『眠り王子─スウィーツ帝国の逆襲─』


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《第二話・楽しいいちご狩り編》十*信頼



 エレベーターに乗って部屋の前まできて、琳子は覚悟をして鍵を開けた。
 ここで荷物を受け取って『はい、ありがとう』と追い返すのも申し訳ないなと思い、渋々、声を掛けてみた。

「お茶でも……その、飲んで、いきますか?」

 中に入れることにかなり躊躇はしたが、今までも部屋に三人になることは多く、何事もなかった。それに、嫌がる琳子に対して無理矢理、ということは、たぶんないだろう。

「ちょっと休憩をさせてもらう」

 樹は靴を脱ぎ、ずかずかと上がった。さらに遠慮なく奥の寝室に向かい、琳子に断りを入れることなくベッドに潜り込んだ。

「え、ちょっと、樹……?」

 まるでわが家のような振る舞いに、琳子は唖然とするしかない。
 いつものパターンだと、樹は琳子に抱きついて『やっぱり初めては自分の部屋でだよな』くらいのセリフを吐いて襲ってくる、と思っていた身としては、この行動は拍子抜けである。
 もちろん琳子としてはそうならなかったのは喜ばしいことなのだが、それなりの覚悟をしていたので、気持ちの持って行き場がなく、宙ぶらりんな感じだ。

「うわぁ。なんかすごいものを見た!」

 悠太は琳子の横に立ったまま、目を丸くしている。付き合いの長い悠太の反応を見ても、今の樹の行動が異常だというのは明らかだ。

「……とっ、とりあえず私たちだけでもお茶にしましょうか」

 予想外の行動につい、ぼんやりしていたが、いつまでも玄関に突っ立っているわけにもいかない。悠太に上がってもらい、琳子も入ってキッチンに立ち、お湯を沸かす。悠太は隅にある一人用のテーブルに腰掛け、琳子を見た。

「樹ってああ見えて、すっごい警戒心が強いんだ」

 悠太を見ると、笑みを浮かべていた。

「『眠り王子』とは言われてるけど、人の前ではあんまり寝ないんだよ、実は」

 噂になるほどだからてっきり、樹はどこでも寝ている物だと思っていたのだ。それに、いちご狩りに行ったハウスで琳子の膝の上で寝ていたし、旅館でもよく寝ていた。悠太の言うことが信じられなかった。

「でも、今回はよく寝てましたよね?」
「うん。樹は本当に琳子さんのことを信頼してるんだなって思ったよ」

 寝ることと信頼していることがどう繋がるのか分からなかった。琳子は未だに、二人に対して警戒をしている。今もいつ、悠太が襲ってくるだろうかと戦々恐々としているくらいだ。

「それにね」

 と悠太は続ける。琳子は急須に茶葉を入れて、お湯を注ぐ。緑茶のいい匂いが部屋に広がった。

「樹は女を送っていってそこでセックスをすることはあるけど、どんなに遅くなっても寝ないで帰ってくるんだ」

 ああ、室内ですることもあるんだ、と琳子は少しずれたことを思っていた。でもきっと、そんな時でも服は脱がないんだろうなと勝手な憶測をして……赤くなった。

「あ、ごめん。ストレートに言い過ぎちゃったか」

 悠太の気遣う言葉に、琳子は首を振った。

「お茶をどうぞ」

 白地に桜の花が散った柄のかわいらしい湯飲みを悠太の前に置く。

「わー、かわいい湯飲みですね」

 気に入って買った物を褒められて、琳子はうれしくて笑みを浮かべた。琳子はキッチンに立ったまま、お茶を飲んだ。悠太は猫舌なのか、ふうふうと息を吹きかけて冷ましている。そしてほんの少し口に含み、笑顔になった。

「美味しいです!」
「ありがとうございます」
「今度、和菓子を買ってきたときに琳子さんにお茶を淹れてもらおう」

 琳子は思わず、顔を引きつらせた。
 そんな琳子の表情を見て、悠太は笑う。

「樹が琳子さんのことが好きな理由、なんとなく分かったなぁ。ボクもきっと、同じ部分に惹かれたんだろうし」

 悠太はふふっと笑って琳子に視線を向けた。

「樹が初めて入った女性の部屋で、まっすぐに布団に向かっていって寝たのは、ボクが知る限りでは初めてだよ。ボクの部屋ではよくやるんだけどね」

 やはり、樹のあの行動は異常だったようだ。
 それにね、と悠太はさらに続ける。

「樹のあの背中の傷、見ただろう?」

 琳子は小さくうなずいた。

「どうしてなのかって話も?」
「はい……。痛かっただろうな、辛いなと思いました」

 琳子は手の中の湯飲みに視線を落とす。

「事故に遭った頃の樹ってほんと……見ていられないくらい痛々しかったんだ」

 通学途中に遭遇した、事故。どうして自分が? とたくさん、自問しただろう。あまりの痛さにあのまま死んだ方が良かったと思ったかもしれない。そう考えると、琳子の心はちりちりとした痛みを感じた。

