もっとっ」

 琳子は思わず、身を固くした。
 こんな場で聞くとは思えないほどの艶っぽい声。よくよく耳を澄ませば、衣擦れの音が資料室に響いている。

(って、ちょっと!)

 その声がなにを意味するのか琳子は思い至り、顔に熱を感じた。

(しゃ、社内でなにをしてるのよっ!)

 心の中で思わずツッコミを入れてしまう。

「やーめた」

 琳子の心の声が聞こえたのか、男は突然、止めたようだ。

「ああん、そんな意地悪を言わないでよっ」
「やっぱ乗り気にならねえよ、こんなところで。早く行けよ」
「そんなっ。あたしをこんなにやる気にさせておいてっ」
「俺の気が乗らないんだよ。早く俺の前から消えてくれない?」
「ちょっと! なによその言いぐさ! あんたから誘っておいてっ!」
「へー。俺から? なに言ってるの? あんたがやらしい視線で俺を見るから乗ってやっただけだろ? 男と見れば万年発情しているような雌猫の分際で、よく言うよ」
「なっ」
「前から言おうと思ってたんだけど、そのメイク、似合わなすぎ。アイシャドウ、乗せすぎだろ。しかも、化粧が肌に乗ってなくて浮いてるよ。厚塗りなのもばれてるよ、お・ば・さ・ん」
「あっ、あんたっ」
「ほんとのことを言われちゃってなに逆ギレしちゃってるの? おばさん、若い子を引っかけて遊ぶの、やめておきなよ。みんな、嫌で嫌で仕方がないけど、お局さまに逆らったら後が怖いから素直に従ってるだけだから。勘違いするな」
「お、覚えてらっしゃい!」

 お約束な捨てゼリフに対して、男はのんびりと答える。

「んー、覚えてらんないなー」

 床を踏みならす音がして、琳子の近くへと寄ってくる。

(うわっ、まずっ!)

 琳子はとっさにしゃがみ込み、棚の影に隠れた。
 荒々しくドアが開き、耳をふさぎたくなるほどひどい音。そして扉が閉まる音がして──硬質な音が響いた。

(って、え? 鍵をかけられた?)

 この資料室は、外からしか鍵を開閉することが出来ない仕組みになっている。そのことを知っている琳子は、全身から血が引いていくのが分かった。

(ちょっと、閉じ込められちゃったってこと?)

 琳子は力が抜けて、床に座り込んでしまった。

(今日って金曜日でしょ。それにもう、ほとんどの人が帰ってるし……この資料室、あんまり人がこないのよね。私……いつ、出られるんだろう)

 しかも琳子は一人暮らしだ。土日に部屋に帰っていなくてもだれも不審に思う人間がいないだろう。月曜日になり、出社してこないという段階で初めて琳子が行方不明ということが判明する。しかし、分かったところで琳子がここにいることを知っている人間は……だれ一人としていない。最後に言葉を交わしたあの後輩はまったく宛てにならないだろう。

(私、もしかしてここで餓死? この部屋、少し寒いし……凍死出来る自信があるわ)

 琳子は羽織っていた紺色のカーディガンの前を寄せ、自分の身体を抱きしめた。

「ったく、あのおばさんも懲りないなぁ」

 その声に、琳子はもう一人いたことを思い出した。

(そうだ、人がいた!)

 そのことに希望が持てたが、しかし……。

(で、でも……男の人、よね? しかも、こんなところで、あっ、あんなことをっ!)

 琳子の脳内で妄想が繰り広げられる。
 資料室内でしどけなく服を脱いで……。

(うわああああっ!)

 想像してしまった映像を脳内から追い出すために琳子はかたく目をつぶり、頭を激しく左右に振った。

(いやああ、無理っ!)

 想像してしまったことを琳子は否定して慌てていると、もう一人の元凶の男が歩いてくる音がする。琳子の横を抜け、ドアに手をかけて……。

「あれ? 鍵がかかってるし」

 そこでようやく、男の顔が見えた。声で気がついてはいたものの、顔を見て確信した。

(げっ。よりによって、宮王子樹みやおうじ いつきとか、どれだけ今日は運が悪いわけ? いや、それよりもなんで営業一課の人間がここにいるの?)

 営業部一課の宮王子樹、通称『眠り王子』。暇さえあれば寝ていることからこのあだ名がついたらしい。
 身長百八十三センチ、鍛えた身体にスーツが似合う。鋭い視線とフェミニストな性格で女性社員の人気が高い。しかしその反面、樹が気に入らない人物に関してはとことん冷たいという噂もあり、一部の女性社員から反感を買っていた。

(そりゃあ……お局さまにあんな態度を取れば、反感を買っても仕方がないよね)

「で……。鍵ってどうやって開けるんだ?」

 樹はノブをひねったりドアを見たりして開けようとしているが、開くはずがないのだ。

「んー。困ったなぁ」

 樹は頭に手を当て、大げさにため息をついていた。

「あのおばさんの嫌がらせはほんっと、粘着質だなぁ」

 樹はドアを開けるのをすぐに諦め、くるりと身体を回転させた。

「……と。あ」

 やばい、と思った時はすでに遅し。琳子はばっちり、樹と目があってしまった。




※お局さま……職場などで自分基準で仕切ろうとしている口うるさい女性のことをさす。もちろん、褒め言葉ではない。

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