「最初にお見舞いに行ったとき、それこそ人形のように無表情で、ボクのことも見てくれなかった。すっごく悲しかったな」

 その頃を思い出したのか、悠太はしんみりとした口調だった。

「身体が元気になって、ちょっとずつ心も元気になってきて……ようやく学校に出てきた樹に、口さがないヤツらは酷い言葉を投げつけたんだ」

 悠太は湯飲みを握りしめた。

「でも、樹は反論しないんだ。それがボクは悔しくて、代わりにけんかをたくさんした」

 悠太はお茶を飲み干し、テーブルに置いた。琳子は気がつき、

「お代わり入れておきましょうか?」

 と声を掛けたらうなずかれたので、お茶を淹れ直して湯飲みに注ぐ。

「ありがと」

 にっこりと微笑まれ、琳子ははにかんだ笑顔を返した。それを見て、悠太も微笑む。

「あの頃は樹とよくけんかをしたなぁ。ボクには突っかかってくるクセに、他の人には言われるがままだったんだ。それがすっごく悔しかった」

 今の二人からは想像がつかなかった。

「樹って本気で怒ったらすごく怖いんだよ。他人に責められた鬱憤をボクで晴らすみたいだったなあ」

 思い出しておかしそうに笑っている。

「もしかして……樹は本気で悠太が嫌だったのかも……って、あ、ごめんなさい」

 琳子は思ったことを口にして、慌てて口を押さえた。

「うん、ボクもそう思った。うっとうしかったんだと思うよ、ボクのことが。だからわざと嫌われるようにけんかをふっかけて来たんだと思う」

 でもなあ、と悠太は目を細めながら口を開いた。

「ボクも意地になってたんだと思う。ほっとけなくって」

 泣くことはなかったのに、心が泣いてたんだと悠太はつぶやいた。

「それから色々あって、気がついたらつるんでたって感じかな」

 悠太はあっさりと一言で片付けていたが、そんなことがあったからこの二人は妙に仲がいいのかと納得した。

「そんなだから、樹はあんまり人を信じていない部分があるんだ。でも、樹がここまで一人の女性に固執するのも初めてだし、あんな無防備に寝てしまうのも初めてだし……だから、ボクはともかくとして、樹のこと……」

 悠太は後半の言葉は濁したが、言いたいことは分かり、琳子は困った表情をした。

「二人がしつこいのはよーっく分かりましたし、それに、まだ私には二人のどちらかを決めるにも情報が少なすぎます」

 だから……と琳子は続ける。

「もうしばらく、お二人に付き合おうと思います」

 琳子はにっこりと微笑んだ。悠太は立ち上がるとたじろぐ琳子に詰め寄り、ぎゅっと抱きしめた。

「うん、さすがだ、琳子さん。ボクを選んで欲しいけど、樹も大切だから」

 悠太は琳子の髪をすき、視線を合わせると唇を重ねた。

「どっちも選んで欲しいなぁ」

 むちゃくちゃなお願いに、琳子はくすくすと笑う。

「それってやっぱり、公認二股ってことですか?」
「うーん、それとはちょっと違うかなぁ。別にボクと肉体的な関係にならなくて、琳子さんと樹とそうなっても変わらずにお付き合いしてほしいなって」
「ななななっ、なんてことをっ!」
「もちろん、ボクたち二人を受け入れてくれるのが一番だけど。そうしたら三人で楽しめるし?」
「じょっ、じょーだんじゃっ」
「まあ、それは冗談として。キスくらいは許して欲しいな」

 と悠太のかわいいお願いに、琳子は小さくうなずいた。

「……こんな私はやっぱり、淫乱って言われてしまうんでしょうか」

 心配そうな問いかけに、悠太は笑う。

「琳子さんが淫乱なのはボクとしてみれば歓迎だから、別にいいと思うよ?」

 答えに琳子は唇をとがらせて抗議する。その表情がかわいいと思った悠太はもう一度、ついばむようにキスをした。

「お昼も近いし、一緒に昼食でも作りますか」

 悠太の提案に琳子は同意の返事をする。
 二人は並んでキッチンに立ち、昼食を作る。料理ができあがった頃、美味しそうな匂いに樹が起きてきた。

「お、美味そうだな」
「いいタイミングで起きてきた」

 琳子と悠太は顔を合わせ、笑う。

「なんだよ、俺が寝てる間にいい感じになりやがって」

 憮然としている樹を見て、琳子は側に寄り見上げた。

「悠太とは友情を育んだだけだから」
「甘いな。男と女の間には友情など存在しないっ!」

 樹は琳子を抱き寄せ、

「おはようのキスしてなかった」

 と唇を重ねてきた。琳子も素直に受け入れ、瞳を閉じる。

「二人とも、ご飯にしようよ」

 悠太の声に樹は

「おう」

 と答える。
 なんだかそんな光景に琳子は幸せになって、笑みを浮かべた。

「遊園地もいいけど、今度は三人で寄席に行きましょうか」
「それ、いいね!」

 琳子たちはこの先の予定を色々話し合い、楽しい食事をしたのであった。

【おわり】


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